Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

今はなきあの風景―キャンパスの変貌③ 「大講堂」から大隈記念講堂へ

大学史資料センター 非常勤嘱託 木下  恵太

【写真①】1917(大正6)年 テント内での始業式。 壇上左の人物が大隈重信

最晩年の大隈重信は、初代早稲田大学学長を務めた高田早苗にこう言っていたという。
「俺にしばしば演説をさせるが、天幕の中や野天では困るではないか、俺も八十以上になっているから家の中で演説をさせてくれないか」。

当時、キャンパス内には、1889(明治22)年に大隈が寄進した「大講堂」があったが、急速な大学の発展に対し規模が不十分であった。実際、種々の大会はもとより、始業式・卒業式でさえ野外のテントで行わなければならなかった【写真①】。

しかし、大隈の要望に対し、高田は「まあお待ちください」と引き延ばし、結局大隈は壮大なホールに立って学生たちに演説する、という夢を果たせぬまま、1922(大正11)年1月に85歳で亡くなった。

【写真②】故大隈侯記念大講堂建設資金募集のポスター

ここにおいて、高田はようやく新講堂の建設を決意した。大隈の葬儀が一段落つくと、直ちに大学にて、大隈を偲ぶ記念事業として「大講堂の建設」が打ち出された。とはいえ、通常経費で手一杯の私立大学において、巨大な建築には内外よりの篤志が唯一の頼みであった。記念事業の目標金額は200万円とされ、ここから3年余にわたる困難な募金運動が始まった。

3月に募金委員長に就任した高田は、校友や学生の父兄のみならず、1円ないし50銭からの「国民募集」の運動を呼びかけることとした。翌年9月に発生した関東大震災は運動を一層困難にしたが、政財界をはじめ、小学校職員一同・旅館女中一同・某村村吏一同といった人々の協力を受け、その運動を完遂できたのであった。在校生たちも委員を作って積極的に協力し、夏休み中に各自の郷里で音楽会や映画会等を催し、その収入を寄せた点も特筆すべきであろう【写真②】。

こうして、1927(昭和2)年10月20日、無事に工事を完了した大講堂は開館式の日を迎えた。高田はその感懐を歌に込めて詠んだ。

天にます みたまよしかと みそなはせ
もろ人つとひ きみしのふなり

「きみ」とは大隈その人のことである。

現在、落成より85年経ったこの「大隈記念講堂」は、戦火をも潜り抜け、朝夕変わらず都の西北に屹立している。

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