Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

早稲田の学生街② 青春の風が吹く街

早稲田大学大学史資料センター助手
高橋  央

1945年8月15日の終戦により、戦地へ、そして軍需工場へと動員されていた早稲田大学の教職員・学生たちが帰り、 キャンパスと学生街の復興がスタートした。後者は特に大きな変貌を遂げた。鶴巻町を中心とした学生街が戦災に遭い、学生街の中心が早稲田通りへと移っていった。

早大生に親しまれた銭湯・安兵衛湯

早大生に親しまれた銭湯・安兵衛湯

古書店が早稲田通りに移り、多くの学生が高田馬場駅から大学へ向かう途中や帰途に古書店に立ち寄る姿が見られるようになった。また洋画の「全線座」など多くの映画館が早稲田通り周辺にあり、食堂・喫茶店・居酒屋といった店も集まり現在の早稲田通りの景観を形成していく。そして1952年の西武新宿駅の開設、1964年の東西線の営業開始と早稲田駅の開業により、高田馬場駅周辺が急速に繁華街となっていった。夕方以降高田馬場駅前の居酒屋に早稲田大学の教員・学生が集まり、歓談の中に夜のゼミが続くという、今日もよくある光景が見られるようになる。

このような交通網の発達の中で学生も郊外に移っていったが、早稲田大学周辺の下宿屋は戦後なお健在であった。四畳半の下宿屋で風呂は近くの銭湯、といった学生生活が1970年代ごろまでは多く見られた。しかし1980年代以降は学生の郊外への 移動、また早稲田周辺の土地高騰、マンションの増加などに伴い下宿屋は急速に減少した。

めまぐるしく変貌を遂げる早稲田の学生街であるが、一方で落ち着いた古書店や喫茶店なども今日なお健在であり、変わらぬ懐かしさを提供してくれている。『神田川』の作詞家の喜多条忠氏は学生時代を回顧して次のように述べられている。

「ワセダが好きでワセダにやって来た人間は、…条件反射を体験してしまうのである。淋しく なったり、生きるのにくたびれたり、行きづまったりすると、そうした人間はワセダに足を向けている。(中略)懐かしくも、もう戻ることのない青春と同じ風 が、やっぱり吹いてくる街。それが早稲田だ」(「『神田川』のころ」『早稲田古書店街連合目録』第3号 10頁)

文学部前にあった「まんぷく食堂」

1275号 2012年5月17日掲載

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