Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

〜第13回〜 高田富士

大学史資料センター 助教 檜皮 瑞樹

▲『江戸名所図会』 高田稲荷と高田富士

江戸に暮らした人々の多くは、富士講などの講を通じて、富士山や大山、御嶽山(おんたけさん)などの山岳を信仰していた。なかでも富士山信仰は近世後期に大流行し、幕府が富士講を取り締まったこともある。また、実際に富士登山できない人たちの代替として、江戸の各地に富士山を模した富士塚が建てられた。

高田富士は水稲荷神社(高田稲荷明神社)の境内にあり、1779年(安永8年)に作られた江戸最古の富士塚として知られた。当時は、江戸の名所として多くの参詣者で賑わっていた。この高田富士・水稲荷神社は、現在の早稲田キャンパス9号館の場所にあったが、昭和30年代後半に大学がこの土地を入手した際に取り壊された。

▲キャンパス航空写真(左下が水稲荷神社)1950年頃

1954年に始まる大濱総長の12年間は、早稲田大学が施設の充実と総合大学を目指して大規模な拡張を行った時代であった。上石神井の土地取得と高等学院の移転(1956年)、戸山キャンパスへの文学部移転(1962年)、本庄キャンパスの取得(1963年)、大久保キャンパスの取得と理工学部の移転(1963~1967年)などが行われ、この一大事業によって東京専門学校創立以後初めて「都の西北」、早稲田から離れたキャンパスが誕生したのであった。水稲荷神社敷地の取得もこのような計画の一環として行われた。

1963年、大学は水稲荷神社の敷地を、甘泉園の土地(1933年に相馬永胤(ながたね)より購入)の一部と交換するかたちで取得した(甘泉園の余地はその後東京都に売却)。この土地交換に際しては、手続きの遅延や水稲荷神社氏子の反対運動なども起こっている。その後、水稲荷神社跡地には創立80周年事業の最後を飾るものとして、1969年に法商研究室棟(現9号館)が竣工した。

一方、水稲荷神社も新宿区立甘泉園公園の隣地に新築・移転し、富士塚も神社敷地内に復元されている。

▲高田富士(1909年)

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