Waseda Weekly早稲田ウィークリー

コラム

〜第3回〜小野梓の胸像 ―時代を超える「学問の独立」のメッセージ―


大学史資料センター 所長・文学学術院 教授 大日方 純夫

 

小野梓記念館(27号館)の階段をおりた地下1階に小野梓の胸像はある。彼が3年間のアメリカ・イギリス留学を終えて帰国したのは1874年5月のことだ。時に22歳。以来33歳10カ月で世を去るまで、彼は近代日本の草創期を全力で駆け抜けた。その間、わずか12年弱。

▲帰国当時の小野梓(22歳)

小野梓は帰国後、イギリス留学仲間とともに「共存同衆」という団体をつくって啓蒙活動に取り組み、やがて政府にはいって法律の起草などに従事して、日本社会の近代化のために奮闘した。その間、大隈重信の信頼を得てブレーンとなり、「明治14年の政変」で大隈 が政府を追放されると、これに従って政府を去った。1882年、大隈を助けて立憲改進党を結成し、幹事役をつとめるとともに、自らのもとに集まった青年たちと東京専門学校を開校して、この学校に「学問の独立」の夢を託した。翌年には、良書の普及をめざして東洋館書店を創業した。彼はこうした実践活動に奔走しつつ、寸暇を惜しんで執筆をつづけ、『国憲汎論』『民法之骨』などをつぎつぎと刊行した。しかし、病はその前途を断ち切った。

 

 

▲小野梓胸像

1935年、没後50年を記念して、冨山房社長坂本嘉治馬は早稲田大学に小野梓の胸像を寄贈した。東洋館書店の店員だった坂本は、小野の没後、遺志をついで出版事業を興した。その恩に報いるために胸像を贈り、『小野梓伝』・『小野梓全集』を刊行して、小野の“姿”と“思想”を蘇らせたのである。胸像は、この時、大隈庭園のなかに建てられ、1957年、創立75周年を記念して7号館に小野記念講堂が設置された時、講堂内に移設された。以来約半世紀、小野記念講堂で開催される講演会などの催しを見守り続けた。そして、創立125周年の際、講堂とともに今の場所に移ったのである。小野の胸像は、自らが理想とした日本の姿を仰ぎ見るように、大隈講堂を望む位置で、早稲田で学ぶもののゆくえを見守っている。彼が発した「学問の独立」のメッセージは、時代を超えて早稲田の精神であり続けている。

1246号 2011年6月16日掲載

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