最近はあまり早稲田に足を向けることがありませんが、大学生とはけっこう接しているんですよ。 今は、山口大学と徳山大学で客員教授、山口芸術短期大学で特別講師をやっています。年に一回ずつの講義ですが、漫画の描き方から漫画の文化論まで教えています。 最近の大学生は、僕のことを知らないようですね。山口芸短の学生は女性ばかりですが、僕の『島耕作』シリーズを知っているか?と尋ねたら、誰も知らないと(笑)。それでは「黒澤監督の映画を見たことはあるか?」という質問にも誰も手を挙げなかった。もうそういう時代なんですかね。
ブランド志向で上京し、 念願の早稲田に入学
早稲田入学の動機ですか? 単純にブランド志向からです(笑)。とにかく東京に行きたかった。それに名のある大学に入りたかった。東大はさすがに無理だろうと、早稲田と慶應義塾の2校に絞って5学部を受験しました。結局、2勝3敗で早稲田の法学部と商学部に合格。さてどちらに行こうかと、友人らに相談したら、法学部は出席を取らないし卒論もない、ということで、法学部に決めたわけです(笑)。 でも、漫画研究会(漫研)には入部したいと高校時代から思っていました。当時は『蛍雪時代』や、今はもう出版されていないかもしれませんが『高三コース』などの受験生向けの月刊誌が発行されていて、そこによく早稲田の漫研が紹介されていたんです。
そう考えると、早稲田の漫研に入りたかったので、たとえ慶應に合格していたとしても、結局、早稲田を選んだと思います。
大学生活を謳歌、 「宣伝御三家」の松下電器へ
僕が入学したのは1966年で、学園紛争の真っただ中。いわゆる「7○年代安保」の時だったので、入学しても6カ月間は休講でした。だからほとんど授業にも出ず、漫画を描いたり、いろいろなアルバイトをしていました。 今ではもういないだろうけれど、当時は試験前になると、大隈講堂の横あたりに「予想屋」が立つんです(笑)。もちろん有料です。たぶん6年生なんかがやっていたのではないでしょうか。お金を払うと「ここが出るぞ」という傾向と対策を教えてくれる。山をかけるんです。当たればいいんですけれど、はずれることもある(笑)。
漫画家になるのは、実は子どものころからの夢だったんです。在学中は漫研で一コマ漫画を描いたり、部費稼ぎに早稲田祭で似顔絵を描いたり。懐かしいなあ…。
しかし大学でいくら漫画を描いていても、結局、卒業時には現実的なことを考えないといけないわけで、デザインや美術の能力を活かせる就職先を探しました。
僕の場合、「宣伝御三家」と言われていたサントリー、資生堂、松下電器産業を狙い、最初に受かった松下電器に就職を決めました。そして自分から希望して、本社の販売助成部に配属されました。その年は八百数十人が入社したのですが、ここに配属されたのは僕を含めて2人だけでした。ラッキーでしたね。
本社のいいところは、全国の営業所、事業所など、社内全体を見渡すことができること。社内派閥や総会屋対策などのことも分かるようになったのは、本社にいたからです。廊下を松下幸之助さんが歩いているのを見て、けっこう喜んだりもしていましたけれど(笑)。
今や「社会派」として活躍
松下電器産業には、3年間お世話になりました。辞表を出した時は、これから好きな漫画で飯が食えるかもしれない、と思うだけで幸せでした。 新人のころは、編集者の言われるまま描いてましたね。一作でもいいから掲載させてほしい、という思いが強かったからです。ある程度、出版社や編集者が満足するような結果を出せるようになってから、自分が描きたいものを主張しました。
そんな中で描いたのが、死刑囚と死刑執行官の話でした。これが『人間交差点』の第一話になりました。でもこの連載のための取材は本当に大変で。結局、3話目から矢島正雄さんという原作者がストーリーを考えて僕が描く、という形で連載が続きました。僕は今でこそ「社会派の漫画家」と言われていますが、この連載がその原点ですね。
その後、1983年から『課長 島耕作』シリーズが始まりました。島と僕は、タイムラインが同じなんです。島が課長の時は、僕と同期の仲間がちょうどそういう年代で、いろいろと話を聞きました。 会社で管理職になると、いわゆる「指揮官」になって、現場での仕事が減ってくる。それでは面白くないので、島が部長になった時はワイン会社やレコード会社に出向させることで、ストーリーに幅を持たせるように心がけました。
島耕作シリーズは、大人向けの漫画なので、時々は色っぽい設定も描きます。ただし、島は独身ですから自由恋愛ができますが、彼から女性にアプローチをすることはない。単なるセクハラ男にならないように、必ず女性の方から仕掛けてくる。まぁ男性にとってはけっこう楽しい話ですよね。サラリーマンにとってのおとぎ話です。
僕はもうすぐ60歳になりますが、島耕作も60です。大企業のトップになると、社内の仕事だけでなく、政府の仕事や経団連のポストに就いたりして、国の経済にも関わるようになる。島も現実に即した立場で描きたい。だから島耕作シリーズは、エンターテイメントが50%、情報が50%というスタンスで描いています。
『黄昏流星群』も人気作品に
僕も団塊の世代ですが、この世代にターゲットを絞った漫画があってもいいと思ったんです。そこで同世代の友人や仲間との飲み会の席で、どんなことがしたいか?と尋ねたんですね。すると「あと一回でいいから、死ぬまでに身を焦がすような恋がしたい」と口をそろえて言うんです(笑)。いいおやじが何をと思われるかもしれませんが、結局、最後はどう生きるかという所に集約される。そういう意味では、中年向けの恋愛もありだということで、『黄昏流星群』という連載を始めました。「恋愛」を中心に置いて、社会、人生、家族、仕事、趣味といったテーマも織り交ぜています。 渡辺淳一さんの作品と違って僕の場合、恋愛の対象は若い女性ではありません(笑)。できるだけ同じ団塊の世代の女性を登場させています。バーチャルの世界だけれど、できるだけリアリティを持たせるようにしています。
WASEDA BEARという 大学キャラクターの「産みの親」
僕がデザインしたWASEDA BEARは、学内でもかなり浸透し、グッズもたくさん発売されていると聞いています。産みの親としてはうれしい限りです。 実は、このキャラクターを描くことになったのは、偶然のことだったんです。それまで大学では早慶戦などで、横山隆一さんの連載漫画の主人公「フクちゃん」を使っていた。しかし新しい世紀に向けて新キャラクターを、ということで校友を中心にデザイナーや漫画家などに公募をかけたんですね。ある日突然、先輩から電話がかかってきて、「お前、漫研の代表として何か描け!」と(笑)。 結局、約60点の応募作品の中から選考委員会が3点に絞り込み、これを学生・校友・教職員を中心に人気投票にかけて、僕が提出したWASEDA BEARが最終的に早稲田の理事会で最優秀作品に選ばれた、というわけです。今から7年前の2000年のことです。
賞金は全額大学に寄付し、もちろん著作権も大学に差し上げました。自分の作品が大学のキャラクターに採用されるのは、光栄なことですからね。
どうですか、ちょっと憎たらしいでしょう。こういうキャラクターをデザインする場合は今日日、かわいいだけのものははやらない。少し憎たらしくて、でもどこか憎めないところがポイントなんです。
後輩へ、「仕事=人生」だから 自分がやりたいことをやるべし
学生時代は、気の合う仲間とだけ付き合えばいいですが、社会に出たらそうはいかない。大嫌いな人とも付き合わなければいけない。そういう覚悟は必要です。 どんな仕事が自分に合っているのか迷っている場合は、いろいろなアルバイトをすることをお勧めします。僕もビルの工事現場でバイトしたことがあります。今までに接触したことのない人たちと交流できるし、さまざまな仕事を体験できるのも、学生の特権。きっとそのうちに自分の方向性が何となく見えてくるはずですし、日本の社会の仕組みも多少分かってくるはずです。
「仕事」イコール「人生」。やはり自分がやりたいことをやるべきだと僕は思います。多少貧乏でも、その方がずっと楽しい。もちろんその人の「運」という不確定要素もありますが、地道に努力していれば必ず自分にそれが返ってくる日が来ます。