Waseda Weekly早稲田ウィークリー

キャリアコンパス

狂言師 野村 万作 飾っているのは恥ずかしい

『早稲田ウィークリー』創刊1000号記念のOBインタビューとして、先月の「早稲田の杜 つつじ能」で素晴らしい舞台を披露してくださった狂言師・野村万作さんにご登場いただいた。重要無形文化財総合指定者として狂言界をリードされてきた野村万作さんに、早稲田での学生時代、狂言に対する熱い思いについて、大いに語っていただいた。

狂言から離れかけた学生時代
 そもそも僕は狂言をやるより、演劇を研究しようと旧制の早稲田第二高等学院に入学したんです。河竹繁俊先生が演劇博物館の館長をしていらっしゃるのを前提に。旧制の高校は一年間だけで、すぐに新制の大学一年生になるんですけど、その頃僕は歌舞伎研究会に所属し、同じ歌舞伎を月に何度も一生懸命に観ていました。
僕は三歳の頃から舞台に立っていた。でも物心つくと、師匠に教わった型どおりにやらなければならないことに、当然反抗心が生まれましてね。身近な新劇や歌舞伎の世界が創造的に見えたんです。
けれど、歌舞伎等を観るのと同じ観客の目で、能や狂言を振り返ってみた。そうしたら、自分のやってきた狂言が他の演劇と対等に、冷静に見えてきたんです。堅苦しい師弟、親子の関係から離れて見ることができたんですね。
すると、窮屈に感じていた型どおりの芸と、師が舞台で演じる芸は全く異質だと感じたんです。狂言から読み取れる現代的なもの、簡素な演劇ゆえに問われる役者の力量等、どんどん狂言の魅力に引き込まれていきましたよ。気持ちは一度逃げたけれど、再び狂言の道を志すことを決意したんです。

さまざまな交流が人生の糧に

狂言「月見座頭」 座頭を演じる野村万作さん

それから放送作家になった親友の斉藤明と狂言研究会を立ち上げる等、狂言に没頭したんですが、両方の研究会を通じて得た広い交流は、大きな収穫になりました。「早稲田には門がない」というだけに、とにかくいろいろな要素を持つ人間がいましたからね。よく新宿で安い焼酎を飲みながら、議論を戦わせたり、大きな声で歌ったりしましたね。
僕は生意気にも文士や大学教授たちが集まる酒場によく行っていたんですよ。学生の分際で(笑)。すると、そこに僕が授業を受けている先生たちがいらっしゃる。僕はあまり勉強熱心な学生ではなかったけれど、当時の先生方にも立派な方はたくさんいらっしゃった。青野季すえ吉きちさんとか、暉てる峻おか康隆さんとか、土岐善ぜん麿まろさんとか。そのような先生方は、酒場で出会うと先生・学生の関係を超えて、狂言をやっている僕に興味を持ってくださる。面白かったですよ。当時文学部長だった谷崎精二先生は授業が終わって、一回家に帰るんだなあ。それで着替えてから飲みに来る。ステッキ片手に白しろ絣がすりなんてしゃれた格好をしてね。「学生がこんなとこ来ちゃいけないよ」なんて、怒られましたよ(笑)。
僕はよく「狂言一筋」という言い方をされる。でも、早稲田でいろんな人と付き合ったり、歌舞伎研究会に入っていれあげたりと、気持ちの上では一筋ではないんですよ。悩んで行ったり来たりした心の「ゆれ」が自分自身を築き上げてきた。それを早稲田でできたから、今僕は学生時代を懐かしめるんです。

「弱さ」を受けとめる心を

狂言「月見座頭」より 座頭・野村万作さん、上京の男・石田幸雄さん

昔は今よりも、能や狂言というと、「そんな高度なもの分かりませんよ」なんて言われ方をしました。けれど、狂言も劇の一つ。しかも非常に庶民的で、誰もが持っている長所や短所というものを見せる人間らしい内容なんです。
人間らしさとは、弱みを持つとか、弱みを知るとかだと思うんですよ。弱さを持っていない人間なんて魅力がないじゃないですか。役者もそういう弱みを持っていないと、人々の感情を演じ切れませんよ。太郎冠者の役でも、ずるかったり、愚図だったりと人間のさまざまな面をとらえています。だからこそ、狂言には時代も国境も越える魅力があるんです。そういう役を生き生きと演じるには、自分の中に豊富なものを蓄えていないといけない。そのためには多くの経験をし、幅のある心を持つことですよね。ですから、僕も海外で公演したり、新劇に参加したりといろいろやってきました。
例えば、シェイクスピアならば多弁で多くのせりふを言わなければならない。能狂言はシンプルな言葉を豊かにしゃべらなければならない。「古典はこうあるべきだ」、「新しいことはこうしよう」という、多くの挑戦が、自分の芸を作り上げる一つの道なんです。

長い間基礎を培って 自分の芸は「自ずから変わる」
 師匠がこうやれといったから頑かたくなにそのとおりするのはせいぜい五十歳まで。あくまで基礎はそうなのですが、各々が「プラスα」を目指さなければ、単なるお人形さんじゃないですか。
でもね、師匠から教わった型を変えてみる、というと簡単ですが、僕は「止むに止まれず変える」、「自ずから変わる」んです。二十、三十歳代の人が「こう解釈したい」、「こう創りあげたい」等、頭で計算するのとは違うんです。自然に体が要求する。そこが大事。それが生まれるには長い間の型の稽古があってこそですよ。
師匠が亡くなると、長い間の重圧から解放される。けれど、やはり師匠から教わった型を残していこうと思うんですよ。習ったときには分からなかったことが、今になって意味が分かるということがたくさんありましたから。それが十年経ち二十年経つ間に、師匠以外の方の芸を理解するようになって、自然にこう演やりたいということが出てくるんです。
僕の叔父も狂言師だったんですが、父と同じく祖父から教わってきているのに、父と叔父はものすごく芸質が違った。おそらく彼らが五十歳ごろのときから、違い始めたと思うんですよね。僕は父から型を学んでいたので、はじめは父と同じく叔父の芸質には批判的でした。けれど、父が亡くなってしばらくしてから、父と芸質の異なる叔父の芸の良さが身に染みて分かっていったんです。祖父から父、そして僕と伝わっている芸質も、祖父から叔父へ伝わっている芸質も、共に祖父の芸質を伝えているんですから。他の演劇に参加するのは、狂言の中で、このようにして自分のものを創りあげていくための肥やしになるからです。

時代や国境を越える  狂言の普遍性、素晴らしさ
僕の若い頃は、狂言が今日よりずっと認知度が低く、ポピュラーなものではなかったので、なんとか押し上げようという情熱はものすごく持ちました。早稲田で培った在野精神の塊でしたね。
例えばシェイクスピアだったらいろんな形に料理されて現代劇としてやられているわけですよね。最近、西欧の影響で能・狂言もそういう観点からやろうという動きもあります。
けれど、狂言には現代風に演じなくても現代に通じるような普遍性が本質的にある。そこが素晴らしいんですよ。海外公演で狂言が喜ばれるのはそのためです。外国人の方は言葉の問題を超越するから、本質に肉薄できるじゃないですか。先入観もなくパッと食いつ いてくださる。皆さんにもそういう精神で狂言など古典のものを見ていただきたいですよね。
日本の古典芸能には、競争というものがまだあまりないですね。例えばロシアのバレエは、子供の時に足の形等、言わば天性の能力を審査する厳しい世界なんです。
けれど、日本の古典芸能には、天性の能力がなくても、努力によって質を創りあげる部分がある。それがまた素晴らしいですよ。例えば、声の悪い人の方が味わいのある唄になることがある。森繁久彌さんの「歌は語れ。語りは歌え」という言葉のように、反対の要素を含むことによって深みのある表現になるんですよ。

人はいつでも  挫折を抱えながら変化していく
「あなたは挫折を知らない」と身近な人に言われたことがあります。戦後の若手として世に出て、トントン拍子で来ていると思われるんですよね。でもね、僕は五十を過ぎて挫折を味わいました。それで、これまでの道から方向転換をしなければならなくなった。ここ(稽古場)の壁に釘跡がたくさんあるでしょ。一面に賞状が飾ってあったんです。その時に全部取り外しました。飾っているのが恥ずかしくなったのね。そういう権威的な物は、見せびらかすものでも飾り立てるものでもない。むしろ弱さや優しさの方が、説得力を持つんじゃないかと思うんですよ。
そのように人はいつどんなときでも挫折感を抱えながら変化していくんじゃないかな。だから皆さんも、自分が情熱を向けているものに自信があるときは、大いに突き進めばいい。悩んだときはしばらく考えて、悩んでいるいまは新たにステップを踏み出す土台になると思えばいい。
ただね、いつも基礎の練習はしていないとだめですよ。確固たる基礎がないと応用ができるはずもない。僕は狂言をとおして基礎がいかに大事かを伝えているんです。 

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