Waseda Weekly早稲田ウィークリー

キャリアコンパス

写真家 淺井愼平 希望と絶望を併せ持つのが青春の特徴だった

写真家 淺井 愼平

世慣れていなかった頃の自分に戻りたい

最近書いた小説『早稲田界隈』のコンセプトは、文芸書のような写真集。後半の写真はそれを意識していて、生活や通り過ぎた街といった、濃密な時間が感じられるものになったと思う。僕は映画少年で、どちらかというとシーンの人なんだけど、一見平凡な中の人間の機微が思わず見えるシーンに弱い。人生の断片が積み重なって、人生や小説、映画になる、というところが好きなんです。リアリティーと一種のポエジーがうまくオーバーラップした時、僕好みの小説が出来上がるんですね。今回、意外と素直に書けたのは、鮮烈な思い出や具体的な事実でなくとも、通過した時間や空間が自分の中に残っていたから。僕は、世慣れていなかった自分に戻りたいという気持ちが強いんです。僕が若かった頃は貧しかったけれど自分探しを真面目にしていたし°黷オい空気の中にある。その中でどうしたら自由になれるかというのは、誰にもあるテーマですよね。

今はOBも若い人や家族を心配するのと同じように、母校を心配している。変わるべきなのは間違いないけど、どう変わるのか、変わらないのか、再確認する時期だよね。僕らの心配は、「やっぱり早稲田は変わっちゃいけない」ってこと。単純に言うと、現実に対応するために大学があるのではなく、現実を変えるためにある。ところが今の早稲田は、現実に対応したくてウズウズしているような雰囲気が見える。昔は在野の精神、権力を批判する気持ちが早稲田を支えてたと思うんです。権力側に擦り寄っていくやり方が嫌で僕らはここを選んだのに、早稲田がいいことも悪いことも現実はこうだからそれに合わせなくちゃやっていけない、と考えるようになると、一番大切なアイデンティティー、OBも一番誇りに思っていたことがなくなるように思う。なぜ東大でも慶応できたものに惹かれて敢えて早稲田を目指したんですよ。それがなくなると、それこそ私学の一番いいところがなくなってしまうから、すごく大切にしてほしい。

早稲田の一つの大きな特徴は、サークルからプロフェッショナルが出たということ。だから早稲田祭がないのは、大学としても大きな損失だと思う。やむを得ずやめたっていうのは分かるけどね。サークルや体育会も同じだけど、学校の授業以外の部分の活動が学生たちを作ってきたことは、早稲田の誇らしい大きな特徴だったんですね。それをどこかで作っていく仕組みを壊さないで残していくべきだと思いますね。

青春の舞台―『人生劇場』から『青春の門』まで―

僕もその一人ですが、全国各地から来たいろんなタイプの学生にとっては、新しい出発の場所だった。過去はどうであれ、早稲田から始まる生活に期待をし、変わりたいと思いながら来た人が出会い、友情や恋愛、ドラマが花開く。それが、早稲田の一つの特徴だった。『人生劇場』から『青春の門』まで、青春の、いわば舞台として早稲田は非常に重要な役割を果たしている。青春というのは自分が何者でもないということ。小説でも書いたけど、ただの学生に過ぎない。同時に可能性も持っている。だから、朝起きて俺は天才かもって思って、寝る時になんと情けない人間だって思ったりする。希望と絶望を併せ持つのが青春の特徴だった。その中で行動したり、考えたりして社会に出る。それを学習する場に相応しい学校としての早稲田があったような気がする。だから、それがずっと続いてくれたら、いい伝統が続くということにもなると思う。

僕は中退ですが、いろんな意味で縁が繋がっている。これは早稲田のいいところ。人にはそれぞれの理由があるけど、僕は嫌いでやめた訳じゃない。以前、早稲田の雑誌であった中退者特集の「これから中退する人にアドバイスを」という質問に、僕は「大学は卒業するところだからやめるとなると自分で自分を引き取らなければならない。その覚悟ができる人はやめてもいいけど、できない人はなるべく卒業した方がいいよ」って答えたけど、この質問には驚いた。おおらかすぎるよ(笑)。五木さんとか、野坂さんとか、永さんとか周囲には中退した人が多いですけど、皆、不思議な縁で結ばれてる。そういう縁をずっと学校側も持ってくださるのは早稲田のいい心の広さだと思う。変な差別がない、家庭的な温かさ。それは身勝手に、非常にいい校風で、ありがたいなと思っているんです。

時代を作る人、時代が変わる時――歪んだ時代への移行

僕の学生時代は、下宿屋が多く、ビリヤードや喫茶店、雀荘も多くて、学生街の雰囲気がまだあった。授業があっても皆、麻雀屋へ行くような時代だからね。昔は授業中でもガヤガヤ人がいたけど、今は静かなんで驚いたよ。割と真面目なんですね。学生の僕は、一言で言えば、どうしよう、という。自分探しというか、自分が何者で、どうやって生きていくのか。そのためには自分以外にも社会の仕組みや人間の存在、いろんなことが気になった。いい加減だったり、悩んだり、泣いたり笑ったり、あっという間に時間が過ぎて。基本的に表現する仕事で生きていきたいと思っていて、映画がやりたかったけど、僕のワガママさには集団仕事よりも個人的な作業の方が合うと思った。若さが持つ無知なところが、一瞬度胸のようなものに変わって、飯食えるかどうかも分からないのに、写真でやってみようと。僕は父親が陶芸家だったから、遺伝子が約束通りの生活を拒否したんだよ(笑)。でも、人生には個人的な作業なんて殆どなくて、必ず誰かと関わり合うんだよね。写真がもしかしたら僕に合うかも知れないし、時代が写真を重要視するかもしれないという青年のカンのようなものがあったんだろうね。

いつの時代も、その時代の新しい、面白そうなメディアに才能が集まる。ただ、皆が行く頃には絶頂期は終わっていて、その前に気がつく人たちがそこを注目される職場にしていくんだよ。でも、写真だって今は古い表現になってる。どんな表現も黄金時代を過ぎると衰退し、違うメディアが産まれる。その繰り返しだと思う。現代は変化のスピードが早いから、伝統とか人間が築き上げてきた面白いことを見直す時間がないまま、新しいものに追われて、気付いたら息切れしてるということがあるんじゃないかな。つまり人間の能力とか感性には、命と同じで限界があるような気がする。すごい能力があるからついていくけど、どこかで本当は苦しいんだよ。例えば、新幹線とかジェット機に乗って窓を開けたいと思っても開けられない。人間が肉体的にも感情性にもそういう要求をされることが続いて、悲鳴は上げられないけど、内心は苦しい。それが現代。

ベルリンオリンピックで、シベリア鉄道で一カ月旅した時に選手が書いた日記を読むと、その一カ月が人生の間にものすごい意味があるんだよね。今、ベルリンまで一晩かからなくて、その時間は殆ど寝てる。時間は短縮されたけれど、人生にとって昔と今とどちらがよいのだろうか。人生は何かを得るために必ず何かをなくすから、我々が便利さと引き換えになくしたものと得たもののバランスが問われる。それがよければ、こんな人生でよかったかなと思うけれども、バランスが悪いとフラストレーションがたまって、人間として歪んでいく。今、非常に歪んだ時代であるというのは、一つは社会の仕組みそのものが歪みを作る方向に行っていると思うんです。

若いヤツラに青春はもったいない

僕が芸大で教える学生は、好きなことには異常に熱中するタイプ。そうじゃなきゃ芸術なんて成長もしませんからね。ただ、課題なら写真を撮るけど、普段は撮らない学生もいる。中には撮りまくっている奴もいる。性格もあるし、どちらがどうとは言えないけれど、本来芸術は学校で教えられないからね。村上龍に「絵を描きたいけど芸大は行きたくないって子がいる。才能は分からない」って相談された時、「それなら芸大だよ。才能ありゃ、どこだっていける。学校なんか出なくてもいい。けど、才能がない人はとりあえず行った方がいい」って言ったの。そういうようなものでしょうね。今の学生は、若い時にしかできないことが沢山あるのに、時間が余ってるよね。バーナード・ショーは「若い奴らには青春はもったいない」って言ったんだよ。青春の真っ只中にいるとたら、気持ち悪いけど。

今、教育が問題になって、社会に出て役立たないものをやっても仕方ないと言われているけど、これはとんでもないと思う。勉強って自分が何者でどういう世界にいるのか、人間が見つけた仕組みを知ることですよね。学問上は仕分けされてるけど、そもそも宇宙や人間っていうものが、時には医学や物理、芸術、法学、スポーツ、心理学でもあるという非常に入り組んだ存在で、それら専門が一カ所に集められると人間の全貌が見え始める。そして、地球や宇宙、命が分かってくる。そのために勉強するということを、教える側が認識していない場合が多い。

人間がかろうじてここまできたのは、優れた一握りの人たちの思想や発明のようなものに支えられてきたんだ。畏敬の念を持たなくちゃ。役に立たないことはやらないって言ってたら、人間はもっとひどい状況が続いていたよ。自分が勉強ができないからと言って、それを捨ててはいけない。若い時にプライド持つのは結構だけれども、同時に謙虚さも持ってないと。何もやってない自分を受け止める勇気が要る。だからこそ可能性も残されているんだよ。最初は誰もがそうなんだ。でも、発明や発見をするには強い志が必要。平和だって自然にやってくるものじゃない。だから問題は山のように残ってるけど、そういう意思を持つ人たちがいたことから人間はなんとかここまで来た。そのことは認識しないといけないと思う。

僕が学生に接する時は、少し先に産まれて、少し知っていることは教えて、考える時、創る時のヒントにしてもらう。僕は失敗ばかりしたからそれがバネになってて、僕はこういう失敗をしたけど君はくだらないからやめた方がいい、って教えられる。でも、人間は自分でやってみないと分からないこともある。これはもうしょうがないところで、僕もそうだった。でも、できればクールでクレバーな選択ができるような情報をなるべく若い人に伝えていきたいとは思う。例えば、本で何十年という人生を一日で読んでも、身に付くものは同じではない。でも、そこにあるものを自分で掴み取れば、読書はすごく有意義だし、役立つだけじゃなくて、人生を豊かにしてくれる。逆に、僕が若い人に教わることもあるよ。人間はそういう謙虚さを持ってなくちゃいけない。

大体人生って基本的に楽しいものじゃないよ。僕は楽しいかって聞かれても楽しいとは言えないけど、素晴らしい人生はあると思う。それは、辛いことや悲しいことや切ないことがあるからこそ、楽しいことや嬉しいことが感じられるのであって、片一方だけ、例えば悲しみの分からない人には喜びも分からない。その辺は人間は非常に複雑に、なおかつ良くできてる。だから、悲しみが深い人は多分喜びも深い。そこが面白い。そういうことを知るきっかけを作る時代が青春、特に大学にいる時期なんじゃないかなぁ。

【プロフィール】
淺井 愼平(あさい・しんぺい)
1937年愛知県生まれ。政治経済学部中退。65年日本広告写真家協会賞受賞後、66年写真集『ビートルズ東京』でデビュー。主としてコマーシャル、雑誌の分野で活躍。82年映画「キッドナッピング・ブルース」の脚本・監督・撮影・照明の四役を一人でこなし、その多彩ぶりが注目された。81年ベストドレッサー賞、85年ベストジーニスト賞受賞。91年千葉県千倉町に「海岸美術館」設立。著書多数。

早大生のための学生部公式Webマガジン『早稲田ウィークリー』。授業期間中の平日はほぼ毎日更新!活躍している早大生・卒業生の紹介やサークル・ワセメシ情報などを発信しています。

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