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ワセダ・カルチャー・トーク’99 元スキー複合競技オリンピック選手 荻原次晴 「次に晴れればそれでいい」

ワセダ・カルチャー・トーク’99ダイジェスト。初回は元スキー複合競技オリンピック選手で現在はタレントの荻原次晴さん(人科93年卒)。爽やかな笑顔が魅力的だ。金メダリストと双子だったために、自分の存在感が薄くなってしまった次晴さん。果たして…

健司はアルベールビルで金メダルを獲得して一躍英雄に。僕は家にも外にも居場所がなくなった。グレるのは簡単だけど、そうしたら一生次晴は存在できない。「自分の存在が認められるにはスキーで頑張るしかない」と練習したけどリレハンメルは駄目だった。健司はまた金。輪をかけて忘れられて、親父に「俺を健司にしてくれ!」って言ったよ。自分が自分であることを証明するのは難しいんだよ。書類なんか役に立たなかった。 長野オリンピックは地元で年齢的にもチャンスだったけど、そのシーズンの調子は人生最悪。北野建設会長に「経営と同じ。こういう時こそ守りに入っちゃ駄目だ。苦しい時こそ最後に頑張れ。ピンチこそチャンスだ」と励まされ、W杯に出られずヨーロッパの草大会を一人で回っていた時に、とにかく前に突っ走ろうと頑張ったら、五輪前に復調してね。

長野では前半のジャンプが三位で、後半のクロスカントリーは健司より四十秒早くスタート。「健司だと思ってる人いるんだろうな」と思ったら、案の定「健司、ラストスパート!」って(笑)。健司が追い付いた時、僕のオリンピックが始まった。あそこで一緒に走れなければ今の僕はないです。優勝やメダルより、僕は一緒に走って皆に自分を認めさせたかった。結局、健司四位で僕は六位。とても満足し、スキーではやることをやったから引退を決めた。僕にとっては人生の第一章から第二章へ向かうタイミングだったし、未練はなかったです。

タレントになっても日々勉強であり、経験なんですね。このことはスキーでも感じました。やってみなくちゃ分からない。ジャンプ台は皆同じに見えるけど全部違うんです。飛んでみなくちゃ分からない。まず体験すること。それで目標やその次が生まれてくる。特に新入生はいろんなことに挑戦してほしいですね。

よく行く焼き鳥屋のおばちゃんが「山あれど、されど山はなし」と言ってた。苦しいことや問題にぶつかっても乗り越えれば大したことはないと思える時期が来るんです。東京は恐い所。トラブルに巻き込まれないで、自分を失わないで頑張ってください。それと、お箸はしっかり持てるようになろう! 人間としてのマナーを今、勉強しておいた方がいいですよ。

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