■にしの・あきら
1955年埼玉県浦和市生まれ。78年教育学部卒。卒業後日本リーグの日立(現・柏レイソル)で主に攻撃的MFとして活躍し90年に現役を引退。その後同クラブのコーチ、日本ユース代表、96年アトランタ五輪日本代表監督、97年柏レイソルヘッドコーチを経て、本年より同クラブの監督に就任。
大学サッカーに初めて触れたのが中三の時。その時見た゛えんじ゛のチームのサッカーにとても感動したのを覚えてるよ。それが「早稲田大学」だって知ったのは試合終了後のことだったけど。えんじのユニホームに憧れて早稲田を選びましたね。
入学した時は、英語に興味があって英検二級をとるのが目標でしたよ。だけど東伏見の寮に入ってみたら四畳半のスペースに三人で入れって言われたんです。「とてもじゃないけど勉強できる雰囲気じゃないぞ。二年になったら実家から通おう」と思いましたね。結局は、四年間寮に居ちゃったよ(笑)。あの狭い空間と雑然とした部屋をこよなく愛しちゃった方で、家に帰るよりも寮の部屋に行くことが多かったね。
入学した年の夏から大学の四年間、念願の日本代表に選ばれました。リーグ戦、選手権とシーズン中はア式蹴球部。オフの期間は代表に参加していました。そのため菅平で行われる地獄の合宿に一度も参加せずにポッとチームに戻って来て試合に出させてもらっていましたから、あまり周りから良く思われてなかったな。特に一年の頃は(笑)。
早稲田には「自分」を打ち出せる自由な校風があると思う。他大学と比べて、ア式蹴球部は上下関係はそれほど厳しくなく自由な雰囲気の中でサッカーができましたね。
今年のJリーグは、日本人監督が六人に増えたけど僕はまだまだ少ないと思うよ。その中の半分が早稲田出身の指導者。意識しないと言えば嘘だよね。先輩、後輩だから苛めたいとは思うけれど苛め返しかねないな(笑)。いい意味で刺激しあって、このポジションにつけないでいるいい指導者のためにも結果を残したいなと思います。
Jリーグは凄く厳しい世界。日本のトップリーグで指導できることは光栄であり、責任もある。たいへんなポジションではあるけれど、一度世界を見て来た指導者としてサッカーは世界のスポーツで、国対国の試合は最高のレベルだと思う。だからスタッフやコーチングスタッフみんなが、代表のポジションを目指してやっていかなければ。自分としても世界にいけるよう、世界のビッククラブと対戦できるような大きな夢があるし、選手にも世界を常に意識させた指導をしたい。
学生と接する機会はないですね。ユース代表、アトランタ五輪代表と五年ぐらい指導したけど、プロということもあって自分の目標をしっかり持ってサッカーに取り組んでいる。そんな姿勢を見てるとね、デカイ目標を持っている人が着実に成長しているね。目標がない、目標設定が低い選手は国内でそこそこ頑張っているが世界に通用しない。なぜならそういう意識の中でしかサッカーをやってないから。これはみんなに当てはまることだと思うよ。自分の目標を限りなく大きく持って、それを乗り越えようと努力する姿勢は簡単なことだけど、とても大切なことだと思う。それから充実した学生生活を送ってほしいですね。漠然と送っちゃうと何も残らないよ。