Waseda Weekly早稲田ウィークリー

キャリアコンパス

人間科学部助教授 太田章 有意義に無駄なく使えば、早稲田はきっとあなたに応えてくれる

■おおた・あきら

57年秋田市生まれ。81年教育学部卒。83年東海大学大学院体育研究科修了。本学人間科学部助教授。高校時代からレスリングを始める。本学在学中にレスリングのモスクワ五輪代表となるが、ボイコットにより幻に。その後、84年ロス五輪、88年ソウル五輪で連続して銀メダルを獲得。92年にはバルセロナ五輪へ出場し、四度のオリンピック代表獲得を果した。

早稲田を志望したきっかけは高校二年のときに読んだ「青春の門」ですね。“門のない大学”というフレーズに憧れを持ちまして。当時私はレスリングの学生チャンピオンだったんですけど、早稲田のレスリング部は弱かったんです。それでも、門のない大学に憧れ、たとえ弱い部でも自分自身がしっかり練習すればチャンピオンになれると信じていたので、迷わずに早稲田大学を選びました。

早稲田では幻のモスクワ五輪代表になったんだけど、それよりも大学の一番の思い出はガールフレンドができたこととか、早慶戦や早明戦に行ってわいわい騒いだことですね。チャンピオンになるという目的達成意識とそういう目的達成意識じゃないところで友達ができて、楽しいひとときを過ごせるというのは全然違う思い出ですから。そういう意味では、早稲田っていうのは最高の出会いの場だと思いま す。

卒業論文をわざと提出せず、“オリンピック留年”を選択して。そこまで懸けて、自分の手にいれたモスクワ五輪の代表が結局パッと泡と消えてしまったわけですから。ショックでしたね。二十三才の一番志が高い時の挫折はかなり尾を引きました。でも、それがあったから、ロサンゼルス、ソウルでの銀メダル獲得に続いて、五度のオリンピックに挑戦することができたんだと思います。モスクワ五輪に素直に出場していれば、今の自分はないかもしれない。そういう意味ではモスクワオリンピックのボイコットに感謝しなきゃいけないと思いますよ。

モスクワオリンピックが流れそうだということもあって、大学五年目は体育局の学生職員をしていたんです。当時、一年先輩に加藤久さんや卓球の葛西先生がいまして、いろいろとお話を聞いているうちに、自分も早稲田に残りたい、と考えるようになったんです。やはり、教員を志したきっかけは、私のそばにいらした先輩方の存在だと思います。

広い早稲田大学の中で全学部にまたがって体育の授業を受け持っているので、たくさんの学生と接するチャンスがあるんです。反対に学生たちにも体育の授業を通じて、いろいろな学生に出会えるんだぞって言ってるんだけど。これは自分自身、教員をやっていて面白いことだと思う。

早稲田は学生数が多いですからね。普通の大学では考えられないほど幅広い人間関係があり、それが太いパイプでつながっている。新入生には、このほかの大学にはない早稲田の伝統のすごさをぜひ味わってもらいたいです。

四年間はあっという間に終わります。有意義に無駄なく使えば、早稲田っていうのはきっとあなたに応えてくれる。ただ、何もしないでも早稲田が自分を変えてくれると思ったらそれは大きな間違いです。積極的に自分を磨けるだけ磨いてもらいたいと思います。

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