Waseda Weekly早稲田ウィークリー

キャリアコンパス

作家 乃南アサ 焦らないで何かを見つけてほしい

■のなみ・あさ

80年社会科学部中退。その後、広告代理店勤務などを経て、文筆業に入る。88年『幸福な朝食』で第1回日本サスペンス大賞優秀賞を受賞し、作家デビュー。96年『凍える牙』で第115回直木賞を受賞。著書多数。今もっとも注目される女性作家の一人。

受験は運だめしでした。勉強を始めたのが年明けだったし、浪人すると思ってましたから。そしたら受かっちゃって…。

とにかくフワフワした学生でしたね。モラトリアムの典型みたいな。高校では限られた枠の中での主体性でよかったけど、大学は自由で野放図な中で発揮しなくちゃいけない。私は何にも考えてなかったからそういう意味ではすごくいい加減でした。

受かったから入学したものの、社会科学部にはやりたい勉強がなくて。まわりの人も受験疲れでどよーんとしちゃってるし、だんだん学校に行かなくなりました。私はどちらかといえばものぐさですが、何もない状態は嫌だったんでしょうね。だったら作るしかないだろうって。

当時社学に応援部の主将がいてね。「お前、男だったら本当にワセダマンのタイプなんだよな~」って言われたんですよ。別に反骨精神や問題意識が強いわけじゃないけど、「ま、いいじゃ~ん」ていうのが嫌いというか、白黒つけたいというのがあったからかしら。

大学は二年で辞めました。その頃は自分のペースで居場所を何処に作ったらいいのか、そこまで建設的なことを考えられるほど大人じゃなかったし、慌ててたんだと思います。急に大人にならなきゃいけないような気持ちと、周囲の扱いよりは、自分は大人のつもりなのにっていうギャップもあったんでしょうね。

最初は学校に行き直そうと思ってたけど、二年もぼーっとしてて勉強し直すなんて無理ですよね。それにもうハタチだし自分のことは自分で決めるって大風呂敷を広げて辞めるんだから、また学費をお願いしますとは言いにくい。そこで自立が先だと就職活動を始めました。

最初は小さな広告代理店に入ったんですが、良くも悪くも密度の濃い生活で…。甘い考えで就職したからでしょうね。その会社を三年でやめて、その後、自営業をやることになりました。

私の場合、決断を迫られた時に大抵選択肢が二つ、時には一つしかなくて、嫌でも何でもそれだけということが多かったですね。自分で気持ちを追い詰めてしまうのかな。良くいえば迷いがない。悪くいえば背水の陣を引いちゃうんです。

それで、やっぱり商売も向いていないし、何とかしてこの状況から抜け出そうと、小説を書き出しました。たまたま募集を見て、こりゃいいやって。でも「推理サスペンス」って何かわからなくてね。友人に聞いたり松本清張を片っ端から読んだりして、わかったんだからどうだか。でも時間はない。そんな中で生まれて初めて書いたのが『幸福な朝食』です。

私は今の時代に生きている、または生かされている人間を書きたいんです。皆、生身の人間だから、どんなにとりすましていても気恥ずかしさやみっともなさを持ってる。虚勢を張ったり、頑張れば頑張るほどちらほらと見え隠れするんです。だから人間って面白い。

今でも大学時代の友人と会いますけど、皆もう真四角で融通の効かない人になっちゃって…。学生時代は三流スポーツ紙のHなページで「W大の××クンは…」なんて体験記を書かれていたり、破天荒な生き方してた人たちが。変わらないのは私だけって言われます。

大学に入ったら友達を増やして、急がなくてもいいから何かを見つけるんだって気持ちを持っていてほしい。見つかるんだ、と思って、ただ待っていても見つからないし、焦って見つけても失敗することも多い。だから焦らないで何かを見つけてほしいですね。

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