「出生前診断」の何が問題なのかを考える必要がある
法学学術院 教授 内田 義厚 (うちだ・よしあつ)
1964年静岡県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、司法試験に合格し裁判官に任官。現在は早稲田大学において民事手続法を研究。担当科目は民事訴訟法総合Ⅰ~Ⅲ、民事実務基礎など。専門は民事訴訟法。
民法研究会による裁判形式の討論会 出生前の命の選別は、是か否か――
2014年度には1万人の妊婦が検査を受けたという出生前診断。異常が見つかると中絶を選択する可能性が高く、「命の選別」につながっている現状があります。新型出生前診断をめぐる問題点について、裁判形式で行った討論会。後編は胎児の権利について議論します。
裁判に至る経緯
原告X(出産当時39歳)は夫Aとの間の子を懐妊。Y病院の産婦人科医師Zの診察を受け、以降ZがXの担当医師となった。Xは初産で比較的高齢であったことから胎児の染色体異常の可能性を考え、Zに母体血胎児染色体検査[注1]を依頼。しかしZは「検査は必要ない」と断った。
Xは人工妊娠中絶が可能な満22週未満という時期が迫っていたことから、Zに羊水検査[注2]を依頼。しかしZはこれも断った。その後Xは長女を出産。その子は先天性ダウン症候群を持つ先天性異常児だった。
XとAは不法行為(民法709条)に基づきY病院とZに慰謝料の支払いを求める訴訟を提起。Zが出生前診断を拒否した行為に違法性があるかが主要な争点であるとされ、双方がそれぞれに主張。
「母親の自己決定権」について討論した前編に続き、後編では「胎児の権利」をテーマに活発な討論が行われた。
注1:出生前診断の一つで、母体血中にある胎児由来のDNAを解析し、主に染色体の数の異常であるダウン症などを診断する。
注2:出生前診断の一つで、妊婦の子宮から羊水を採取し、羊水中の物質や羊水中の胎児細胞をもとに、染色体や遺伝子異常の有無を調べる。
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胎児に権利はあるのか?
内田教授(以下、内):次に胎児の権利について考えていきましょう。まず原告からお願いします。
原告チーム(以下、原):胎児の権利について民法3条1項には「私権の享有は、出生に始まる」とあります。今回の場合、胎児は出生していないので権利は存在していません。相続、遺贈、不法行為の損害賠償請求など請求権が関わる場合には胎児の権利能力が認められています。これらは出生した時期が遅いため、わずかに早く産まれた子との差が生まれることを避けるためです。胎児の権利能力は例外的かつ限定的な場面において認められていると考えるべきです。
被告チーム(以下、被):胎児には産まれる権利が存在するのではないでしょうか。民法においては胎児に権利能力は認められていません。しかし相続や遺贈などによっては例外的に権利が認められることに鑑みると、胎児も一定の権利を有すると考えられます。胎児には自然人[注3]が持つ基本的人権までは認められなくても、産まれる権利は認められると考えます。
注3:近代法のもとで、権利能力が認められる社会的実在としての人間のこと。法人と対比して用いられる。
内:被告は例外以外の権利は認められないとのことですが、産まれることそれ自体が権利や利益とはいえませんか。
原:胎児に産まれる権利があると仮定した場合、母親の権利と対立してくると思います。子を育てられなくなってもその責任は親が背負うべきものになります。たとえ障がいがあっても産むべきだと言う人は、ある意味無責任です。障がいがあると事前に分かっていて、かつ経済的に負担が大きいと母親や父親が考えるのであれば、その選択を重視すべきだと考えます。
被:そういう可能性があることは否定できませんが、障がいがある子を持つ親が全員不幸だとは考えられませんし、子の成長を見て幸福になることも多いと思います。
内:では、医師が検査を拒否したことは違法なのでしょうか。原告から意見をお願いします。
原:女性に先天性異常を持つ胎児の中絶を認めるべきと考えます。理由は母親に健常児よりも経済的・精神的負担が多くかかるからです。そのことから母親が中絶を選択できるように、胎児に関する情報を提供する責任が医師にあると考えます。
母親が最初に依頼したのは母体血を用いた出生前診断です。日本産科婦人科学会の倫理委員会の指針では母体血の診断の対象となる妊婦のひとつに「高齢妊娠」を挙げています。また「妊婦が同検査に関する説明を求めた場合には、医師は本検査の原理をできる限り説明し、登録施設で受けることが可能であることを情報として提供することを要する」とあります。
母親が39歳という自身の年齢などから検査を申し込んだ事実を考慮すれば、医師側は母親の申し込みを受け入れ検査を実施する、最低でも検査を行える他の病院を紹介するべきだと考えられるのではないでしょうか。
被:現在、母親の権利と胎児の権利どちらを優先するかの明確な結論は出ておらず、検査拒否当時の被告らの判断が法的に違法であるとはいえないと思います。
内:ここまでで大きく3つの点について議論をしてきました。この問題は、法律論だけで解決するのは難しいことだということが分かりましたか? 原告と被告も、それぞれの主張には理由があります。このような時、さまざまな分野の知見の助けを借りつつ、最終的には当事者が真摯(しんし)に対話し、その中で何が「倫理的」なのかを見出す以外に方法はないように思います。今回の模擬裁判がそのような対話のきっかけになることを祈念しています。
討論を終えて
[内田教授]
科学技術の進展に伴って変化する倫理を考える素材として、将来直面するかもしれない出生前診断の問題を取り上げてみました。倫理とは、人がより幸福に生きるためにどうあるべきかを追求することに本質があると、私は考えていますが、法は、その倫理の最低限を規定しているに過ぎません。ですから、法律学だけで、このような倫理の問題を解決することは不可能に近いです。この問題について真の解決を図るには、法律学や医学だけではなく、倫理学、社会学、宗教学、哲学といったさまざまな学問の助けを借りなければなりません。出生前診断の問題に限らず、現代社会におけるさまざまな問題は、従来の学問体系を超えて相互が協力しなければ解決できないことが増えています。そのため、学生の皆さんには、在学中に、積極的に他の分野の学問の成果も吸収してほしいと思いますし、その際、単に結論だけ覚えるのではなく、そこに至るプロセスにも関心を持ってほしいと思います。また、法律学、特に裁判手続は、生身の人間に対する深い理解が求められます。なぜなら、人間が人間の行いに判断を下すのが裁判だからです。今回の裁判でも、法的な問題だけではなく、母親と医師が抱える葛藤や苦悩をきちんと受け止める姿勢が求められます。皆さんは、大学というステージで、学問以外にも仲間や社会とのさまざまな接触を通じて、そのような人間性も伸ばしてほしいと思います。
[原告チーム]
討論前に高齢出産やダウン症の子を育てる親の体験談を調べ、法の枠では収まらない思いを感じました。(大塚さん)
この討論で自分の意見を膨らませることの難しさと倫理観の大切さを学ぶことができました。(武井さん)
原告と被告、どちらの立場も正論をぶつけられる問題。今でもどちらが正しいのか分かりません。(三澤さん)
私の意見に先生から質問があり、対立側からは別の意見が出る。普段の勉強とは違う経験ができました(林 温子さん)
[被告チーム]
だんだん自分の気持ちが離れテクニカルに走る自分に気付きました。つらい部分もあるテーマですね(林 聖悟さん)
討論しながらつい感情的になってしまいました。それを公正に正すためにも法律が必要だと感じました(政木さん)
人の権利に触れる、その後の人生を決めかねない裁判の難しさを今回の討論で感じることができました(秋元さん)
97%の人が中絶を選択しているが、裏には別の選択もある。さまざまな意見を意識する重要性を感じました(三池さん)
(『新鐘』No.82掲載記事より)