「出生前診断」を考える
妊婦の血液を調べて、胎児の状態を判定する出生前診断。2014年度には1万人の妊婦が検査を受けたといいます。手軽に検査ができるだけに、異常が見つかった場合、十分なカウンセリングを受けないまま中絶を選択する可能性が高く、「命の選別」につながっている現状があります。そこで、新型出生前診断をめぐる問題点について、裁判形式で討論会を行いました。
法学学術院 教授 内田 義厚 (うちだ・よしあつ)
1964年静岡県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、司法試験に合格し裁判官に任官。現在は早稲田大学において民事手続法を研究。担当科目は民事訴訟法総合Ⅰ~Ⅲ、民事実務基礎など。専門は民事訴訟法。
出生前診断の何が問題なのかを考える必要がある
現代社会では技術の進歩により、妊娠が分かった後に胎児の状態を検査できるようになりました。そして、胎児に何らかの先天的異常が発見された場合、多くの親は人工妊娠中絶を選択するという現状があります。
人工妊娠中絶に対する見解は国によりさまざまです。フランスでは人工妊娠中絶は女性の権利の一つとして合法化されています。アメリカでも人工妊娠中絶は認められていますが、この中絶の是非が大統領選挙の争点になるほど、意見は分かれています。ここには医学的な見解以外にも宗教、倫理、社会的通念、胎児の権利など多くの問題が絡んでくるため、しばしば大論争になるのです。
日本の場合、母体保護法によって人工妊娠中絶は以下の2 つの理由の場合に認められています。
①妊娠の継続または分娩(ぶんべん)が身体的または経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
②暴行もしくは脅迫によってまたは抵抗もしくは拒絶することができない間に姦淫(かんいん)されて妊娠したもの
出生前診断により胎児の先天的異常が見つかったケースで中絶ができるか、母体保護法に明確な規定はありません。そのため、ほとんどは出産後の経済的負担という①の理由を拡大して、人工妊娠中絶が行われています。これを医師の側から見ると、本来は命を守る立場にある医師が出生前診断を行うことで、本来生まれてくるはずの新たな生命を絶つ手助けをすることになります。果たしてこれは医師として正しい行動なのかという、深刻な葛藤が生じることになります。また母親は医師以上に悩み、苦しむ中で選択を迫られます。
出生前診断による人工妊娠中絶は、法律以外のさまざまな側面からも考えていく必要があるテーマです。科学の進歩は、生活を豊かにする一方で、それにより生まれる弊害、新たに検討せねばならない課題を発生させます。次ページからの模擬裁判を通じ、倫理と法律が入り組んだこの問題を、皆さんも一緒に考えてほしいと思います。
出生前の命の選別は、是か非か 民法研究会による裁判形式の討論会
裁判に至る経緯
原告X(出産当時39歳)は夫Aとの間の子を懐妊。Y病院の産婦人科医師Zの診察を受け、以降ZがXの担当医師となった。Xは初産で比較的高齢であったことから胎児の染色体異常の可能性を考え、Zに母体血胎児染色体検査[注1]を依頼。しかしZは「検査は必要ない」と断った。
Xは人工妊娠中絶が可能な満22週未満という時期が迫っていたことから、Zに羊水検査[注2]を依頼。しかしZはこれも断った。その後Xは長女を出産。その子は先天性ダウン症候群を持つ先天性異常児だった。
XとAは不法行為(民法709条)に基づきY病院とZに慰謝料の支払いを求める訴訟を提起。Zが出生前診断を拒否した行為に違法性があるかが主要な争点であるとされ、双方の主張が出された。
母親の自己決定権とは?
内田教授(以下、内):ただ今からWeb上模擬裁判を始めます。本件ではまず被告が検査を拒否したことで原告の自己決定権が侵害されたかが争点になります。原告はどう考えますか?
原告チーム(以下、原):日本国憲法第13条において個人の幸福追求権が保障されています。そして幸福追求権を基にして、個人が自身の意思において自身に関する決定を行う自己決定権が広く認められています。本件で問題になるリプロダクティブ・ライツ[注3]も自己決定権に含まれるという考え方があります。
内:次に被告側の主張を。
被告チーム(以下、被):確かに子どもを産まない自由、母親の生殖活動の自由が憲法第13条の自己決定権において認められています。しかし母親の自己決定権とは、子どもを持つか持たないかを女性本人が決めることであり、子どもを性別や障がいの有無で選別することまでは含まれないと考えます。出生前診断の結果により胎児に異常があることが判明した場合、非常に高い割合で人工妊娠中絶が行われるのが現状です。そのため出生前診断を認めると人工妊娠中絶が乱用される恐れがあると考えられます。

胎児の異常が理由と見られる中絶数の変化 (資料)日本産婦人科医会
内:原告に伺います。自己決定権が権利だとして、侵害したものについて法的制裁を加えることができると考えていますか?
原:今回は自己決定権が医師側によって侵害されたことにより先天性異常児が産まれ、母親に負担がかかる事態になりました。そのため責任を問える問題だと考えます。
内:被告は自己決定権について原告と理解は同じですか?
被:自己決定権は自らの人生をどう豊かにするかを決めるための権利だと思います。その点については原告と考え方は同じです。
内:そうだとすると、原告の主張とはどこが違うのでしょう。
被:出生前診断において出産を決定することは母親が子どもを選別することになります。そうなると産まれてくる胎児の自由、権利を制限してしまうことになってしまいます。
内:子どもを検査によって選別することは自己決定権から外れるということですね。
被:母体保護法[注4]は経済的理由での人工妊娠中絶を認めていますが、障がいの有無で判断する旨は書かれていません。
内:分かりました。次は母体保護法との関係について議論したいと思います。この件に関して原告から主張をお願いします。
原:母体保護法には胎児の先天的異常を直接の理由にして中絶を認める胎児条項[注5]は存在しません。しかし実際には経済条項を理由に中絶が行われています。障がいを持つ子を産むことで母親に経済的負担が生じるのは事実であり、中絶はこれを避ける仕方のない選択です。経済条項の枠内で、できる限り母親の中絶の権利を認めるべきです。
内:今の件について被告はどのように考えますか。
被:原告が言うとおり、母体保護法には胎児条項はありませんし、また、経済的理由を拡大解釈することは、母体保護法の条文からあまりに離れていると考えます。その意味で、医師にとって胎児条項がない現時点での人工妊娠中絶は、堕胎罪[注6]に問われかねない、リスクの高い行為です。検査を拒否したのは、検査によって先天性異常児が産まれることが発覚した場合には、人工妊娠中絶に至る確率が高いこと、そのような妊娠中絶を導く検査を勧めることが、人の命を救うことを使命とする医師として許されるとは考えなかったこと、出生前診断を行うことは、流産のリスクがあること、母体血胎児染色体検査は、その簡便さゆえに妊婦が十分な認識を持たずに検査が行われる可能性があり、検査結果が確定的なものであると誤解する可能性があることによります。
内:原告の主張は胎児条項がなくても現在の法律の解釈で問題ないということですね。
原:胎児条項の解釈を経済条項に入れてはならないという議論もありますが、母親が人工妊娠中絶を選ぶ理由に差別意識はありませんし、アメリカの裁判では母親に経済的負担がかかるから損害賠償ができるという事例があります。
被:この件は現在の母体保護法を拡大解釈している現状があり、真に母体保護法がこのケースにおいて中絶を認めているとはいえないのではないか。私たちはそう考えています。
注1:出生前診断の一つで、母体血中にある胎児由来のDNAを解析し、主に染色体の数の異常であるダウン症などを診断する。
注2:出生前診断の一つで、妊婦の子宮から羊水を採取し、羊水中の物質や羊水中の胎児細胞をもとに、染色体や遺伝子異常の有無を調べる。
注3:1994年のカイロの国連会議で国際的承認を得た考え方で、女性が身体的・精神的・社会的な健康を維持し、出産について自ら決定する権利のこと。
注4:母性の生命健康を保護することを目的とする法律。もともとは優生保護法という名称だったが1996年の法改正で名称が変更された。
注5:胎児に障がいや病気などの異常があった場合には、人工妊娠中絶を認めるということを法律(母体保護法)の条項に明記すること。「胎児条項」に関しては、1970年代から議論が展開されていた。
注6:日本では刑法第2編第29章に「堕胎の罪」が規定されている。堕胎(妊娠中の女子が薬物を用い、またはその他の方法により堕胎)、同意堕胎及び同致死傷(女子の嘱託を受け、またはその承諾を得て堕胎)、業務上堕胎及び同致死傷(医師、助産婦、薬剤師または医薬品販売業者が女子の嘱託を受け、またはその承諾を得て堕胎)、不同意堕胎(女子の嘱託を受けないで、またはその承諾を得ないで堕胎)、不同意堕胎致死傷(刑法215条の規定である不同意堕胎の罪を犯し、よって女子を死傷させた者は、傷害の罪と比較し、重い刑により処断)が規定される。なお医師会の指定する医師が母体保護法第14条に基づいて行う堕胎は罰せられない。
>> 後編へ続く(12月22日掲載予定)
(『新鐘』No.82掲載記事より)