大人主導から子ども主導のスポーツへ 早くから始めればスポーツの才能が開花するという従来の定説を考え直す必要があります。
スポーツ科学学術院 教授 広瀬 統一(ひろせ・のりかず)
1974年兵庫県生まれ。1997年、読売日本サッカークラブ(現東京ヴェルディ)ユーストレーナーを経て現職。財団法人日本サッカー協会フィジカルフィットネスプロジェクトメンバー。2008年、サッカー女子日本代表チームのフィジカルコーチに就任。専門はトレーニング科学。
東京五輪に向けて、各競技で10 代の選手に対する期待が高まっています。事実、近年、多くの国でさまざまなスポーツエリート政策が展開されていますが、一方で、超早期(7歳未満)や早期(13歳未満)に専門競技を始めることについては、最近になって問題点も広く指摘されるようになってきました。
そもそも、専門競技開始年齢の低年齢化はトップ選手の輩出につながるのでしょうか。北京五輪出場選手へのアンケート調査によると、水泳、体操、フィギュアスケートといった競技の選手には、超早期から一貫した強化を行っている傾向が見られました。これらの競技は全身を使った芸術性が高い種目であることが特徴です。対して、超早期にも早期にも当てはまらなかったのが、射撃、ボート、バレーボールといった競技の選手で、12~15歳くらいで当該競技を選択していることが明らかになりました。
さらに、国際レベルの選手と国内・地域レベルの選手のスポーツ経験に関する比較調査では、前者の方が幼少時代のスポーツ経験数が豊富で、小学校高学年から中学校にかけて、適性に合った競技を絞り込んでいったケースが多いことが報告されています。 一連の調査は、子どもの将来のスポーツの可能性の見極めや、専門的なトレーニングの導入時期について、「早ければ早いほどいい」と絶対視することは、科学的な根拠に欠けていることを意味しています。
では、幼少時代からのスポーツ経験について考えてみたいと思います。筋肉や骨格が未発達な子どもは、繰り返しの動作によって障害が引き起こされる可能性が成人に比べて高い。それを回避するには、専門的なトレーニングにかける時間を他の運動に使って、さまざまな部位に負荷を分散させることが有効な手段と考えられます。実際にトレーニング時間が多いとけがの発生率が高くなることも報告されています。
また、スポーツをめぐってはドロップアウトやバーンアウトの問題が付きまといます。多くの子どもが高校生になるとスポーツをやめてしまう傍ら、そのころから優れた才能を発揮する選手もいます。複数のスポーツ経験は、物の捉え方の幅を広げ、将来に対する的確な見通しを持つ力を養います。この点からも、早くから特定のスポーツの世界に没入してしまうことは避けた方がいいといえるでしょう。
さらに、数ある競技の中には、基本的な動作が近似しているものがあります。たとえば、2003年からFIFA女子ワールドカップに出場し、アメリカ代表チームを牽引(けんいん)したアビー・ワンバック選手は、高校時代にバスケットボール選手としても高い評価を受けていました。サッカーとバスケットボールのパフォーマンスを左右する共通の要因に、空中でのボールコントロールがあります。ワンバック選手は2つの競技を通じてこの動作の正確性を高めたものと推測できます。
このように、子どもが複数のスポーツに挑戦できる社会環境が整っている国に対して、日本はどうでしょうか。「野球道」などの言葉が表すとおり、私たち日本人はストイックに一つの「道」を極める精神性を持ち合わせており、それが知らぬ間に将来のスポーツの可能性の芽を摘んでいるケースも少なくありません。たとえば、サッカーの練習に体操や陸上競技など他のスポーツの要素を取り入れることで、より巧みな動きが身に付くことが期待できます。
また成長期には早熟、晩熟が体格や体力に影響するので、特定の競技だけでは持っている能力を生かしきれないこともあります。シーズン制のように多様な競技経験を得ることは、子どもが自身の適性を見いだす機会になるだけでなく、大人が見過ごしていた、子どもの能力を発見する機会にもなり得るでしょう。そして何より重要なのは、子どもが特定のスポーツを続けることの意義を見いだしているかどうか。IOC (国際オリンピック委員会)の「Youth Development」においても、スポーツを大人主導から子ども主導のものに変えなければならないと提言されており、この転換の成否がスポーツそのものの未来に大きな影響を与えることは間違いありません。
(『新鐘』No.82掲載記事より)