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「禁断の扉」を開けた量子力学

プロローグ:歴史の変化を読む① 後編 ニュートン、アインシュタインが切り拓いた世界

koyama

社会科学総合学術院 教授 小山 慶太(こやま・けいた)
1948年、神奈川県生まれ。1971年、早稲田大学理工学部卒業。理学博士。専門は科学史。著書に『科学史年表』(中公新書)、『若き物理学徒たちのケンブリッジ』(新潮文庫)、『ノーベル賞でたどる物理の歴史』(丸善出版)、『マンガおはなし物理学史』『光と重力』(共にブルーバックス)などがある。

 

>>プロローグ:歴史の変化を読む①前編はこちら

光の粒子説と波動説

17 世紀後半、光の正体をめぐって、ニュートンとまったく異なる立場を取ったのが、顕微鏡での細胞観察や「フックの法則」(弾性に関する法則)の発見で有名なフックでした。彼は空間には見えない媒体が均質に充満しており、光はその中を伝わる波動と考え、光は波動であると反論したのです。もう一人、17世紀末に「光の波動説」を提唱したホイヘンスは、光を伝える媒質を「エーテル」と仮定しました。その後、18世紀を通して、しばらくは光の粒子説と波動説は共存し、論争が推移していきました。

19世紀初めには、ヤングによって光の波動説が再び世に出ましたが、その直前に赤外線と紫外線という目に見えない光線の存在が明らかになったことで、光の粒子説が後押しされることにもなりました。一方、フレネルが光の直進・回折・干渉を波として説明して波動説を実証したほか、1850年にはフーコーが、粒子説では、光は空気中よりも水中を走ると速くなるはずだったところを、遅くなることを発見したことから波動説を確立。1864年にはマクスウェルが「電磁波理論」を完成させ、光は空間を伝わる波動である電磁波の一種だと証明しました。

ミクロ世界の発見

人間は自分の目で見ることのできる身近なことから疑問を持ち、物理学を発展させていきました。人間の目に見える現象を扱っているのがニュートン力学です。ところが、1895年にレントゲンは、偶然にもX線を発見します。これにより、人間の五感に訴えないものもあるということを知る、禁断の扉を開けてしまうことになります。さらに放射線や電子なども見つかり、目に見えないミクロの世界に踏み込むと、それまで世界の真理だと信じられていたニュートン力学では説明できないことが分かり、それに変わる新しい理論として生まれたのが「量子力学」です。

量子の考えが出たきっかけとしてはもう一つ、19世紀後半にドイツを中心に盛んになった鉄鋼業が関係しています。鉄が溶けるほどの何千℃という温度になると温度計は役に立たず、溶鉱炉の温度は熟練した職人が目で見て判断していたわけです。しかし、より良い製品を作るのに正確な温度を測定する必要が出てきたため、「熱放射」という現象が用いられるようになりました。この測定値を式に当てはめようとすると、従来の物理学では行き詰まってしまいますが、試行錯誤を重ねて1900年にぴったり一致する式を見つけたのがプランクです。彼は熱放射を理論的に研究し、式の中にプランク定数を導入、量子仮説を提唱して量子論への道を開きました。

量子論の登場。アインシュタインへ

しかし、あらゆる自然現象はニュートンの運動方程式によって全て説明できると考えてきた物理学者たちにとって、それまでの常識を覆す量子力学の世界観は受け入れがたいものでした。そんな中、プランクの量子論の原理をうまく使って、光電効果といわれる現象を説明し、その正当性を説明したのがアインシュタインだったのです。彼は1905年、プランクのエネルギー量子仮説に基づき、光量子仮説を発表し、光の正体が波でもあると同時に粒子でもあると説明しました。いわゆる「粒子と波動の二重性」です。彼は光の速度の探究から相対性理論を、光の実体の研究から光が粒であることを発見し、1922年には光電効果の理論によりノーベル賞を受賞しました。

アインシュタインが導き出した「E=mc²」という有名な式がありますね。特殊相対性理論の結果、質量に光速の2乗を掛けたものが、その物質の持つ全エネルギーであるということです。そこに至るまでのプロセスは簡単ではなかったでしょうが、中学校の数学の知識でも理解できるほど簡潔なこの式に、宇宙の真理が詰め込まれているのです。燃えている太陽も原子爆弾のエネルギーも全てこれで説明できます。ですから、本当の真理ほど単純できれいなのではないでしょうか。

矛盾や不明点が残るが広く応用される量子力学

この後、1927年にハイゼンベルクの不確定性原理、ボーアの相補性原理が提案されます。いわゆる「コペンハーゲン解釈」と呼ばれるものですが、アインシュタインは物理の方程式の結果が確率であることを受け入れず、「神はサイコロ遊びをしない」として異議を唱え続けました。

量子力学では、観測するまで粒子はいろんな状態が重なり合って存在するという意味から「重ね合わせ」という状態を考えます。1935 年に発表された有名な「シュレーディンガーの猫」もそういったパラドックスの一つで、ふたのできる箱に毒の入った容器と猫を入れて、放射性物質の崩壊を検出したときに容器が割れて毒が猫を殺す仕掛けがしてあります。コペンハーゲン解釈によると、ふたを開けるまで猫の状態は分からず、箱の中では生きた猫と死んだ猫が重ね合わせの状態でいることになります。現実的には、半分生きていて半分死んでいるという状況はありえないため、成り立たないというわけです。このような矛盾点や不明点は現在も残っていますが、量子力学は広い範囲に応用され、成果をあげているのです。

アインシュタインは1905年に26 歳で特殊相対性理論、1915 年に36 歳で一般相対性理論を提唱し、当時の常識を覆すような偉業を成し遂げましたが、そこに至るまでにはそれなりの逡巡(しゅんじゅん)もあったでしょう。勇気も必要だったはずです。科学の研究形態も時代とともに大きく変わってきましたが、やはり原点には面白いと思う気持ちが大切だと感じます。皆さんも大学の4年間、何か自分で面白いと思うことを見つけて、それに打ち込んでほしいと思います。

(「新鐘」No.82掲載記事より)

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