三日目は石山修武理工学部教授が登壇。本学の景観について、佐藤功一・今井兼次両先生の思い出を交えて展開。その後、ご自身の設計による観音寺等の例を挙げ、建築を通して見た「現代」像を鮮やかに描き出していった。
僕は西早稲田キャンパスを故郷として濃厚に記憶しています。大隈銅像から大隈講堂への軸線は変わらない方がいい。大学がシンボルにすべきなのは、記憶や歴史。その共通の基盤・風景は大事にしなくちゃ。日本では建築投資の九十八パーセント以上が新築と、壊しては建てる、という歴史に対する認識の浅さが垣間見える。でも、バブル終了後、古いものや記憶、歴史が気持ちのエネルギー源になるから急に壊してはいけない、という考えが定着し始めた。いとおしんで長生きさせるために、技術や知識を使う時代になっています。 僕ら高度成長世代は情熱と意欲があれば何をやっても生きていけると思っていたけど、今の学生はアイデンティティーを必死に追い求めている。それが元気のなさの内実だと気付きました。学生は自分が何者であるか知りたくてレポートを書く。後は、異常に父親に関心がある。学生たちの書いたレポートは均質のようで、ディテールが全く違うんです。新しいスタイルのアイデンティティーが生まれています。均質に見えても、それぞれにアイデンティティーがあるということを学生から初めて教わりました。
住宅の設計にいい思い出はないけれど、終わってみると面白くて忘れ難い。一見平凡そうでヘンな人に会うといい建築ができる。ちょっとした違いを必死で表現しようとする、このエネルギーを上手にすくいとるといい建築ができると思う。超高層ビルに知識や技術を注ぎ込むのではなく、それぞれの人間にあるそれぞれの人生のささやかな違いを慈しむ、という高度な作業が必要になる。百人のためには百人の、千人のためには千人の建築があるんですよね。