アメリカ・ユタ州で1976年にモルモン教徒2人を銃で殺害し、自ら死刑を志願して執行されたゲイリー・ギルモアとその家族のトラウマの歴史について、実の弟が取材し語ったノンフィクション『心臓を貫かれて』(1996年、文藝春秋、マイケル・ギルモア著、村上春樹訳)を読んだ。約20年前に同書を購入したものの、読まないまま時間が過ぎてしまっていた。今回改めて手に取ったところ、負の歴史を抱えた家族の中で、人間の精神が暴力によって傷つけられ破壊されていく過程と悲劇的な結末が書き込まれており、ページをめくるごとに圧倒された。
同書は学生時代に読んでおくべき本だったのかもしれないが、教員として生徒や学生と直に関わるようになった今、読まれるのを待っていたようにも感じる。村上春樹は訳者あとがきで、「ある種の精神の傷は、一定のポイントを越えてしまえば、人間にとって治癒不能なものになる。それはもはや傷として完結するほかないのだ」と述べている。この犯人のものほど深く損なわれた魂ではないとしても、家族や学校生活の中で、誰しもが何らかの傷を負っている。心の傷を内省によって一人で癒やそうとする者もいるし、他者とのつながりによって回復しようとする者もいる。
教え子のそのような試行錯誤を日々見守りつつ、回復のプロセスに寄与したいと思っているが、その難しさも痛感している。ただ言えるのは、一人きりの時間は自分の魂の形を知る機会であるし、自分の孤独を理解してくれる他者とのつながりが心の傷を癒やしてくれるだろうということだ。
(T)
第1010回



