助け合うということは大切なことである。しかし、とても難しいことだ。何をすることが相手を助けることになり、何をしてもらったら助けられたと自分が感じるのか。最近このことを改めて考えさせられる例があったので紹介しよう。学生の皆さんにとって身近な例である。
論文やレポートにおいて盗用・剽窃(ひょうせつ)をしてはいけない、という話をする機会が多くなった。具体例をあげて強調することもある。友達のレポートを写し、自分の作成したものとして提出してはいけない、などである。
友人がレポートを写させて欲しいと頼んできたらどうするかということについて、学生達と話し合ってみた。もし友人が本当に困っていたら写させてあげるかもしれない、という意見があった。友人だったら助け合わなければいけないと考えるからなのだそうだ。この意見を聞いて頷(うなず)く学生もいる。
彼らは、このような行為がよくないことがわかっていないのではなかった。何をすることが相手を助けることになるのか、何をしてもらったら助けられたと自分が感じるのか、ということが問題だった。この点を議論することで、論文やレポートにおける盗用・剽窃問題を超えて、本当の意味での友人との助け合いとは何かを考える機会となった。
助け合いというのは友人や家族との間だけでおこなわれるわけではない。災害時の助け合い、国と国との助け合い等、現代社会においては様々なレベルでの助け合いが必要とされている。何が相手のためになるのかを熟慮し、信念をもって行動できるようになりたい。
(S)
第987回