文学部4年
ICC(異文化交流センター)・学生スタッフリーダー
水落 真央
私は2015年6月から3年弱の間をICCで学生スタッフリーダーとして過ごしました。振り返ってみると、学生スタッフとして貢献したという達成感以上に、自分がICCでいただいたものの大きさを実感しています。この文章は、ICCに興味があってもイベントに参加する勇気が出なかった頃や、学生スタッフに応募するかどうか迷っていた頃の自分と同じような気持ちの方に向けて書かせていただきたいと思います。
悩んだままの自分でいい
ICCでは半年に一度、新しい学生スタッフが入ってくるたびに、「なんで学生スタッフになろうと思ったの?」というような会話が交わされます。こんなとき、はっきりとした理由を口にする人もいれば、漠然とした気持ちをうまく言葉にできない人もいます。私はどちらかと言えば後者です。
私がICCと初めて関わりをもったのは、学生スタッフになる以前の2014年秋でした。春に入ったサークルで夏の合宿を最後に幽霊部員になっていた私は、何かサークル以外の形で活動できることがないかなと考えたところ、入学式のオリエンテーションで目にしたICCのプレゼンが頭に思い浮かび、ICCイベントのサポーターに応募しました。
サポーターとして関わったイベントは9月入学の留学生向けのもので、早稲田に来たばかりの留学生たちが日本文化を体験し、新しい友達を作る手助けをすることは、少し手助けさせてもらっただけの私にとっても喜びになりました。また、イベントを運営する学生スタッフの皆さんがとても生き生きと輝いて見えて、自分もこんな風になりたい、と漠然とした憧れを抱くようになりました。
翌年春に学生スタッフの募集が始まり、応募することを決めましたが、それでも書類を提出するのには勇気を振り絞りました。当時は憧れがあるあまり、学生スタッフの皆さんと自分を比較して自信をなくしていたのだと思います。また、国際交流に関してはっきりとした志もなかったため、こんな漠然とした気持ちで応募して大丈夫なのかという不安もありました。
学生スタッフとして2年半過ごしてきて今感じるのは、こうした自信のなさや不安は自分だけのものではないということです。先輩・同期・後輩を問わず、能力があって人柄も素敵な人でさえ、それぞれ苦手意識や克服したいものがあります。ですから、もし学生スタッフに応募するか悩んでいる人がいれば、「こんなつまらないことで悩んでいる自分が恥ずかしい」なんて思う必要はまったくないのだとお伝えしたいです。悩んでいるままの自分で大丈夫です。他人から見れば「そんな事を気にしてるの?」というようなことでも、自分の悩みは自分だけのものですから、大切にして下さい。それを克服しようとすることで、前向きな行動に繋がりさえすればいいのだと思います。私自身も、こうした思いがあったからこそ、自信をつけるために挑戦してみよう、自分なりに国際交流について考えてみよう、という姿勢でICCでの活動に取り組むことができました。
国際交流から異文化交流へ
私が学生スタッフになった当時はICCの名称が「国際コミュニティセンター」だったということもあり、はじめの頃は、何をもって「国際交流」なんだろう?と考え続けていました。ICCの活動をもっとも簡潔に紹介すると、「日本人学生と留学生が交流できるようなイベントやプログラムを開催している」という風になりますが、実際の活動は多岐にわたります。たとえば、特定の国や地域の文化を紹介するカントリー・フェスタ、グローバル企業の社員の方を招いて企業戦略についてご講演いただくトーク・セッションなどが、私が学生スタッフになった当時開催されたイベントの一例です。
しかし、いざ自分がイベント企画を提案する立場になってみると、「国」に焦点を当てることや、日本の企業や人材が海外に進出するという意味での「グローバル」という視点で自分が企画をすることには違和感を覚えました。その違和感の正体を考えて気が付いたのは、私が自分の企画で目指したいのは「日本人」と「外国人」の交流ではなく、そういった垣根そのものが無いフラットな場を作ることだということです。
ICC在籍期間中に私が企画したイベントのなかで、このような思いから出発したのが「花見フィールド・トリップ」「都電荒川線の旅」「ICCビブリオバトル」の三つになります。これらのイベントでは、互いの国を意識することなく参加者同士が交流し、自然と友達になれるような場にすることを目指しました。
また、「国境を超えるレインボーフラッグ~21世紀のLGBTを考える~」「WASEDA LGBT ALLY WEEK」というLGBTをテーマにした二つの企画に携わった経験は、「国際交流」から「異文化交流」へとマインドを変える大きな転換点となりました。どちらのイベントでもLGBT当事者の方たちの経験をお話しいただき、参加者同士が交流する機会が設けられ、私自身も色んな方と直接お話しすることができました。これを通じて感じたのは、LGBTという言葉でカテゴライズされながらも、一人ひとりが自分だけの経験をしてきた、異なる個性をもった人間なのだということです。
このことは、日本人学生と外国人学生の交流にも当てはまります。私の場合は、外国人学生と話すとき、「自分は日本人」という意識でいると、なんだか距離の縮め方が分からなくなっていました。ですが、自分はあくまでも私という一人の人間で、「日本人」とか「早大生」というカテゴリを背負う必要がないと思えば、気持ちは軽くなりますし、私だけの個性を見つけてもらえる気がします。そんな風に考えると、相手のことも同じように、「○○人の××さん」ではなく、ただのその人のことを見て向き合えるようになりました。こんなやり方が、私がICCで見つけた異文化交流のマインドです。
異文化交流は、相手を尊重することであると同時に、自分自身も自然体でいるからこそ意味があると思います。新しい出会いがほしい、自分とは違う個性をもった色んな人と話したい、そんな風に考える一人ひとりの自然体の個性を、ICCは必要としています。今はまだ自覚していないかもしれませんが、自分自身の素敵な個性を、きっと異文化交流を通じて発見できるはずです。拙い文章ではありますが、ICCに興味がある方の背中を少しでも押すことができれば幸いです。
学生スタッフ
水落 真央