Waseda University Intercultural Communication Center (ICC)早稲田大学 ICC(異文化交流センター)

その他

早大生アイデンティティ (加藤 真理子)

pic130605-1アジア太平洋研究科修士課程2年
加藤 真理子
ICC学生スタッフリーダー在職期間
2009年9月~2013年3月

私の学生生活は、ICC抜きに語れない。ICCとの出逢いがなければ、この私が6年間も早稲田大学に在籍することは有り得なかった・・・絶対に。

早稲田嫌い

私がSSLになったのは国際教養学部3年次の9月であるが、実のところ、私はそれまで早稲田大学をまったく好きになれずにいた。そもそも、高校時代に進路希望を出したときから担任や両親に「向かないんじゃない?」と警告されていたし、私自身特別な思い入れがあって入学したわけではない。それでも「せっかくだから」と、早稲田らしい(?)いわゆる“ガチ”なサークルに入ってそれなりに充実した毎日を送っていた。しかし、次第に他のメンバーたちとの間に意識や感覚のズレを覚えるようになり、1年の秋にはやめてしまった。気持ち新たに2年次の一年間はフィリピン大学へ留学するも、3年生の春に帰国すると同期の国際教養学部生はほぼ全員留学中(フィリピンの新学期は6月に始まるため、私の留学時期は他の学生より半年間早かった)。よって、所属サークルがない上に、学部にまで知人がほとんどいない状態の私は、早稲田での居場所を完全に失ったような気がしていた。授業を受け、教室でひとりお弁当を食べ、誰とも会話せずに帰宅するようなキャンパス・ライフが楽しいはずはなく、「とっとと卒業して、アメリカの大学院に進学しよう。早稲田なんか、やっぱり好きになれない」・・・ずっとそんな風に考えていた。

ただ、今思えば、私が本当に好きになれなかったのは早稲田大学ではなく、早稲田に来たことを喜べずにいた後ろ向きな自分自身だったのだろう。「『私は早稲田でこれをやった!』という何かを残せないまま卒業しちゃって、本当にいいの?」と、自分自身に問うていたのも事実。しかし、広大な早稲田大学のなかでその「何か」を見つけ、存分に力を発揮し、そこが自分の居場所だと思えるようにすることは非常に困難に感じられた。その上、当時すでに3年生。さすがに諦めをつけ、「こんな大学生活もあるよね」と現状を受け入れようとしていた。

ICCとの出逢い

そんな私に、チャンスは突然舞い込んで来た。3年前期最後の日、とある授業の先生がICCの学生スタッフリーダー(SSL)募集について宣伝され、授業が終わると私のところに来て、こう言ってくださったのだ。「加藤さん、あなたに向いていると思うんだけど、受けてみない?」。

正直なところ、私はICCのイベントに参加したことは一度もなかった。フレンチ・アワーやランゲージ&カルチャー・エクスチェンジのポスターを見て興味を持ったことはあったものの、「交流しましょう!」「ネットワークを広げましょう!」といったキャッチフレーズにいつも尻込みしてしまっていたからだ。「フランス語は練習したいけど、別にICCで友達をつくろうとは思わないし・・・。どうせ知らない人と当たり障りのない会話をして、気を遣って疲れるんだろうなぁ・・・」というのが、当時の素直なホンネである。そんな自分がSSLに向いているとも受かるとも到底思えなかったが、先生に勧めていただけたことが純粋にうれしく、また「なにかが変わるかもしれない」という思いが込み上げてきたのを覚えている。

こうして、私は初めて訪れたICCオフィスでドキドキしながら応募資料を提出し、幸運にもSSLになることができた。初めて書いたICCのブログでは、新SSLとしての自分の課題を「留学生のみなさんの『居場所探し』をお手伝いすること」としているが、正直、これはあくまで表向きの所信表明。なにより私は、自分自身の居場所がほしかった。SSLへの応募は、早稲田大学での自分を変えるための「最後の賭け」だったのだ。

進路変更

pic130605-2SSLとして働くための絶対条件は、「早稲田大学に在籍する学生」であるということ。つまり、すべてのSSLは「卒業まで」というタイムリミットを抱えながら仕事をしている。3年生の9月にSSLになった私に与えられたのは、1年半。この時間のなかで、自分がSSLとして実現したいこと・すべきことを達成しなければならないのであるが、これがなかなか難しい。新人時代は日常業務を早く習得しようととにかく必死で、少し慣れてきた頃には各種イベントの企画・運営という重要課題で頭がいっぱいになる。目の前のタスクをこなすことに精一杯の毎日が飛ぶように過ぎていくなか、自分が「実現したいこと」と「すべきこと」が一体何かは意外なほど不透明で、深く考える余裕もなかった。

気が付いた頃には私は4年生の春を迎え、SSLになってすでに半年が過ぎていた。自分が企画したイベントの一つひとつには熱い想いを込めていたし、関わったイベントには常に全力で取り組んでいたつもりだ。しかし、今ひとつ何かが足りない。「SSLとして、もっとできる何かがある」 漠然とではあるが、そんな気がしていた。同時に、その何かを達成するには、残り1年のタイムリミットは短すぎるように思えてならなかった。「もっと長くSSLを続けたい」と考えた私は、それが可能になる唯一の手段を選択することにした。目標にしていたアメリカの大学院から、早稲田の大学院へと進路を変更したのだ。これを決断するまでにはずいぶんと悩んだが、ICCにはそれくらいの価値があると確信していた。一刻も早く早稲田を卒業したくてたまらなかった半年前の自分からは想像もつかない、4年生春の重大決心であった。

SSLという名のスーパーマン

こうして、結果的に私は3年半もの間ICCに在籍したのだが、SSLとしての自分を振り返ってみると「スーパーマンみたいだったな」と感じることがある。一学生としての自分では到底できなかったこと、いや、「私には無理」と思い込んでいた数々のことが、SSLとしてであれば「できること」へと変わっていったからだ。なんといったって、「交流しましょう!」のノリが苦手でICCイベントにまったく参加できなかった私である。そんな私ですら、SSLとして人前に立てば、緊張気味の参加者たちの輪のなかに「こんにちは~!」と笑顔で割り込めてしまう。「先輩SSL」として、後輩SSLに厳しめにお説教したことも一度や二度ではない。正直、「こんなこと、できれば言いたくないなぁ・・・」ということだってあったし、それを言って後輩からどう思われるかとても不安だった。しかし、それがICCのためであり、SSLとしての自分の責務だと思うとがんばれてしまうから、不思議なものだ。

「私には無理」と思い込んでいたことができたとき、それは新たな「自信」となって蓄積されていく。私は、ICCでたくさんの自信をつけるきっかけを与えてもらった。正義の味方とまではいかないが、SSLになってからの自分は、少なくともそれまでの自分より何倍もカッコよかったかなと思っている。

存在意義は自分で創る

pic130605-3SSL(学生スタッフリーダー)は、文字通り全員が「リーダー」としての役割を担っている。イベントやプロジェクトを企画しメンバーを集めれば、その先頭に立って人を束ねることが求められる。かといって、一人ひとりが自分の企画をまわしていくだけではICCは成立しない。落とし物をポータルオフィスに届けたり、掲示板の期限切れポスターを剥がしたりという地味な仕事だって、重要なSSL業務だ。しかし、こういった日常業務はうっかり忘れられてしまいがちでもある。ICCでの在籍期間が長くなるにつれ後輩が増え、自ずと「先輩SSL」としてのプレゼンスが高まっていった頃、私は今一度ICCで「実現したいこと・すべきこと」をじっくり考えた。そして、職員の方からの助言もあり、見落とされがちな日業業務の「穴」を埋めていく役割を率先して担っていこうと決めた。ICCにとって重要なことだと思ったし、イベント企画・運営より、むしろ自分には向いているような気もしたからだ。

それからというもの、私はより一層主体的に仕事に取り組むようになった。常に意識していたのは、「気づき」を他のSSLたちと共有するということ。小さなことから大きなことまで、「ここが欠けている」と気づいたことは自分ひとりで抱え込んだり、また解消したりせず、あえて後輩たちに投げかけた。彼らからしてみれば、「いちいち口うるさい先輩」と映ることもあったかもしれないし、私自身、自分で片付けてしまったほうが早いし楽だなと思うこともあった。しかし、いつまでもそれを続けていては後輩が育たず、代替わりの早いICCという組織が成り立っていかない。前述のように、「SSLとしてやらなくちゃいけないことだから」と自分を奮い立たせた。

こうして時を重ねていくうちに、ICCにおける私のカラーは少しずつ濃くなっていったのではないかと思う。SSLの多くは、「個性の強いSSLに囲まれて、自分のカラーをなかなか出せない」と悩み、独自の役割みたいなものを探そうと必死になる。誰だって自分の存在意義を見出したいものだから、ある意味こう悩むのは当然のことかもしれない。しかし、私自身の3年半を振り返ってみると、気がつくことがある。「存在意義は、探すものでも見つけるものでもなく、自分自身で“創る”もの」だということだ。そもそも、何もしないうちから「ICCにとって意義のある人」になろうだなんて、虫の良すぎる話ではないだろうか。組織のなかである程度「自分、がんばったな」と思えたとき、自身のコミットメントと関わった人々との関係性のなかで築き上げられているもの、それこそがその人の存在意義なのだろう。

居場所を求めて・・・

pic130605-4この広い早稲田大学に通う55,000人以上の学生のなかで、「私の居場所はここ!」と胸を張れる人はいったいどれくらいいるのだろう。それはゼミかもしれないし、サークルかもしれない。私にとってのそれは“たまたま”ICCであった。この先もずっと付き合っていきたいと思える大好きな人々と出逢うきっかけも、新たな自信を持ち始めるきっかけも、そして嫌いだった早稲田と早稲田での自分を好きになるきっかけも、ICCがくれた。ICCで数々のきっかけをもらったおかげで、私の早稲田生活がどれだか豊かになったことか。あのとき、勇気を出してSSLに応募していなかったら・・・と考えると、正直ゾッとする。

私はずいぶん長いこと「居場所探し」をしたし、SSLになってからも留学生の「居場所探し」のお手伝いがしたいと思っていた。ただ単に存在することを認めてもらえる場所だったら、いくらでもあったはずだ。でも、求めていたのはそれではない。「自分の存在意義を見出せる場所」だったのだと、やっとわかった気がする。そして、このように定義づけしてみると、居場所もまた「探すものでも見つけるものでもなく、自分自身で“創る”もの」なのだろうと思いを新たにしているところだ。

広く、大きく、多様な学生が集う早稲田大学。一人ひとりの学生が、そこで自らの「早大生としてのアイデンティティ」を確立し、個性を発揮し、コネクションを感じていくのは、やはりそれぞれの小さなコミュニティなのだろう。私にとって、それがICCであったことを心から幸運に思う。さらに、今後もICCが早大生にとっての貴重な「居場所候補のひとつ」であり続けることを切に願っている。

最後に、この場をお借りして、ICCで出逢ったすべての人に感謝の気持ちを表したい。みなさんと共有することができた一瞬一瞬の時間は、私の財産です。本当にありがとうございました。

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