Crema
「早稲田大学の◯年生です」「〇〇の活動をしています」
普段の自己紹介で、私はそうした言葉を当たり前のように使ってきた。大学名や学年、活動内容といった「属性」は、自分を短い時間で説明するのに大変便利だ。しかし同時に、自分の決して短くない人生が「早稲田大学」や「活動」といったいくつかの言葉に回収されることに言いようのない違和感も抱いていた。
「国籍・学部/大学院・学年・年齢を言わない・聞かない」
こうした「ノーボーダー・ルール」のもとで行われたキャンプだったが、属性に頼らずに自分を説明しようとすると、想像以上に言葉に詰まった。そのとき初めて、私は自分自身のことも、そして他者のことも、いくつかのラベルを手がかりに理解した気になっていたのかもしれないと気づいた。普段の生活では、私たちはどうしても「〇〇に属するということは、この人は〇〇な人だろう」と、いくつかの属性から相手を理解した気になってしまう。最近は性格診断など、自分や他者を素早く把握するための指標もよく目にする。便利ではあるが、その過程でこぼれ落ちてしまうその人の考えや感覚が確かにあるのだと思う。
キャンプの中で特に印象に残っているのは、いくつかのテーマをもとにそれぞれの価値観を共有したワークの時間だ。「あなたの理想の環境は何か」「誰を一番尊敬しているか、その理由は?」といったテーマについて、小さなグループで話し合った。静かでゆっくりとした会話だったが、不思議と居心地のいい時間だった。相手の国籍や専攻、これまでの経歴を知らないまま、その人の考えや価値観を少しずつ知っていく。まっさらなキャンバスの上に、その人の言葉が一文ずつ書き加えられていき、その人の輪郭が少しずつ浮かび上がってくるような感覚だった。
- Photo by ICC
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最終日の夜にはキャンドルを真ん中に置いて輪になり、いくつかの歌をみんなで声を合わせて歌う時間があった。国籍も母語もおそらく違う私たちだった。それでも「違ったままでいい。違ったままでお互いを知りたい」と強く感じられた瞬間だった。
これから参加する人へのアドバイスをひとつ挙げるとするなら、「相手を急いで理解しようとしないこと」かもしれない。このキャンプでは、相手についてほとんど何も知らないところから会話が始まる。属性を示す言葉ではなく、その人の感覚や考えが少しずつ積み重なり、その人の輪郭が見えてくる。人を知るということは、本来こうした時間のかかる行為なのかもしれない。キャンプでの経験は、私にとって「人を知る」とはどういうことなのかを改めて考え直すきっかけになった。
属性を越えて人と出会うことは、違いを消すことではない。違ったままで、それでもお互いを知ろうとすることなのだと思う。ノーボーダーキャンプは、そんな出会い方の可能性を実感できる時間だった。

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