原文タイトル:Navigating implementation barriers: a holistic approach to improving exertional heat stroke management
本研究では、東京2020オリンピックパラリンピック競技大会で導入された労作性熱射病(EHS)※1のプレホスピタル※2対応に対する医療ボランティアの態度と実践の変化を大会直前・直後・1年後で比較しました。調査の結果、大会での研修の機会は一定の効果を示したものの、実践を妨げる障壁も明らかとなりました。
研究結果の概要
これまでの研究で分かっていたこと
東京2020オリンピックパラリンピック競技大会より前の国内の医療従事者の多くは、EHSの的確な診断と治療に必要である(1)プレホスピタル環境での直腸温度の評価と(2)EHSのアスリートを病院搬送する前に全身冷却することに関して経験が無い状況でした。当該大会ではEHSのリスクが強く懸念されていたことから、暑熱ストレスが極めて高いと認定された競技を担当するメディカルボランティアには(1)と(2)に関する研修(オンラインおよび現地でのリハーサル)が実施されました。
今回の研究で新たに実現しようとしたこと、明らかになったこと
本研究では、国際基準に基づいたEHSのプレホスピタル対応の実践が国内で初めて義務付けられた東京2020オリンピックパラリンピック競技大会での経験が、国内のメディカルボランティア(医師・看護師・理学療法士ら)における(1)直腸体温測定と(2)全身浸漬冷却に関する意識と実践に変化をもたらすことができたかについて、大会前、大会直後、および大会1年後の3時点にわたるアンケートを実施して検討しました。
アンケートではPrecaution Adoption Process Modelと呼ばれるフレームワークに沿って選択肢を構成し、メディカルボランティアらの意識と実践に変化を追跡しました(図1)。その際、解答にステージ3から7を選択した方には、なぜそのステージを選択したか任意の自由記述で回答する欄を設け、行動の促進または障壁の理由についても探りました。
図1.方法について
調査の結果、直腸温度計測の必要性を認識していない者(ステージ1)の割合は大会直前・直後・一年後にかけて23.5%, 5.9%, 2.9%と減少したが、実践している者(ステージ6+7)の割合は横ばいでした(直前, 14.7%; 直後, 17.6%;一年後, 11.8%)。直腸体温の測定ができていないと回答した者が述べた障壁には、(1)機材不足、(2)直腸体温計測が一般的ではないという認識、(3)傷病者の同意を得ることが困難という認識があげられました。
一方で、全身浸漬冷却の必要性を認識していない者(ステージ1)の割合は大会直後以降0%を維持し、実践している者(ステージ6+7)の割合は増加しました(直前, 21.4%; 直後, 33.3%;一年後, 42.9%)。ステージ5以下を選択した者は、(1)氷水やアイスバスの準備に関する課題、(2)冷やしすぎに対する懸念、(3)対応できる人と物の準備に関する課題を、実践を阻害する要因としてあげました。
研究の波及効果や社会的影響
東京2020オリンピックパラリンピック競技大会に向けた研修や競技大会中の経験は、EHSのプレホスピタル対応に対するメディカルスタッフの知識や意識と行動に一定の肯定的な変化をもたらしたものの、今後さらに理想的なプレホスピタル対応を浸透させるために乗り越えなければならない具体的な障壁も明らかとなりました。
今後の課題
当該分野に関する国内のスポーツドクター、救急救命士、アスレティックトレーナーの理解は改善されつつあるものの、今後は国際大会規模の大会ではなくてEHS患者の救命に必要な(1)正しい深部体温の測定による重症度の判定と(2)全身浸漬冷却を用いた積極的な身体冷却の普及と定着に向けた、継続的な啓発活動が必要です。また、今回報告された障壁を打開するためには、競技主催団体による積極的な(体制・財政)サポートが必要と考えます。
研究者のコメント
EHSは適切なプレホスピタル対応が実施されれば100%救命が可能というデータがあるにも関わらず、未だにスポーツ関連突然死の原因の上位3位に入る疾患です。本研究で明らかとなった障壁を解決することは急務であると同時に、その影響はスポーツに留まらず、気候変動によって顕在化している異常な暑さから一般市民の命を守る上でも必要なことであると考えます。
用語解説
※1 労作性熱射病(exertional heat stroke, EHS)
活動中に発生する熱中症の中でも最も重症度の高い病態。高体温(深部体温40.5℃以上)と意識障害や見当識障害などとしてみられる中枢神経系の異常を伴う。30分以内に深部体温を39℃以下に冷却しなければ、後遺症が残ることや、最悪の場合には死に至ることもある。
※2 プレホスピタル
傷病者が発生した現場から救急医療期間に運ばれるまでの間のことをさす。救急救命士やアスレティックトレーナーはこの間に適切な処置・対応を行うことで救命率の向上や重症化の予防を図る。
論文情報
雑誌名:BMJ Open Sport & Exercise Medicine
論文名:Navigating implementation barriers: a holistic approach to improving exertional heat stroke management
執筆者名(所属機関名):細川由梨(早稲田大学スポーツ科学学術院)、赤間高雄(早稲田大学スポーツ科学学術院)
掲載日時:2024年2月26日(月)
掲載URL:https://bmjopensem.bmj.com/content/10/1/e001861.info
DOI:10.1136/bmjsem-2023-001861