今回の研究会では、草柳千早先生(本学教授、部門構成員)が「『共在』への社会学的接近」と題して、話題提供を行った。参加者は11名。以下、草柳先生ご執筆による当日のまとめである。
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Covid-19パンデミックをきっかけに「オンライン」や「リモート」が広まり、今や、他者とのやりとりの多くが、時間や空間に縛られない、手元の通信機器の操作となっている。とはいえ、私たちは身体として生きている。物理的な時間・空間の「いまここ」に生身の身体として存在し、その場を、同じく身体として存在する他者たちと共にしている。「いまここ」を共にする人と人との身体的・対面的な相互作用—「共在 co-presence」—について、社会学者E. ゴフマン(1922-1982)ほかの研究をもとに考察した。
共在には固有の秩序がある。それは、一方では傷つきやすく壊れやすい、他方では力を奮いうるという、両義的な身体を持つ私たちが共にいるために必要な根本的な秩序である。他者たちの存在は「危険」をもたらしうる。共在におけるリスク管理は、個人にとっても社会・国家にとっても課題となっており、現代社会では、リスク管理のテクノロジーの進化、管理の制度化が進んでいる。傷つきやすい私たちは、「危険」に対する警戒や恐怖によって、危険を避けるように行動することの不自由を受け入れること、危険から守ってくれると思われる力を受け入れそれに依存することへと促されがちである。警戒や恐怖の社会的機能は社会統制であり、Covid19パンデミックではそのことが顕在化した。共在は「感染リスク」の場として制限され、私たちはさまざまな行動制限、監視を受け入れてきた。
以上を踏まえて、本報告では、改めて共在の創造的可能性について、M. ド・セルトーの日常的実践論における、都市空間を「一望監視的に見ること」と「それぞれの足どりで歩くこと」の対比にヒントを得て、考えてみた。
質疑時間には、参加メンバーより、都市と田舎の違いをいかに捉えるか、共在のよきあり方はどのように実現・維持されうるのか、また、共在それ自体が悪であるという思想やそこから逃れるべきという考え方について、共在の制度を揺るがす/変えていく可能性について、平等や人権等のロゴスと身体との関係について等々、さまざまな根本的な問い・話題が提起され、報告者としては非常に貴重な問いとコメントの数々をいただいた。
(草柳千早記)
開催詳細
- 日時:2024年10月12日(土)18:00-19:35
- 開催方式:オンライン(Zoom Meeting)、公開(参加者11名)
- 報告者:草柳千早(本学教授、部門構成員)
- 報告題目:「『共在』への社会学的接近」