Alumni's Voices

小林 香菜 氏
2024年法学部卒
2001年、群馬県生まれ。早稲田大学本庄高等学院を経て法学部へ進学。卒業後に株式会社大塚製薬工場に入社。大塚製薬陸上競技部に所属し、2025年の大阪国際女子マラソンで日本人トップの好成績を収める。同年の東京世界陸上・女子マラソンに日本代表として出場し、7位入賞を果たす。
2032年に創立150周年を迎える早稲田大学。この150周年記念事業のアンバサダーとしてメッセージを寄せてくださったのが、マラソン選手として活躍する小林香菜さん。ランニングサークルで市民ランナーとして頭角を現し、卒業後は大塚製薬陸上競技部へ。そして今、世界の舞台でも活躍しています。型にはまらない道を一歩ずつ選び取ってきた小林さんに、その原点となった早稲田での日々と、150周年に寄せる思いを伺いました。
自主性を育む環境が、挑戦を後押ししてくれた
──早稲田大学が2032年に創立150周年を迎えます。卒業生として、いまどんな思いを抱いていますか。
150周年と聞いて、まず素直に「ものすごい歴史だな」と驚きました。創立が明治時代だと思うと、感慨深いですね。私はまだ卒業して数年しか経っていませんが、大学の長い歴史のなかにいる卒業生の一人だと思うと、とても誇らしく感じます。
──実業団の選手になり早稲田を離れたいま、小林さんにとって早稲田はどんな存在ですか。
私は高校時代から早稲田(早稲田大学 本庄高等学院)に通っていたのですが、大学のように自主性を重んじる校風で、制服もなく、自分で授業を選択できるなど、一人ひとりの個性が尊重される環境でした。そうした校風は大学でも変わらず、「自分で考え、自分で選ぶ」という姿勢が自然と身に付いたように思います。
高校時代、印象に残っているのは、個性豊かな先生方や仲間との出会いです。
先生方は教科書の内容だけを教えるのではなく、ご自身が本当に面白いと思うことを熱量たっぷりに語ってくれました。学問そのものを心から楽しんでいることが伝わってきて、その情熱に引き込まれながら授業を受けていたことをよく覚えています。
また、帰国生入試などを通じて、多様なバックグラウンドを持つ同級生たちとも、仲良くなれました。それぞれ自分の個性や価値観を大切にしている姿に触れ、私自身の視野も広がったように思います。
今、振り返ってみると、周囲には「自分のやりたいこと」を自然体で貫く人が多くいたと感じます。その環境があったからこそ、大学入学後、法学部で学びながらも一般的な進路にとらわれず、卒業後に実業団へ進むという大胆な決断を躊躇することなくできたのかもしれません。自分らしい挑戦を尊重し、後押ししてくれた場所。それが私にとっての早稲田です。

サークルも実業団も。自分の意志で決めてきた道
──本庄高等学院から早稲田大学に進む際、法学部を選ばれたのはどんな思いからでしたか。
小さい頃からテレビなどでニュースを見ていると、「事件や事故にはさまざまな法的な考え方があって、状況によってかなり変わるのだな」と不思議に思っていました。法律自体に強い興味があったというわけではありませんが、そうした日常の素朴な疑問から、もっと学んでみたいと感じたのがきっかけでした。
──法学部での学びが、いまに生きていると感じることはありますか。
現在は、競技と並行して、社内の法務業務も担当しています。契約書の情報を管理する業務に携わっていますが、実際の契約書を見ていると「これは民法のゼミで学んだことだな」と感じることがあります。学生のときは、学んでいることと実務との結びつきがなかなかイメージできませんでしたが、会社では一つの形になっています。
「独占禁止法」の授業も印象に残っていますね。当時、少し関連するドラマが放送されていたこともあって受講したのですが、法律の知識を得たことで、それまで何気なく見ていたストーリーの背景や登場人物の行動の意味が違って見えるようになりました。学んだことが日常やエンターテインメントとつながり、「知識が増えると、生活が少し面白くなるんだな」と実感できる授業でした。
──競走部ではなく、ランニングサークル「ホノルルマラソン完走会」に所属されました。そのきっかけはどんなものでしたか。
高校時代からマラソンには興味がありました。ただ、良い記録を出すために走るというより、景色を楽しみながら走るようなスタイルが自分に合っていると感じていました。
早稲田の競走部と言えば、全国トップレベルの選手が集まり、世界をめざして陸上競技に打ち込もうという人たちが多く集まっています。そこに入れば、法学部の勉強や、アルバイト、友人との旅行といった学生生活を楽しむことは難しくなってしまうかもしれない。加えて、高校時代に怪我で思うように走れなかった自分が、その環境で競技に全力で向き合える自信もありませんでした。
一方で、ランニングサークルなら、走ることが好きな仲間と一緒に、学生生活を謳歌しながらマラソンも楽しむことができます。試合に合わせて旅行をしたり、その土地ならではの食べ物を楽しんだり、そんな活動ができる環境に魅力を感じて、「ホノルルマラソン完走会」を選びました。

──しかしそこから、競技への向き合い方が変わっていきますね。
転機になったのは、2年生の秋に初めてフルマラソンを走ったことです。そこから徐々に火が付き、3年生になる頃には、サークル活動の日以外も自主的に練習をするようになっていました。自転車で30分かけて競技場に行って走り、帰ってきて授業に行く、という毎日でしたね。
サークルには指導者がいなかったので、どんな練習をすれば速くなれるのか、どの試合に出場すべきか、という知識もなく、本当に手探りでした。1人だとどうしても自分を追い込みきれないので、市民向けのロードレースを負荷の高い練習として活用し、他の人より頻繁に出場するようにしていました。
1人で走ることには寂しさもありましたが、サークルの仲間や大会で知り合った市民ランナーの方々が応援してくれて、試合に出ることが楽しみの一つになっていきました。
──卒業後に実業団に進むというのも、大きな決断だったのではないでしょうか。
実業団に進もうと決心したのは、3年生の夏に官庁でインターンシップを経験したことがきっかけです。そこで、公務員として働きながら市民ランナーとして競技を続けている方のお話を伺うことができました。両立することの厳しさと楽しさ、その両方を教えてもらったのですが、「自分は両立しようとしても、どっちつかずになりそう」と感じました。
中学・高校で所属していた陸上部では、怪我もあって選手としてやりきることができなかった思いが残っていました。だからこそ、この先社会人になるにしても、その気持ちを思い切り晴らしてからきちんと働きたい。「競技に全力で挑戦し、それでもうまくいかなかったら、また勉強して新たな道を目指せばいい」、そのくらいの気持ちで、実業団選手の道を選んだのです。
──それまで国家公務員を目指して勉強されていたとのことで、本当に大きな決断だったと思います。ご家族や周りの方々はどんな反応でしたか。
私以外の家族は、競技スポーツに関わる機会がなかったので、最初に実業団に行くと伝えたときは「何を言っているの?」と、まったく想像ができていないという反応でした。それでも私は構わず練習を続け、試合への出場を重ねました。タイムが伸びていくにつれて、家族もだんだん「本気なんだ」と受け止めてくれるようになりましたね。

──早稲田での学生生活の中で、今のご自身につながっていると感じる出来事があれば教えてください。
本庄高等学院から続く「自ら学び、自ら問う」という自主性を重んじる校風は、今の自分につながっていると感じます。今でも周りから「トレーニングセンターに住んでいるんじゃないか」と言われるくらい、1人で黙々と練習を続けています(笑)。
自分で考え、自分で課題を見つけて取り組むことが苦にならないのは、早稲田で過ごした経験が大きいのかもしれません。
また、早稲田で得た一番の財産は、人との出会いです。高校、大学、サークル、ゼミ、アルバイト先まで、尊敬し合える人たちに囲まれて過ごしました。自分とはまったく異なる道を歩む友人や先輩など、多様な価値観に触れたことで、「人それぞれの選択があっていい」と自然に思えるようになりました。
私は今、徳島を拠点に活動していますが、関東に帰省した際には必ず早稲田時代の友人と会い、近況を報告し合っています。社会人として働いている人もいれば、ミュージシャンとして活躍している人もいて、それぞれが自分らしい道を歩んでいます。分野は違っても、その生き方に刺激を受け、お互いに尊敬し合える関係が今も続いています。

多様な出会いを力に、未来へ走り続ける
──これからの目標を聞かせてください。
2025年に日本代表として初めて世界陸上で走り、海外の選手たちと競う中で、それぞれの競技観やレース運びの違いを肌で感じることができました。海外選手はレース中でも会話をしながら余裕のある走りをする一方、日本の選手はラストで粘り強く走り切るなど、実際に同じ舞台で走ったからこそ見えてきたことがたくさんありました。
また、ゴール後に私が疲れ切って座り込んでいると、海外の選手が自然に起こしてくれたんです。言葉は交わせなくても、気持ちが少し通じた気がしました。競技そのものだけでなく、国を越えた人とのつながりや新たな発見を得られたことも大きな経験になったと実感しています。今後も練習を続けて、また世界の舞台に挑戦したいです。
実は、将来的にはマラソン選手としての競技生活だけでなく、トレイルランニングやウルトラマラソンにも挑戦してみたいと考えています。体も心も元気なまま、いろいろな景色を見ながら長く走り続けていきたいです。
──150周年を迎える早稲田大学に、これから期待することは何でしょうか。
私はコロナ禍で入学し、社会が大きく変わる時期を大学生として過ごしました。早稲田は、そうした状況の変化にすぐ対応する姿勢を持っていたと感じています。これからも臨機応変に、むしろ変化の先駆けとなり、多様な価値観を持つ学生を育てられる大学であり続けてほしいと思います。

──後輩へのエールをお願いします。
早稲田には、学生も先生方も、バラエティ豊かな人たちがたくさんいます。だからこそ、自分の軸を大切にしてほしい。学生時代は、自分自身も変わっていく成長の途中だと思うので、たくさんの人や経験から吸収して、自分なりの答えを見つけ、将来に役立ててほしいと思います。
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