早稲田びと
「問い」から始まった挑戦
世界15カ国に広がるソーシャルビジネス
KAZUNARI TAGUCHI
田口 一成 氏
2004年 商学部卒
2007年、25歳でボーダレス・ジャパンを創業。貧困・難民・気候変動・動物福祉など幅広い社会課題の解決を目的としたソーシャルビジネスを国内外で展開し、現在は世界15カ国で45の事業を展開している。2024年にはNPO法人ボーダレスファウンデーションを設立し、代表理事も務める。
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大学1年の頃、田口一成さんはひとつの問いに向き合っていました。「自分の人生を、何に使うか」。偶然目にしたアフリカの子どもたちの映像をきっかけに、その問いはやがて「社会課題をどう解決するか」という意志へと変わっていきます。既存の支援の枠組みにとどまらず、自らの手で持続可能な仕組みをつくる——。その選択の先にあったのが、ビジネスという手段でした。早稲田大学で育まれた「問いを立て、自ら選び取る力」を起点に、田口さんの活動は今、大きく広がっています。その原点と軌跡をたどります。
社会課題の解決に、自分の人生を使う
19歳で決めた覚悟
「映像を見て、『あ、これだ』と。貧困や飢餓といった社会課題の解決のために自分の人生を使えたらいいな、と思ったのです」
栄養失調でお腹が膨らんだアフリカの子どもたちの映像をテレビで偶然目にした大学生の田口さんは、突き動かされるようにNGOの事務所を訪ね、「自分も支援活動に関わりたい」と思いを伝えます。すると返ってきたのは、予想外の言葉でした。
「寄付金や助成金に頼っていると、使い道を縛られてしまう。本気で社会を変えたいなら、自分の意志でお金が使えるようなビジネスを立ち上げた方がいい」
社会を変えたくてNGOを訪ねたのに、ビジネスを勧められる。一見、矛盾のようにも思えるアドバイスについて考えるうちに、その真意が腑に落ちていったと田口さんは語ります。
「社会的意義のある活動をしていても、お金の集め方によっては思い通りに動けないことがあるのだなと知りました。それなら自分はビジネスで稼ぎ、そのお金でNGOの活動を支援しようと思ったのです」
事業の中身は何でもいい。大きく育てて稼ぐことで、売上の1パーセントを寄付に回す。田口さんが描いた設計図はシンプルでした。卒業後は、製造業向けの商社である株式会社ミスミ(現:ミスミグループ本社)に就職。2年間かけてビジネスを学び、25歳で起業します。

支援ではなく仕組みづくりへの転換
起業した不動産仲介事業で順調に売上を伸ばし、その1%を寄付することにしていた田口さんでしたが、拭えない感覚がありました。「自分が365日休まずに働いていることと、社会課題の解決が全く紐づいていないのではないか」。その違和感は、日を追うごとに大きくなっていきました。
ある時、田口さんは日本で暮らす外国籍を持つ友人から「部屋を探してほしい」との相談を受けました。外国人というだけで、「ルールを守らない」という先入観を持たれ、入居を断られ続けているというのです。田口さんが学生時代から交流のある、当時留学生だった知人にも話を聞いてみると、彼らもまた、同じ壁にぶつかっていました。
そこで田口さんは、「自分が大家と直接契約し、外国人に転貸する」というビジネスモデルを描き実行します。すると、事業は順調に推移。「差別という社会問題をビジネスの仕組みで直接解決できた実感があった」と言います。
仕事をしていると、つい困っている人の方に目が向く自分がいる。そう感じた田口さんは、売上の1パーセントを寄付する仕組みで展開していた既存事業を売却し、社会課題の解決のために自分たちのエネルギーと時間を注ぐソーシャルビジネスへと舵を切ります。「社会課題の解決につながること以外はやらない」。それが今日のボーダレス・ジャパンの出発点でした。
「正しいプラン」より「動かせるプラン」をめざす
「大義はあっても経済的に続かない」と言われることも多いソーシャルビジネスですが、田口さんはすべての事業に自ら関わり、起業家とゼロからビジネスプランをつくってきました。重視するのは「正しいプラン」より「その人(起業家)が動かせるプラン」かどうか。
「事業をたくさん見てきた人ならばビジネスの“正解”を言うことはできます。しかし、それがその起業家にとって実行可能なプランであるとは限りません。実は、そこを見極めることこそが事業づくりにおいて一番重要なところなのです。僕の役割は、実行可能かどうかを判断し、チューニングをすることです」
思いはあってもビジネスプランを書いたことのない人が作成した事業計画を、実際に動かせるように引き上げていく。その積み重ねで、貧困から移民、環境、動物福祉までさまざま社会課題への取り組みをビジネスとして成立させてきました。
今や、その取り組みは40以上。日本だけでなく、バングラデシュ、フィリピン、ブルキナファソなど、世界15カ国に広がります。

中には、情勢が不安定な地域で活動することもあります。活動の重要性を一人でも多くの人に知ってもらいたいと思っても、現地で活動する仲間の安全を守るため、社名もホームページも非公開にしなければならないケースもあります。それでも、社会課題を解決していきたい。その思いを原動力に、ビジネスを形にし、推進しています。
必要なところに、必要な支援を届けるために
設立から19年。ボーダレス・ジャパンの売上は100億円を超える規模へと成長しました。田口さん自身も、日経ビジネス「世界を動かす日本人50」、Forbes JAPAN「日本のインパクト・アントレプレナー35」、EY「アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー・ジャパン」に選出されるなど、ソーシャルビジネスを牽引する存在として注目を集めています。
しかし、「ビジネスという手段だけでは届かない場所がある」という思いも抱いてきました。そんな課題意識から生まれたのが、2024年設立のNPO法人ボーダレスファウンデーションです。
「例えば、情勢が不安定な地域から逃れてきた難民には、まず安全に過ごせるシェルターが必要です。精神的に落ち着きを取り戻した後、今度は経済的な自立のための農業支援と、作物を買い続けてくれる農業商社との連携が必要になります。つまり、段階に応じて支援を変えていく必要があるのです」
シェルターの整備といった福祉活動は、非営利でなければ成り立ちません。一方で持続的な農業支援のためには、利益を生み出す仕組みが必要です。この2つが連携してはじめて、故郷を離れた人が自分の暮らしを取り戻すことができるのです。
田口さんは、ボーダレス・ジャパンが生み出すソーシャルビジネスとNPO法人ボーダレスファウンデーションをあわせて「ONE BORDERLESS」と位置づけています。ビジネスとして利益を生み出していく活動と、非営利での活動。その区分は、支援のモデルによって決まります。
「支援対象に商品やサービスとして届けられるものはビジネスで。そうでないものは非営利で。2つを組み合わせて1つの仕組みをつくっていきます」。ビジネスと非営利の両輪を持つからこそ、必要なところに、必要な支援の手が届く。田口さんが「本当のソーシャルエンタープライズ」と呼ぶ企業体の姿が、そこにあります。

福岡から、世界へ。社会に一石を投じる存在に
田口さんがボーダレス・ジャパンを立ち上げたのは東京でした。しかし起業から数年後、東日本大震災をきっかけに故郷・福岡へと戻り、やがて本社も移します。
東京一極集中が続くなか、「地方でも社会に良い価値をもたらす仕事は十分にできる」――そのことを自ら示したい。本社を福岡に移すこと自体に、社会へのメッセージを込めたと、田口さんは言います。
そして今、田口さんが見据えるのは、「福岡をアジアNo.1のソーシャルグッドシティにする」という構想です。福岡市長をはじめ、行政や地域の関係者とも対話を重ねながら、社会的にいい街のロールモデルをアジアへと発信していく構想です。志を同じくする人々が全国から集まり、福岡はその挑戦の拠点になりつつあります。
図書館と庭園で育まれた、「問い」を立てる力
大学時代、田口さんがいちばん足を運んだのは図書館でした。いつかは起業したいと考えていた田口さんですが、そこで手に取ったのは、ビジネス書ではなく哲学書。答えのある本ではなく、答えのない問いと向き合い続ける習慣が、「本当に重要な課題についてちゃんと考える」姿勢を育てたと振り返ります。
大学2年の後半には、休学してアメリカへ渡ります。慣れない土地で、お金も友人もいなかった時期、一番優しくしてくれたのは、「世間的には”はみ出し者”と見られがちな人たちだった」と田口さんは言います。「自分が見たことも聞いたこともない環境に身を置くと、自分の中に新たな視点が生まれ、大切にしたいものが変わることがあるのです」。その体験が、田口さんの視野をさらに広げました。

今、AIが急速に普及し、アイデアの生成も情報の整理も素早くできる時代になりました。だからこそ田口さんは、これからの人間の役割は、「何をするべきか」という問いを立てることにあると考えています。
「自分自身、問いを立てる力は、一定の”無”になれる時間、何もすることのない時間の中で育まれたと感じています。インターンシップで実績を積んだり、実用的なことを学んだりすることもすばらしい時間の使い方ですが、答えのない問いと向き合って感性を磨く、そんな時間が過ごせるのも、学生時代だからこそではないでしょうか」
スケジュールを空っぽにし、本を読んで、いろいろな人に会う。そんな時間が、人間としての感性や彩りをつくる。「今はみんな、忙しくしすぎですよ」そう話す言葉には、自らの体験から来る実感がにじみます。そんな早稲田で過ごした時間が今、世界の課題に挑む田口さんを支えています。

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わたしの早
稲
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大
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大学の図書館と大隈庭園が、早稲田時代の私の居場所でした。アルバイトの面接にはなぜかことごとく落ちてしまい、お金もなかったので、自然とそこにいる時間が長くなりました。昼は図書館で借りた哲学書を読み、庭園でうとうとして、夜は先輩に飲みに連れていってもらう。そんな4年間でしたが、周りにいる人たちが本当におもしろかったですね。
芥川賞を目指して作品を書き続け、毎回「どうだ、読んでくれ」と書き上げた原稿を読ませてくれるのに、なぜか応募はしない友人。深夜まで宗教や哲学を語り続ける友人。華々しい実績があるわけではないけど、「この人、おもしろいな」と思える人たちが周りにたくさんいました。
早稲田に来て良かったのは、自分なりの軸を持ち歩んでいる、おもしろい人たちにたくさん出会えたことです。あの出会いが、今の自分をつくってくれたと思っています。
早稲田大学
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