Waseda Weekly早稲田ウィークリー

早稲田の学問

世界遺産のあるべき姿とは?

世界遺産の観光地化が進んでいますが、一方で、隅に追いやられた生活があることを、考えたことがありますか?

文学学術院 教授 西村 正雄(にしむら まさお)

1950年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。1984年フィリピン・セブ島で人類学・考古学的フィールド調査。1989年よりミシガン大学人類学博物館助手。1992年ミシガン大学人類学博物館付属研究員。1994年ユネスコ客員研究員などを経て現職。専門は文化人類学、地域研究。

世界遺産が増えるにつれ、たくさんの問題も浮き彫りになってきました

ユネスコ(国連教育科学文化機関)による「世界の文化遺産および自然遺産の保護に関する条約」採択から約40 年が経過しました。世界遺産の数が増える一方で、さまざまな課題に直面しているのも事実です。私は、2001年に世界遺産に登録されたラオスの「チャンパサック県の文化的景観にあるワット・プーと関連古代遺産群」の事前調査に携わって以降、現地を研究および教育活動のフィールドとしています。チャンパサックの世界遺産が地域にもたらすインパクトを調査し、地元政府や住民に対して提言を続けてきていますが、現在、議論されている世界遺産の問題と通じる部分が多いと考えています。

道路やホテルが整備されるなど、急ピッチで観光地化が進められているワット・プー遺跡。世界遺産を国の発展の象徴としたい政府は、ワット・プーに隣接するノンサ村の100 戸以上を強制的に移住させた。

道路やホテルが整備されるなど、急ピッチで観光地化が進められているワット・プー遺跡。世界遺産を国の発展の象徴としたい政府は、ワット・プーに隣接するノンサ村の100 戸以上を強制的に移住させた。

先アンコール期からアンコール期に築造されたワット・プーと呼ばれる石造寺院は、ヒンドゥー教の寺院でしたが、アンコール期以後も、上座部仏教徒の地元住民のあつい信仰心によって長い間守られてきました。しかし、その営みの外にいる大多数は、過去の遺物のようにワット・プーを捉えてしまいがちです。ことに開発途上国・地域では、世界遺産を唯一最大の観光資源と位置づけ、過剰な開発が行われる傾向があります。チャンパサック県政府も例外ではなく、ワット・プーや耕作田を潤すバライ(人工池)を含む広大な地域を遺跡公園地とするため、地元住民から買い上げた土地をフェンスで囲みました。最近でも、現地に高速鉄道を通す計画が持ち上がっています。駅間の長い高速鉄道は、地元住民の望む日常生活の足に本当になるのでしょうか。さらに、自然の景観を目当てに訪れる観光客の足を遠ざける要因となる可能性もあります。

大切なのは、世界遺産を有する国や地域の人たちが、その貴重な文化・自然資源の重要性を理解すること。そして、自分たちの手で世界遺産を「保護」していくことです。ここでいう保護とはもちろんフェンスで囲うことではありません。これまでと同様にワット・プーは地元住民によって手を加えられてしかるべきであり、その行為が付加価値となって初めて、遺産として次の世代に受け継がれていくはずです。こうした概念を「リビングヘリテージ(生きている遺産)」と呼んでいます。

世界遺産の価値をあらためて見つめ直す時に来ています

実は、この新しい価値観が生まれる一つのきっかけは、日本の文化財保護の姿勢にありました。1993 年にイコモス(国際記念物遺跡会議)が発表した調査報告で、ヨーロッパ偏重の遺産登録が指摘されると、世界の目がアジアに向くようになります。ところが、ヨーロッパの石像遺産に由来する「真実性」や「完全性」といった世界遺産登録の基準を、定期的な修繕を行うことで保存してきた日本の歴史的な木造建築に当てはめて理解することは容易ではありませんでした。要するに、「何をもってオリジナルと考えるべきか」という価値観の違いが明るみに出たのです。このことが結果として、地元住民が代々受け継いできた伝統的な文化や技術の価値にユネスコが気付くことにつながりました。

近頃、世界遺産への落書き問題や、観光客の増加による環境負荷の高まりなどのニュースをよく目にします。しかし、「リビングヘリテージ」の概念が一般に浸透すれば、これらの問題は起こり得ないのではないでしょうか。

世界遺産登録エリアの移り変わりのグラフ。ユネスコの設立がヨーロッパ各国の呼びかけに由来するため、ヨーロッパ、次いでアメリカの有する遺産が圧倒的に多く、アジアエリアに比べて倍以上の数が登録されている。出典:UNESCO (2015)

世界遺産登録エリアの移り変わりのグラフ。ユネスコの設立がヨーロッパ各国の呼び掛けに由来するため、ヨーロッパ、次いでアメリカの有する遺産が圧倒的に多く、アジアエリアに比べて倍以上の数が登録されている。出典:UNESCO (2015)

そのためには遺産について学ぶことが大切で、ユネスコや一部の地元政府・住民もまた対策に乗り出しています。教育施設をつくり、観光の条件としてその地域の歴史や文化を学んでもらったり、観光客をグループに分けてガイドをつけて案内したり、「管理された観光」はスタンダードになりつつあります。これから世界遺産を訪れる皆さんには、遺産だけでなく、地域の方々の生活も尊重してほしいと思います。

(『新鐘』No.82掲載記事より)

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