異世界を創った担い手たち #6 「サウンド・アドバイザー小野寺さん来訪」

サウンド・アドバイザー小野寺さん来訪

開館まで1ヶ月を切った9月初旬、小野寺さんが開館前最後のサウンドチェックに来てくれた。小野寺弘滋さんは、オーディオ専門誌『ステレオサウンド』の元編集長で、当館のオーディオルームにおける機器の選定と設置を手がけてくれた人だ。この日、来館するとすぐに、かわいい子供の成長を見る親御さんのような足取りでオーディオルームへ。そして、LPレコード・プレイヤーのカバーを手際よく取り去り、いつもの(?)サウンドチェックに。

持参されたCDやLPで音を鳴らしては、スピーカー前のソファに座って耳を澄ませたり、あちこち歩き回ったりして聴く。ビル・エヴァンスの「ワルツ・フォー・デビー」、フランク・シナトラの「ナンシー」、ピエール・モントゥー指揮によるラヴェルの「ラ・ヴァルス」、ビートルズの「ヘイ・ジュード」等々。チェックし終わった後、「この春に聴いたときより、断然良く鳴っていますね!」との感想が洩れた。思わず「音が変るんですか?なぜ?」と聞くと、「オーディオシステムがこの場の空気に馴染んできたからです。」との答え。この間、当館スタッフが何度もCDを鳴らしたことで順調に成長してきた、ということか?

村上春樹さんと小野寺さんのお付き合いは、『日出る国の工場」(新潮社)所収「ハイテク・ウォーズ」の取材で、村上さんに同行していたオーディオ評論家の傅信幸さんから、村上さんが好むJBL製スピーカーに詳しいということで紹介を受けて以来とのこと。『意味がなければスイングはない』(文藝春秋)の各文章が『ステレオサウンド』で連載されたのも、村上さんが小野寺さんに話をしたのがきっかけだったという。(「あとがき」に記載あり)

「連載を始める際に出された村上さんからの条件の一つが、原稿料はいくらでもいいから、今後も自分のオーディオシステムの面倒をみてほしい、というものでした。」
そして、このときの縁が、小野寺さんに当館のオーディオルームの面倒を見ていただいたことにまで繋がっている!

「確か2019年の11月、村上さんからメールが来て、早稲田にこういう建物ができ、オーディオシステムを置く計画があるので手伝ってほしい、という大雑把な依頼がありました。その年の12月に隈研吾さんの事務所に行って打ち合せをした際、はじめて図面を見ました。ある程度の予算をとっていただければ、このスペースを満たすオーディオシステムを構築できます、とお伝えしました。まず、スペースがあって、そのスペース中に音楽を漂わせることのできるオーディオシステムを考え、適切なセッティングをする。それが私の仕事でした。」

「オーディオシステム構築にあたっては、次のようなコンセプトを設定しました。一つは、装置の値段が高すぎないこと。いくら音が良くても値段を聞かれて1千万円もした、ということになれば、ほとんどの人は身近なものに感じられない。そうではなくて、音楽に価値を感じている人であれば、音を聴いて、これならそのくらいの金額を出してもいいなと思えるシステムにしたかった。ざっくり言うと総額で普通の小さな車一台分くらい。その範囲内で、この場所に最良と思えるもの。

そして、もう一つは、当然、ここは村上さんの名前が入った施設ですから、村上さんが気に入らないものは置けない。村上さんの好み、と言うか、嫌なものがどういうものかわかっているつもりですから、村上さんがダメだという音にはしない。そういう意味で、神経質にならないで聴ける、『普通の音』になるようにしています。」

「2020年12月の段階で最終的に機種を決める必要がありましたが、幸い、その年の新製品のスピーカーにとてもふさわしいものが2セット登場したのでそれを選び、アナログプレイヤー、CDプレイヤーとプリメインアンプは、村上さんがご自宅で使われているのと同じブランドのものを使いました。スピーカーを2セットにしたのは、村上さんの書斎に2セットのスピーカーが置かれていることに関係しますが、微妙に味わいが違っていますので、鳴らし分けて楽しむこともできます。もちろん、ここにセットする前に、村上さんに実際の組合せを聴いていただきました。」

「『普通の音』と言いましたが、システムを構築するうえでは、この装置は大学に置くものである、ということも強く意識しました。村上さんだけのためではなく、早稲田大学にある村上ライブラリーに設置されている部屋で聴くもの、ということで、学生のため、ということを中心に考えているのです。
現在、サブスク(契約利用)した音楽をイヤホンで何かをしながら聴いている人が多いと思いますが、しっかりとしたスピーカーでLPレコードやCDをソースとした音楽を楽しむ空間にできればいいなと。音楽を真剣に聴こうと思えば真剣に応えてくれるサウンド。しかしその一方で、と言うか同時に、くつろげないといけない。その部屋にいつまでも居たいと思うような居心地の良い音でなければいけないでしょう。スピーカーの前だけでなく、どこにいても音楽が楽しめる、心地よい音で満たされた空間にしたかった。」

小野寺さんご自身からの、次の若い世代に対する強い期待を寄せられた。
「とにかく鳴らしてほしい。そうやって育ててほしい。置いて終わりにしてほしくない。オーディオ装置は展示物ではなくて、生きているものなので、使わないと死んじゃうんです。そして、3年後5年後10年後…もっとよく鳴るように育てていってほしい」
その言葉は、このオーディオルームだけに対してだけではなく、国際文学館そのものへの応援メッセージのようにも聞えた。

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