Waseda Institute for Advanced Study (WIAS)早稲田大学 高等研究所

News

ニュース

Newsletter Vol. 32(2026年夏号)

目次

研究者紹介

高等研究所では2026年度、米国での研究継続が困難となった研究者を支援する緊急公募分を含め、新たに18名の所員を迎えました。

アンダーソン スティーブン

宇宙飛行や航空、医療などの安全性が重要な環境における人間の認知とパフォーマンスを研究しています。技術を用いた認知的オフローディングの最適化や、信頼や文化が意思決定に与える影響を探究しています。

アンダーソン スティーブン

李 辰遠

イリノイ大学で国際関係(政治学)の博士号を取得し、研究は国際安全保障と同盟政治に焦点を当てています。韓国国立外交院で研究員として勤務し、韓国統一研究院では研究員として活動した経験があり、特に北朝鮮の非核化に関する米国と北朝鮮の一連の交渉とその過程を詳細に観察しています。

李 辰遠

大庭 大

平等論や社会保障の制度構想に主たる関心のある政治理論研究者です。ここ数年はサーヴェイなどの経験的手法の活用にも取り組んできました。社会保障の有効なヴィジョンが見えないままに、格差と貧困が悪化している社会の状況に対して、望ましい社会保障の構想を、規範的・哲学的に考察していくことを目指しています。フェミニズムの理論にも関心をもっています。

大庭 大

オルティスモヤ フェルナンド

世界的な人口減少の中、多くの自治体は過去の「成長至上主義」の戦略に資源を浪費しています。本研究は、持続可能なモデルへと転換した日本の先駆的自治体を分析し、人口減少下でも地域が繁栄できるような都市計画の枠組みを構築します。縮小する都市が行政サービスを維持し、強靭な未来を築くための実践的指針を提供します。

オルティスモヤ フェルナンド

クロス ジュリア

現在の研究テーマは、日本中世における仏教の枠組みを通じて、江戸時代に流行した怪談、版画、演劇に登場する女性の幽霊を検討することです。仏教経典、中世の注釈や物語を分析することで、超自然的な概念がどのような起源を持ち、江戸時代の文献でどのように再解釈されているかを探求しています。本研究の目的は、女性の幽霊の役割と、これらの版画・物語に内在する仏教的および民俗的意味を明らかにすることにあります。この研究を通じて、ジェンダーと霊界に関する議論を推進し、仏教経典、注釈、民俗的概念によって形作られた来世(仏菩薩、天の世界や地獄)における女性の文化的理解を深めることを目指しています。

クロス ジュリア

コマストリ キアラ

高校時代に日本とその文化に魅了されて以来、二〇年以上にわたり日本研究を続けてきました。研究の過程では、イギリス、オーストラリア、ブラジルなど、さまざまな国に滞在し、調査・研究を行ってきました。現在は、戦後日本の思想史・文化史を軸に、農村・地方における文化的な実践やジェンダーの問題、制度政治の枠外で形づくられてきた草の根の地域民主主義に関心を持って研究しています。

コマストリ キアラ

田 智秀

本研究は、経済がいかにしてより高い回復力と持続的な総体成長を達成し得るのかという政策的に重要なマクロ経済的課題を、企業動学の観点から解明することを目的とする。これらの課題に対し、主としてミクロ的基礎付けを有する定量的異質主体モデルを構築することで分析を行う。例えば、企業が上場の可否を内生的に選択するモデルを用い、株式市場へのアクセスが景気循環に応じて変動することが企業の雇用創出に与える影響、および景気変動を増幅し得るメカニズムを
明らかにする。さらに、企業の主観的期待の異質性や破綻(退出)過程が経済に及ぼす含意についても分析している。

田 智秀

田 謐 ※2026年6月末退職

在職時の研究テーマ:
集団制作:十九世紀中国美術における「実用化」の潮流

中山 穣

化学工場や水素ステーションなどの技術システムを活用するためには、リスクを分析・評価し、適切に対応することが大切です。本研究では、水素インフラを事例に、リスク分析を実施する AI agent を開発します。本研究の成果により、誰もが質の高いリスク分析を実施することが可能となり、安全安心な社会の構築に貢献します。

中山 穣

朴 銀娥

私の研究プロジェクトは、韓国および日本における人権 NGO、博物館、アドボカシー団体が、北朝鮮に関連してどのように記憶を構築し、制度化しているのかを検討するものである。本プロジェクトは、「記憶インフラストラクチャー(memory infrastructures)」という概念を提示することで、人権アクティビズムを単なる法的規範や人道的救済の問題としてではなく、記憶、被害者性、そして正統性をめぐる深く歴史的かつ政治的な闘争として再定位する。

朴 銀娥

フェリシャーニ クラウディオ

工学を基盤としつつ社会科学にも関心を持ち、両分野の交差領域で歩行者交通や群集マネジメントを研究しています。群集状況の定量的な理解・評価を通じて安全な管理手法の高度化を目指し、日本のイベント現場で主催者と連携してデータ収集・分析を行っています。消防団員としても活動しています。

フェリシャーニ クラウディオ

藤本 庸裕

私はインド仏教の中の説一切有部という学派を研究しています。この学派の思想は、インドのみならず、チベットや、中国、日本など、大乗仏教が伝わったアジアの諸地域で盛んに研究され、仏教の理論的基盤となりました。この度の研究計画では、この学派の思想体系の核となる術語の定義的用例集を作成し、その他の辞書類と合わせてデジタル化を行い、社会実装することを目的とします。

藤本 庸裕

プーント ドトノ ダシドルジ

モンゴルの歴史と宗教を研究する学者です。2023 年に博士号、2015 年に修士号、2010 年に理学士号を取得しました。モンゴル国と米国で育ち、中国の新疆ウイグル自治区および内モンゴル自治区出身のモンゴル系移民でもあります。近年チンギス·ハン神社における男女の役割の変化について研究しています。

プーント ドトノ ダシドルジ

松野 敬成

ナノスケールの細孔を有する物質はエネルギー材料や触媒、生体材料など広範な用途で有用です。機能設計に向けて材料の自在な合成が重要ですが、合成技術は未だ発展の途上にあります。本研究では、従来は困難であった金属酸化物ナノ多孔体の組成・ナノ細孔構造・結晶性を同時に制御する合成技術を開発し、未利用の機械的・熱的エネルギーを活用して物質合成・エネルギー変換を実現する材料の創出を目指します。

松野 敬成

山田 昌彦

低温まで磁気的な秩序を持たない量子スピン液体は、従来の物性物理学の常識を超えたあらゆる量子現象の格好の舞台です。量子スピン液体をダイナミカルに操作することで量子計算が可能となるだけでなく、量子スピン液体の物性そのものにも謎が多く残されています。私は新しい研究手法を用いて量子物性物理学の未解決問題の解明に取り組みます。

山田 昌彦

楊 翊

史学史(歴史叙述)とナショナリズムの関係に関心を持つ。私の研究はまず、宋代における北方の遊牧・狩猟民とそれらの政権をめぐる歴史叙述を検討する。続いて、近代歴史学が形成されつつあった二〇世紀初頭の中日間の学術交流という文脈において、宋代の北方諸集団との交渉史がいかに再解釈・再構成されたのかを明らかにする。さらに、その再編された歴史像が、近代中国における国民意識とナショナリズムの形成に資する知的資源となった過程を考察する。

楊 翊

吉田 侑李

なぜある特定の時代において視覚表現がそのようなかたちをとったのか、そしてその形成過程は美術と歴史の関係について何を示しているのかという問いを軸に、近現代美術史の研究を行なっています。現在は、1960 年代以降のアメリカ美術に見られる多様な実践を手がかりに、テクノロジーの発展や数学的思考が視覚表現に与えた影響を検討しながら、戦後美術の歴史をいかに記述しうるのかという問題に取り組んでいます。

吉田 侑李

李 巧燕

日本の特定技能制度は、施行から 7 年が経過した現在も、十分な労働力を確保できていない。本研究は、統合政策が学校や地域社会と交差する実態を分析し、労働者と家族の移動と定住への影響を解明する。これにより、社会統合を促進し、アジア地域で人材獲得競争における日本の優位性を高めるための方策を提示する。

李 巧燕

活動紹介

1. コンスタンツ大学Zukunftskolleg(ZUKO)との連携深化:恒例のジョイントワークショップ開催・世界の若手研究者(ECR)支援に向けた新イニシアチブ

早稲田大学高等研究所(WIAS)は、世界の高等研究所ネットワークであるUBIAS(University-Based Institutes for Advanced Study)を通じてドイツ・コンスタンツ大学のZukunftskolleg(ZUKO)と出会い、2020年の協定締結以降、強固なパートナーシップを育んできました。毎年のオンラインマッチングセッションに加え、2023年からは研究者相互派遣を開始、2025年度には双方向のスタッフエクスチェンジを実施するなど、精力的に組織的な連携を続けています。
2026年現在、これまでの地道な交流の蓄積は、さらなる広がりを見せています。

知識生産の未来を探求する:第4回ジョイントワークショップ

2026年5月12日、WIASとZUKOは「知識生産の未来(Future of Knowledge Production)」をテーマに、第4回ジョイントワークショップ(Jour Fixe)をオンラインで共同開催しました。本イベントはUBIASの年間テーマ(Topic of the Year)とも連動しており、技術革新や地政学的不確実性のなかで変化する現代の研究システムを多角的に考察する場となりました。

両機関の研究者が一堂に会するこのオンラインワークショップは毎年開催している恒例の研究交流ですが、今回は当研究所のパフチャレク パヴェウ 講師がリサーチフェローとしてZUKOに滞在しており、現地コンスタンツから発表を行いました。滞在先コミュニティの一員として現地に根差しながら、同時にWIASとZUKOの橋渡し役として登壇したその姿は、両機関が推進してきた研究者相互派遣プログラムの成果が実質的な学術交流として実を結んでいることを象徴するものとなりました。

当日は、以下の3名の研究者によるショート・トーク(Impulse talks)が行われました。

  • Gabriella Gricius氏(ZUKO):気候変動と地政学的圧力下における北極圏の知識生産について
  • 中山 穣 准教授(WIAS):生成AI時代の知識生産としての安全工学の再構築について
  • パフチャレク パヴェウ 講師(WIAS/ZUKO訪問研究員):コンテンツの過剰生産とAIの台頭を背景とした人文学の未来について

講演後は、自然科学、社会科学、人文学の3つのブレイクアウトルームに分かれて活発な意見交換が行われ、異なる分野や所属機関のフェロー同士が対話を深めました。

世界の若手研究者支援を牽引:UBIAS ECRセミナーシリーズの始動

WIASとZUKOの協働は、二機関間の枠を超え、UBIASネットワーク全体を巻き込んだ多国間(Multilateral)の取り組みへも発展しています。2024年度に設置されたUBIASの「若手研究者(ECR)支援ワーキンググループ」を両機関で共同主導し、2025年には加盟機関を対象としたECRサポートの実態調査を実施しました。同年11月のUBIAS Directors Meetingではその調査結果の報告を行い、今後の若手研究者支援のあり方について議論を牽引しました。

そして2026年、このワーキンググループにおける新たな取り組みとして、WIASが企画草案を立案・主導したセミナーシリーズ “From Fellowship to Future” が始動しました。本シリーズは、若手研究者の「個人の成功(Individual Success)」と、研究所の「組織的成長(Institutional Growth)」の双方の観点から、若手研究者の成長を支えるとともに、各機関が知見や実践を共有しながら、より良い研究支援のあり方をともに考えることを目的としています。

全6回にわたる本プログラムでは、以下のテーマで各機関のベストプラクティスを共有していきます。すでに実施済みのTalk 1およびTalk 2については、ZUKOの特設ウェブサイト( https://www.uni-konstanz.de/zukunftskolleg/events/upcoming-events/ubias-talk-series-for-early-career-researchers/ )よりアーカイブをご視聴いただけます。

  • Talk 1:Recruitment & Onboarding(2026年5月21日実施/アーカイブ公開中)
  • Talk 2:Mentorship(2026年6月8日実施/アーカイブ公開中)
  • Talk 3:Research & Interdisciplinarity(2026年9月16日開催予定)
  • Talk 4:Career Development(2026年10月5日開催予定)
  • Talk 5:Peer-to-Peer Network(2026年11月25日開催予定)
  • Talk 6:Alumni & Network asset Building(2026年12月11日開催予定)

国際連携の価値は、協定を結ぶことだけでなく、組織的に研究者同士の対話と実践を積み重ねる枠組みを育てることで、より大きなものとなります。WIASは今後も、その基盤となるネットワークづくりを着実に進めていきます。

関連リンク

研究者相互派遣プログラムを利用したコンスタンツ滞在(パフチャレク講師)については、こちらから最新のレポートをご覧いただけます。

2. 高等研究所ティータイム・セミナーがスタート

高等研究所では、海外から毎年20名程度の研究者を、新進気鋭の若手から経験豊富なシニア研究者まで幅広く招聘しています。こうした海外研究者と所員との交流やマッチングの機会を一層増やすための新たな取り組みとして、所員のイベント担当が主催の「ティータイム・セミナー」を今年度より開始しました。

本セミナーは7月末までに計3回が開催され、紅茶、コーヒーやお菓子を用意した和やかな雰囲気の中、所員や訪問研究員、訪問学者らが世界各国の研究環境の違いについて議論を交わし、研究分野の垣根を越えて今後の共同研究に向けたアイデアを膨らませました。

高等研所員からは「海外での研究経験が豊富な研究者から話を聞けてためになった」という声が、また訪問研究員・学者からも「所員と互いに知り合うよい機会となった」というポジティブな感想が多く寄せられています。

今後も、高等研究所のコミュニティ内での交流の深化と、分野を超えた学術協働を積極的に推進してまいります。

3. 嶋川 里澄 准教授の研究成果紹介

令和8年度文部科学大臣表彰・若手科学者賞を受賞された嶋川 里澄 准教授に、最新の研究成果と高等研究所での取り組みについて紹介いただきます。本研究成果は、「Monthly Notices of the Royal Astronomical Society」等の国際学術誌に掲載され、大きな反響を呼びました。

銀河団の銀河はなぜ成長を終えたのか―110億光年彼方の「現場」に通って

このたび、令和8年度科学技術分野の文部科学大臣表彰・若手科学者賞を、「宇宙最盛期の原始銀河団で形成される赤色銀河の観測的研究」により受賞いたしました。日頃よりお世話になっている皆様のご支援あってのことと、深く感謝しております。受賞対象となったのは、宇宙で銀河の形成が最も盛んだった約110億年前の時代に、銀河がその成長を終えていく様子を捉えた一連の観測的研究です。大学院時代から十年余り追いかけてきた研究の中身を、少し肩の力を抜いてご紹介します。

銀河の「終活」の謎

夜空の彼方にある銀河は、どれも永遠に星を作り続けるわけではありません。宇宙には銀河団と呼ばれる、重いものでは太陽の1000兆倍もの質量を持つ宇宙最大の天体がありますが、その中心に鎮座するのは、すでに星作りをやめた「枯れた」大質量銀河たちです。しかも彼らの多くは、今から100億年以上前、宇宙がまだ若く銀河形成が最も盛んだった時代に、早々と成長を止めてしまいました。私たちの天の川銀河が今も年間太陽1個分ほどの星を作り続けていることを思えば、その引退はずいぶん早いものです。ではなぜ、どのようにして?これが現代銀河天文学の大きな謎の一つとなっています。

実は、銀河を早々に老いさせる立役者と目されている天体があります。銀河の中心に潜む巨大ブラックホールです。ブラックホールが物質を飲み込む際に解き放つ莫大なエネルギーが、星の材料となるガスを吹き飛ばし、加熱することで銀河の星形成を止めてしまう。この筋書きは四半世紀前から理論的に強く支持されてきましたが、観測的な証拠は乏しいままでした。遠方の銀河ではブラックホール由来の光と星々の光が混ざり合って見えてしまい、切り分けることが難しいためです。有力な筋書きがありながら、決定的な証拠だけが押さえられない。そんな状態が今もなお続いています。

図1:現在の宇宙にあるペルセウス座銀河団(左)と、約110億光年彼方のスパイダーウェッブ原始銀河団(右)。左の白丸は成長を終えた「枯れた」大質量銀河、右の白丸はその祖先にあたる赤色銀河。遠くの宇宙を見ることは過去を見ることに等しく、大質量銀河が成長を終えつつある現場をそのまま観測できる。

蜘蛛の巣にかかった手がかり

証拠を掴むには、銀河が枯れていくその「現場」を直接観測するしかありません。私が学生時代から通い続けてきた現場が、うみへび座の方向110億光年彼方にあるスパイダーウェッブ(蜘蛛の巣)原始銀河団です。原始銀河団は現在の銀河団の祖先にあたる、形成途上の銀河の大集団のことを指します。その中央には、まるで蜘蛛が巣の中心で獲物を待ち構えるかのように、周囲の銀河を捕食しながら成長する巨大な銀河が居座っており、この名が付きました。1997年の発見以来、100本を超える論文が書かれてきた、いわば原始銀河団研究の「聖地」です。ここには成長を止めた大質量銀河の祖先とみられる、年老いた星々の色を帯びた「赤色銀河」が数多く見つかっており、謎を解く鍵はこの銀河たちが握っていると考えられてきました。

大学院生だった私は、すばる望遠鏡に特殊なフィルターを取り付け、銀河の星形成活動を映し出す水素の輝線をピンポイントで捉えるという手法でこの領域を徹底的に探査し、この原始銀河団が現在の宇宙で最大級の銀河団へと成長する運命にあること、そして通常よりはるかに多くの大質量銀河がひしめき、活動的なブラックホールの兆候があることを突き止めました(2014年、2018年発表)。手掛かりは揃いました。あとは銀河が枯れゆくその瞬間を押さえるだけです。

スペクトルと空間、二つの「分解」

決め手は二段構えでした。まず、ブラックホール近傍の高温ガスのような高エネルギー現象を捉えるX線から、星の材料を宿す低温の塵(星間ダスト)の淡い熱放射を捉えるサブミリ波(電波の一種)まで、過去20年以上にわたって世界中の名立たる望遠鏡が蓄積した観測データを統合し、銀河の光とブラックホールの光をスペクトル的に切り分ける多波長解析を行いました。すると、これまで盛んに星を作っていると考えられてきた「赤色銀河」の実に3分の1が、実際にはブラックホールばかりが明るく輝き、星形成はすでに終わりつつある銀河であることが分かったのです(2024年発表、図2左)。

とはいえ、スペクトル解析はモデルに頼る間接的な証拠です。そこで最後に頼ったのが、2021年末に打ち上げられたジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡でした。その革新的な空間分解能を活かし、星形成とブラックホール活動の両方を映し出す水素の輝線を観測したところ、活動的なブラックホールを持つ赤色銀河では星形成が確かに止まり、ブラックホールが静かな銀河では星形成が続いている様子を、空間的に直接捉えることに成功しました(2025年発表、図2右)。これらはまだ現象論的証拠ではありますが、理論的に予言されてきた光景が、ようやく観測の俎上に載った瞬間でした。銀河が自ら育てたブラックホールによって静かに枯れていく、つまり銀河団を支配する「枯れた」大質量銀河が次々と生まれる現場を捉えたこの成果は幸い大きな反響を呼び、論文の注目度を測るオルトメトリクス指標で同時期の論文の上位1%に入りました。

図2:ブラックホール活動が銀河の星形成を抑える様子のイメージ図(上)と、本研究の二つの解析。多波長データによるスペクトル分解(左下、2024年発表)では、星の光と考えられていた光の一部が実はブラックホール由来であることが判明。ジェイムズ・ウェッブ宇宙望遠鏡(JWST)による輝線の空間分解(右下、2025年発表)では、活動的なブラックホールを持つ赤色銀河で星形成が止まっている様子を直接確認した。

WIASでの日々と、これから

振り返れば、総合研究大学院大学の学生として始めたこの研究は、カリフォルニア大学サンタクルーズ校、国立天文台ハワイ観測所と、太平洋を行き来しながら続いてきました。2023年に着任した早稲田大学高等研究所(WIAS)は、分野の異なる研究者と日常的に議論できる、否応なく視野を広げてくれる得がたい環境です。特に昨今はAIの活用に力を入れており、大規模データを駆使した研究の新しい芽も育ちつつあります。

もっとも、謎はまだ半分しか解けていません。ブラックホールはどのようにして銀河全体のガスを吹き飛ばすのか。その引き金は何なのか。原始銀河団という特殊な環境は、ブラックホールの目覚めをどれほど早めるのか。次世代望遠鏡を武器に、これからも宇宙彼方の「現場」に通い続けるつもりです。

【受賞対象の主要論文】

・Shimakawa, R. et al. 2025, “Spider-Webb: JWST Near Infrared Camera resolved galaxy star formation and nuclear activities in the Spiderweb protocluster at z=2.16”, Monthly Notices of the Royal Astronomical Society Letters, 537, L36
・Shimakawa, R. et al. 2024, “New insights into the role of AGNs in forming the cluster red sequence”, Monthly Notices of the Royal Astronomical Society, 528, 3679
・Shimakawa, R. et al. 2018, “MAHALO Deep Cluster Survey II. Characterizing massive forming galaxies in the Spiderweb protocluster at z=2.2”, Monthly Notices of the Royal Astronomical Society, 481, 5630
・Shimakawa, R. et al. 2014, “Identification of the progenitors of rich clusters and member galaxies in rapid formation at z > 2”, Monthly Notices of the Royal Astronomical Society Letters, 441, L1

関連リンク
嶋川 里澄 准教授が「令和8年度 科学技術分野の文部科学大臣表彰(若手科学者賞)」を受賞しました。

4. フェリシャーニ クラウディオ 准教授の研究成果紹介

フェリシャーニ クラウディオ准教授の最新の研究成果ついてご紹介します。人間の移動方向の傾向について調査した本研究成果は、「Nature Communications」(2026年6月10日)に発表され、早稲田大学のプレスリリースにも掲載されました。また、各メディアでも取り上げられるなど大きな注目を集めています。

人はなぜ「反時計回り」に歩くのか

最近発表した共著論文において、人には自然に反時計回り、言い換えれば左方向へ移動する傾向があることを明らかにしました。この研究は権威ある学術誌『Nature Communications』に掲載され、科学者だけでなく一般の人々からも瞬く間に世界的な注目を集めました。著者らも驚いたことに『ニューヨーク・タイムズ』の一面でも取り上げられました。政治的不安定さが支配する時代にあっても、科学研究に対する好奇心が失われていないことを示しています。

日本で実施した試行実験のスナップショット。赤い点は参加者の現在位置、オレンジ色の線は過去の軌跡を示している。このスナップショットでは、ほとんどの参加者が反時計回りに移動している。

新型コロナウイルス感染症流行中の偶然の発見

この研究は、新型コロナウイルス感染症が流行していた2020年にスペインで始まりました。当時、政策立案者には、ウイルスの感染を抑えながら日常生活を継続できるようにするための安全基準が必要でした。列に並んでいる場合には、他者との社会的距離を保つことは比較的簡単です。しかし、新宿駅のような混雑した鉄道駅で人々がさまざまな方向へ移動する場合、それははるかに難しくなります。

そこでスペインの研究者らは、平均1メートルの距離を保ちながら、歩行者が一つの部屋に何人まで入れるかを調べる実験を行いました。参加者は長方形の部屋の中で、立ち止まらずに無作為な方向へ歩くよう指示されました。衝突までの時間など、衝突回避に関する指標を測定した結果、研究者らは最大密度を1平方メートル当たり0.16人と推定しました。

ところが、データを分析する中で予想外の現象が見つかりました。参加者全体が反時計回りに回転する傾向を示したのです。この動きは映像では気づきにくかったものの、データ上では非常に明確でした。32回の試行のうち、時計回りの動きが優勢だったのは、わずか1回だけでした。

壁との相互作用

この予想外の結果を説明するため、研究者らは過去の研究を調査しました。その結果、右利きの人は壁に近づくと左へ曲がる傾向があることを示す証拠が見つかりました。そこで研究チームは、壁の近くで左折を繰り返すことが、集団全体の反時計回りの動きを生み出しているのではないかと考えました。

参加者の利き手に関する情報を収集し、壁との相互作用をモデル化したところ、研究者らはシミュレーションによって実験結果を再現することに成功しました。この説明はもっともらしく思われましたが、それを直接裏づける実験的証拠はまだありませんでした。

当初の理由付けに対する疑問

そこで、より厳密に条件を管理した円形の実験場を用い、再びスペインで実験が行われました。これは部屋の角が及ぼす可能性のある影響を排除した試みです。本実験に先立ち、各参加者には壁に向かって歩き、そこで方向転換して戻ってくる動作を行ってもらいました。この方向転換の傾向(左に曲がるか、右に曲がるか)によって、あらかじめ参加者をタイプ別に分類しました。

もし壁との相互作用が集団の回転方向を決めているのであれば、右へ曲がる人、すなわち壁に近づいたときに右へ進む人だけで構成された集団は、時計回りに回転するはずです。ところが実際には、こうした集団も反時計回りに回転しました。左利きの参加者だけで構成された集団や、明確な境界のない広い校庭で行われた実験でも、同じ偏りが観察されました。したがって、この現象の原因は壁でも、壁との相互作用でもないことが分かりました。

スペインで実施したティーンエイジャーを対象とした実験のスナップショット。青い軌跡は反時計回りに移動する参加者、赤い軌跡は時計回りに移動する参加者を示している。

社会的・文化的規範の影響

最初の一連の実験は、人々が通常、道路でも歩道でも右側を通行するスペインで行われました。交通規則や文化的習慣が結果に影響しているかどうかを検証するため、当時、東京大学で研究を行っていたフェリシャーニ・クラウディオがプロジェクトに加わり、一般的に左側通行が行われている日本でも繰り返し実験を行いました。

実験条件を完全に管理するため、日本人参加者が左側を歩く傾向を持つことや、壁に接近したときにどちらへ曲がる傾向があるかも確認されました。しかし、歩行方向の好みがスペインとは反対であるにもかかわらず、結果はスペインで得られたものとほぼ同じでした。日本人参加者も反時計回りに回転し、数値的な結果もスペインで得られたものと非常に近いものでした。

また、社会的な予想や思い込みが原因ではないことを示す証拠も得られました。中立的なコンピューターゲームの画像を用いた調査では、静止画を見た参加者の多くが、自分も他者も時計回りに動くだろうと予想しましたが、実際に歩いてもらうと、参加者は反時計回りに移動しました。

さらに、幼い子供は成人に比べて社会規範の影響を受けにくいと考えられますが、日本の5歳児を対象とした過去の実験でも同じ反時計回りの偏りが確認され、その傾向は成人よりもさらに強いものでした。

集団ではなく個人に由来する偏り

ここまでの実験は、すべて集団を対象に行われていました。そこで研究者らは、反時計回りの動きが、衝突回避や模倣、追従といった社会的な相互作用から生じるのか、それとも個人がもともとその方向を好むのかを検討しました。

この疑問に答えるため、スペインで新たな実験が行われ、今度は参加者が一人ずつ試験を受けました。すると一人で歩いている場合でも、約60~65%の人が反時計回りに移動しました。しかし、より詳細に分析すると、さらに興味深く複雑な実態が明らかになりました。

大半の人には、一貫した方向の好みがほとんど、あるいはまったく見られなかった一方、少数の人は同じ方向へ繰り返し曲がり、円を描くように歩き続けました。こうした「極端な旋回者」の大半は反時計回りに移動し、時計回りに移動した人はごくわずかでした。つまり、この偏りは主として、反時計回りに強い選好を持つ少数の「極端な旋回者」によって生じているのです。

したがって、実験によって、この偏りが個人レベルで生じていることが示されました。集団の中で偏りが目に見えるようになるのは、人々が他者の影響を受けるからではなく、それぞれが自分の好む方向へ進み続けるためです。例えば、ある集団の60~65%が反時計回りに移動する傾向を持っている場合、仮に40人のグループを作れば、全体としても平均的に反時計回りへ移動する可能性が非常に高くなります。

今後の課題

反時計回りの偏りが個人レベルから始まることは分かりましたが、その原因は依然として不明です。なぜ一部の人は左方向を強く好むのでしょうか。また、なぜこの傾向がはっきりと現れるのは一部の人に限られるのでしょうか。

メディアからの注目は大変有難い一方、研究上の問題ももたらしました。今後の参加者が実験の目的に気づいてしまい、先入観のない状態で試験を行うことが難しくなる可能性があるためです。幸い、論文が発表され、広く紹介される前に、追加の実験がすでに完了しています。ただし、その結果はまだ公表されていません。

これらの新たな結果は、さらなる手がかりを与えてくれますが、謎はいまだ解明されていません。実際、調べれば調べるほど、この謎はますます深まっているように見えます。そして、それこそが、この魅力的な現象を探究し続けるための、いっそう大きな原動力となっているのです。

2026年6月にイギリス・ブリストルで開催された学会Traffic and Granular Flow (TGF) で撮影された、フェリシャーニ・クラウディオ(右から2人目)とスペインの研究グループ(左から、ガルシマルティン・アンヘル、筆頭著者のエチェベリア=ウアルテ・イニャキ、スリゲル・イケル)。

関連リンク
早稲田大学 プレスリリース「ランダムに歩行していると、多くの人は反時計回りに曲がる」

5. WIAS at a glance(2025年度高等研究所研究実績)

2025年度1年間の高等研究所および所員の成果は以下の通りとなりました。下記スライドを一括でこちらからご覧いただけます。

インフォメーション

高等研究所では国際的に活躍する優れた研究者を海外から招聘し、本学研究者との学術的交流やセミナー等を通じて、 本学の研究活動の活性化に寄与しています。詳細情報についてはこちらをご覧ください。

訪問研究員

  • 2026年3月1日~2026年3月31日
    DEROY, Ophelia
    Professor, Ludwig Maximilian University(ドイツ)
  • 2026年3月1日~2026年3月31日
    RATHCKE, Tamara
    Professor of English Linguistics, University of Konstanz(ドイツ)
  • 2026年3月11日~2026年4月10日
    KOSFELD, Michael
    Professor of Management, Faculty of Economics and Business, Goethe University Frankfurt(ドイツ)
  • 2026年5月10日~2026年6月9日
    CALLEJA CORTES, Pedro
    Associate Professor, University of Barcelona(スペイン)
  • 2026年5月15日~2026年6月14日
    楊 向峰
    香港嶺南大学 政府及国際事務学部 准教(香港)
  • 2026年6月2日~2026年7月2日
    COLE, Benjamin M.
    William J. Loschert Endowed Chair of Technology Entrepreneurship, Professor of Strategy & Statistics, Gabelli School of Business, Fordham University、
    Associate Editor, Academy of Management Journal(アメリカ)
  • 2026年6月1日~2026年7月1日
    BOJANIĆ, Petar
    Full Professor, Institute for Philosophy and Social Theory, University of Belgrade(セルビア)
  • 2026年6月14日~2026年7月13日
    GALLINA, Marta
    Associate Professor, Catholic University of Lille(フランス)
  • 2026年7月1日~2026年7月31日
    ZERNIK, Clelia
    Full professor in contemporary philosophy and philosophy of art at the Ecole Nationale Supérieure des Beaux-arts de Paris(フランス)

訪問学者

  • 2026年6月1日~2026年7月5日
    MARSCHALL, Malgorzata
    Assistant Professor in Teacher Professional Learning
    Faculty of Education, University of Cambridge(イギリス)
  • 2026年6月14日~2026年7月13日
    CAMATARRI, Stefano
    Research Fellow, Catholic University of Louvain & Catholic University of Lille(フランス)
  • 2026年7月1日~2026年8月5日
    呉 澤映
    Research Assistant Professor, Japan-Asia Research Institute, Ritsumeikan University(日本)
  • 2026年7月10日~2026年8月20日
    万 茜
    南京審計大學 准教授(中国)

ご意見、ご感想をお待ちしています。 下記発行元までお寄せください。

早稲田大学高等研究所

〒169-0051
東京都新宿区西早稲田1-21-1 早稲田大学西早稲田ビル1階
URL:www.waseda.jp/inst/wias/
TEL:03-5286-2460
FAX:03-5286-2470
E-mail:[email protected]

Page Top
WASEDA University

早稲田大学オフィシャルサイト(https://www.waseda.jp/inst/wias/)は、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。

推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。より快適にご利用いただくため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。

このままご覧いただく方は、「このまま進む」ボタンをクリックし、次ページに進んでください。

このまま進む

対応ブラウザについて

閉じる