Waseda Institute for Advanced Study (WIAS)早稲田大学 高等研究所

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ボツワナのHIV/AIDS撲滅政策を開発経済学で評価する
永島 優 講師

永島 優 講師

政府は抗ウイルス薬治療とコンドームを無償化

アフリカ南部の内陸国ボツワナは、日本の約1.5倍の国土面積に約230万人が暮らしています。同国の大きな課題がHIV/AIDSの蔓延です。HIV感染率は徐々に低下しているものの、成人(15-49歳)の感染率が約21%と高いのです。このため、ボツワナ政府はHIV/AIDS対策を強力に推し進めてきました。

具体的には、2002年からARTと呼ばれる抗ウイルス薬治療を無償化し、AIDSによる死亡の削減を図る一方、2005年頃からは町中にディスペンサーを設置してコンドームの無償配布を複数の地域で展開し(図1-1、図1-2)、HIV感染の予防に努めています。私は、これらの政策を開発経済学の観点から検証する研究プロジェクトを進めています。着目しているのは、複数の政策が相互に干渉しあっている可能性です。

図1-1.コンドーム配布機。モレポロレのクリニックにある、2000~2010年代初期に設置されたタイプ。© 2021 Hilda Motshereganyi.

図1-2.コンドーム配布機。Botswana Family Welfare Associationで現在使われている新しいタイプ。© 2021 Thabiso Ulaula.

AIDSは、放置すると5年間程度で死に至りますが、発症の初期から適切にART治療を受け続ければ、健常者と同程度の寿命を全うできます。このため、ART治療の無償化と普及は、すでにHIVに感染した患者にとっては大きな利益となります。しかし、AIDSが「かかっても無料で治せる病気」になったことで、HIVに感染することへの恐怖が薄れ、コンドーム使用などの予防行動が減退して新規の患者数が増えるかもしれません。そこで2つの政策の費用と効果を比較し、今後どのような政策を進めることが望ましいかを検討しようと考えています。

全土の医療施設を地図上にマッピング

残念ながら、新型コロナ感染症による渡航制限や、ボツワナの協力者からのデータ提供の遅れから、研究の進捗は十分ではありません。そうした中、2020年の約1年間を費やして、ボツワナ全土の医療施設を地図上にマッピングし、ART治療を実施している施設を、時間を追ってマークしていきました(図2)。

図2 ART治療実施医療施設の分布の変遷
Source: ART Provision Data: Ministry of Health and Wellness, Facility Location Data: Department of Surveys and Mapping of Ministry of Land Management, Water and Sanitation Services, Map: Masaru Nagashima.

これにより、2002年の無償治療開始当初、ART治療を実施していたのは全国でわずか4施設のみだったのが、2013年にはほぼすべての施設でART治療ができるようになったことがわかります。

このデータを利用して、政策の効果を明らかにしようと考えています。ただし、医療機関の周辺地域と遠隔地域を比較すれば、ART治療がもたらした効果がわかるとは限りません。例えば、医療機関の周辺にはAIDSを含む病気がちの家族を持つ人々が集まりやすいかもしれません。また、医療施設が設置されやすい都市部の住民は、他地域の住民より性交渉の機会が多かったり、感染リスクや治療への認識が異なっていたりするかもしれません。医療機関周辺地域と遠隔地域の間には、治療へのアクセスに加えて、住民の性質の違いもあるかもしれないのです。本研究は、同程度の規模の医療機関において、早くART治療が開始したところと遅く開始したところを比較することで、住民の性質を統制した上で、ART治療の開始がもたらした人々の行動変化に肉薄しようとしています。

新たな治療法の登場や保険適用によって予防行動が抑制される可能性は、AIDSに限りません。例えば、糖尿病の治療が効果的かつ低コストで受けられるようになると、運動や食生活の改善などの予防行動を行わない人が出てくるかもしれません。こうした人々の予防行動の変化を考慮しないまま、新たな治療法を保険適用してしまうと、予防行動の減退によって患者が予想もしなかったほどに増え、社会が負うコストが増加し、既存患者の治療から得られる便益を超過するかもしれません。今回の研究では、こうした懸念に対する統計的な根拠を示すことができる可能性があります。

開発経済学は経済学の“十種競技”

1980年代以前の開発経済学では「援助論」と呼ばれる手法が主流で、発展途上国への援助の効果を検証する際には、GDPなどのマクロ指標を用いて効果を分析していましたが、こうした指標はほかにも多くの要素が影響するものであり、関心のある援助のみが与える影響の適切な評価は困難でした。他方、個別のプロジェクトを実施したことで人々の生活がどれだけ変化したかを厳密に測定するミクロ計量分析に基づいた研究が開発経済学の有力な分析手法になっていきました。しかし、この分析手法が先んじて発達した労働経済や医療経済が先進国で行う分析と同じように途上国を分析しようとしても、社会制度・経済環境の違いや途上国特有の状況を考慮に入れなければ正しい理解は生まれないと考えられるため、特化したアプローチが重要です。

開発経済学は、いわば経済学の十種競技で、経済学のあらゆる手法を総動員する必要があります。加えて、途上国特有の環境や風習に対する理解も欠かせません。深掘りと同時に社会全体を俯瞰する点が、開発経済学の特徴と言えます。

私はもともと低所得国に興味がありました。思えば、小学生の頃、机に貼ってあった世界地図に原点があるかもしれません。その後、子どもの飢餓や大きな格差など低所得国の課題への関心から、経済学研究の道を選びました。人々の人生は健康状態や教育によって大きく変わり得るものですが、これらを左右すると考えられる人的資本の蓄積に関わる行動に強い関心を持っています。こうした行動を理解したうえで、低所得国の政策について、現実のデータをもとに、取りうる最適な選択肢を明らかにしていきたいと考えています。

取材・構成:中沢真也
協力:早稲田大学大学院政治学研究科J-School

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