Waseda Institute for Advanced Study (WIAS)早稲田大学 高等研究所

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インド哲学のアドヴァイタ学派におけるバクティ思想の展開
眞鍋 智裕 招聘研究員(2021年3月まで講師)

眞鍋 智裕 招聘研究員

中学生の時に読んだ宗教のムック本がきっかけで、インド哲学研究の道へ

私はインドで発展した宗教思想でもある「インド哲学」の研究をしています。古来インドでは、哲学と宗教は密接な関係にあり、宗教の聖典が哲学の基になっていたり、哲学的な議論をして宗教性を磨いたりなど、互いに関わり合って発展してきました。インド哲学には諸派ありますが、私はそのうちの一つアドヴァイタ学派の「バクティ(信愛)思想の展開」について研究をしています。

私がこの分野に興味を持ったのは、中学生の時に世界の宗教を特集したムック本を読んだことがきっかけです。その中でも、仏教に近い考え方の「アドヴァイタ学派」に特に関心を持ち、インド哲学研究への道を志すようになりました。

「瞑想」から「愛」へ。アドヴァイタ学派のバクティ思想の変化

8世紀にシャンカラが開いたアドヴァイタ学派は、不二一元論学派とも呼ばれ、「自己(アートマン)と宇宙(ブラフマン)は本質的に同一である」という考え方が基本になっています。一方、バクティとは「最高神(※)へ個人が帰依する」という考えなので、そもそも両者は相容れない考え方です。

(※最高神は、世界や、他の神様を作ったと言われる別格の神様のこと。例えばヒンドゥー教ヴィシュヌ派の最高神はヴィシュヌ神、シヴァ派の最高神はシヴァ神である。)

しかし、インド全土にバクティという教えが広まる中、アドヴァイタ学派もバクティ思想を取り入れざるをえませんでした。シャンカラは、自分の学説にバクティを取り入れるために、聖典『バガヴァッド・ギーター』に依拠して、最高神をブラフマンの一様態と考え、バクティを「ブラフマンへの瞑想」と位置付けました。

このシャンカラのバクティ思想はアドヴァイタ学派内で長い間受け継がれていきますが、16世紀ごろに活躍したアドヴァイタ学派の学匠、マドゥスーダナ・サラスヴァティーによって大きく変化します。マドゥスーダナは、聖典『バーガヴァタ・プラーナ』に準拠して、バクティを「ブラフマンへの愛」と解釈しました。瞑想という知的なものから、愛という感情的なものへと、捉え方が大きく転換したのです。この変化は、12世紀から13世紀に活躍した他派の学匠ヴォ―パデーヴァとヘーマードリの影響が大きいと考えられますが、まだ詳細に明らかになっていません。そこで私は、ヴォ―パデーヴァ著の『ムクタ―パラ(以後MPh)』と、ヘーマ―ドリ著の『カイバリヤディーピカー(以後KD)』の中のバクティ論を解読し、その影響について探ることにしました。

写本とエディション(公刊本)による校訂作業と解読

MPhとKDのオリジナルはもちろん現存していないので、写本や写本を編集したエディションをインドやネパールなどから集めて校訂し、解読しています(図1)。

図1.入手済みのMPhとKDの写本とエディションの出版地・所在地。大きな文字は、今後の写本調査予定地。

現在、私が行っている校訂作業と解読は、具体的には以下のような流れです(図2)。

図2.MPhとKDの類似箇所を抜き出した。PとGはエディション、D1、D2、E、Tは写本のそれぞれの読み。φは該当箇所なしを表す。LVはマドゥスーダナより後に活躍したアドヴァイタ学派のナーラヤラティールタの著作のテキスト。ナーラヤラティールタ(17世紀に活躍)もMPhとKDから影響を受けたと考えられている。資料はサンスクリット語。

図2のMPhのエディションPとエディションGを比べると、Gにはtāmasīで始まる一文がないことがわかります。写本D1、EとエディションPは文が一致しているので、エディションGが違っていると想定できます。またKDを見ると、エディションGだけに該当箇所があるので、本来MPhにあった文章がKDに紛れ込んでしまったのではないかと考えられます。このことからも、エディションGは間違っていると想定できます。次に赤字を比べてみると、エディションP、Gと写本D1、Eの並び順が違います。そこでマドゥスーダナの後、同じくMPhとKDに影響を受けたと考えられるアドヴァイタ学派の学匠ナーラヤラティールタ(17世紀に活躍)の著作のテキストの該当箇所と比べてみると、写本D1、Eの方が一致しています。以上のことから、この箇所の正しい読みは写本D1、Eであると言えます。

ヴォ―パデーヴァとヘーマードリがマドゥスーダナに影響を与えたかどうかは、まだわかっていない

MPhとKDと並行して、マドゥスーダナの著作も同じように写本やエディションを校訂し、解読しています。両者を読み進めていくと、MPhとKDには、神の物語を演劇として捉え、そこで起こる感情をバクティと捉えるという「ラサ論」が登場しますが、マドゥスーダナの著作にも「ラサ論」が取り入れられています。このことから、マドゥスーダナは、やはりMPhとKDの影響を受けているのではないかと考えられます。しかし、「ラサ論」について、解釈が違っている所はあっても、同じ所がまだ見つかっておらず、さらなる検証が必要です。2021年3月現在、新型コロナウィルスの影響で、現地に写本などの資料を探しに行くことが困難な状況が続いています。しかし、今後現地に出向くことができるようになったら、例えば図1の大きな文字で示した場所などに行き、より多くの資料を集めたいと考えています。そして最終的には、MPh とKDの批判版校訂テキストを完成させたいと思います。

取材・構成:四十物景子
協力:早稲田大学大学院政治学研究科J-School

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