優れた医薬品は3次元構造をもっている
芳香族化合物とは、炭素原子が六角形につながったベンゼンや、ベンゼンの六角形の頂点に官能基(原子の集まり)がついた化合物のことで、平面状、つまり2次元構造をとっていることが特徴です。この2次元構造の化合物に対して、平面の上や下から官能基がつくと、でこぼこした立体の3次元構造の化合物(脂環式化合物)ができます。私が現在研究に取り組んでいるのは、2次元構造の芳香族化合物を3次元構造の化合物に変換する手法で、「脱芳香族的官能基化」と呼ばれています(図1)。
創薬業界では、優れた医薬品の候補は3次元構造の化合物が圧倒的に多いと言われています。それは私たちの体内のタンパク質が3次元構造をもつため、同じ3次元構造をもつ薬が、まるで鍵と鍵穴のようにしっかりとはまることで機能を発揮するからです。2次元構造の化合物はマスターキーのようにいろいろなタンパク質に結合するので、副作用を起こす可能性がありますが、3次元構造の化合物の合成は難しいため、合成の容易な2次元構造の化合物が薬の候補となっているのが現状です。3次元構造をもつ天然資源から薬を合成する方法もありますが、合成に必要なステップ数が多く、天然資源も限られているという問題があります。実際、インフルエンザの治療薬であるタミフル(3次元構造)は天然のシキミ酸を原料としていますが、そこから薬になるには10段階以上の長い工程を要します。
狙った向きに官能基をくっつける
2次元構造を壊して3次元構造をつくるのは一見とても簡単に思えますが、芳香族化合物は非常に安定した化合物なので、構造を壊すのはとても大変です。これまでいろいろな方法が試されてきましたが、毒性の強い金属試薬を多く使用したり、大量の原料が必要だったり、高温にする必要があるなどの問題を抱えています。
そこで、私たちの研究室では、パラジウムという金属を触媒として、2次元化合物を効率的に3次元化合物に変換する研究に取り組んできました。そして最近、ブロモベンゼンという芳香族化合物に2つの官能基をくっつける「脱芳香族的アルキル化」という反応の開発に成功しました(図2)。
具体的には、図1の左図のような平面の芳香族化合物に、パラジウムを触媒にすることで脱芳香族化を引き起こし(安定性を壊し)、同時に赤丸や青丸で表される官能基をつけることで立体構造の脂環式化合物をつくりました。これまでに私たちは、赤丸に相当する反応剤にマロン酸エステルとは異なる化合物を用いて、基礎となる反応を開発しました。しかし、この手法では生成物をより有用な分子へ変換することが困難という課題がありました。すなわち、図1の赤丸と青丸をつける脱芳香族的反応ののち、緑や橙の丸で表される官能基を付与する「誘導化反応」を行った際に、それぞれの官能基がつく方向(平面に対して上向きにつくのか、下向きにつくのか)の制御ができませんでした。これでは、さまざまな形の3次元化合物ができてしまいます。
今回の脱芳香族的アルキル化では、赤丸に相当する部分の中に「エステル」と呼ばれる官能基があります。これが誘導化反応の際に緑丸や橙丸などの他の官能基がつく方向を定める働きができることを活かし、1種類の3次元構造の化合物を狙ってつくることに成功しました。つまり、開発した脱芳香族的アルキル化とその後の生成物の誘導化反応を連続して行うことで、複雑な構造をもつ脂環式化合物を、官能基の方向を定めて合成することができました(図3)。
薬の候補のライブラリーをつくるのに貢献したい
今後は、この反応をもっと一般化したいと考えています。現在成功している「脱芳香族的アルキル化」では、現在青丸はジアゾ化合物、赤丸はマロン酸エステルの1種類ずつしかありません。そこで、青丸、赤丸に相当する化合物の種類を増やすべく研究を進めています。また、パラジウム以外の金属も触媒として検討したいと考えています。
反応を一般化できれば、様々な3次元構造の化合物をつくることができます。製薬企業では、たくさんの種類の化合物を「ライブラリー」としてもっていて、新しい薬を開発するときにはまず、ライブラリーの中から目的のタンパク質に結合するものがないかを探します。私たちの技術で3次元構造をもったたくさんの新しい化合物を合成し、こうしたライブラリーに加えてもらえたらと考えています。今までになかった3次元構造の化合物の中から、新たな効能をもつ薬が誕生するかもしれません。
取材・構成:四十物 景子
協力:早稲田大学大学院政治学研究科J-School