Waseda Institute for Advanced Study (WIAS)早稲田大学 高等研究所

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文化を定量化する試み~“言語の標準化”と活版印刷の関係~ 佐々木優 講師

文化を体系的に分析する試み

世界には国家の数よりはるかに多くの民族集団があり、それぞれに固有の文化が存在します。文化を定量的に分析することは、これまであまりなされてきませんでしたが、私は比較可能なベンチマークを用いることで、文化を定量化し分析する研究に取り組んでいます。従来のナショナリズム研究では、サンプル数の少ない研究が主流だったのですが、文化を数値化することで、より体系的に分析することが可能となります。そうすることで、なぜ特定の民族集団が文化を政治の道具として利用できるのか、など政治的に重要な問いに答えることができると考えています。

民族集団における言語の重要性

文化の発展度合いは、民族集団によって異なります。日本人のように確立された文化を持ち、言語が共通で政治的制度がある集団は、世界的に見て少数派です。確固とした文化を持つけれども国家を形成していない民族集団や、明文化された伝統のない民族集団が、世界には数多く存在します。

なぜこのような文化の差が生まれるのでしょうか。民族集団として生き残り、文化を発展させていくためには、知識や営みを正確に(つまり明文化された)形で後世に伝えていくことがもっと確実な方法です。その手段として言語は極めて重要な役割を果たします。口承によるコミュニケーションも可能ですが、その人たちが死んでしまったらそこで途絶えてしまうため、正確に伝えるには文字として書き残すことが重要です。明文化されていれば、先人の考えや営み、表現手段といった情報は受け継がれ、後世の人がそれらを確立・伝播させることで文化が成熟していき、独自の民族性や集団アイデンティティの形成につながっていきます。

そこで、「文化の発展」を測る一つの指標として言語に着目し、言語の成熟度合いからベンチマークを定めました。言語の成熟レベルは、大別して低い方から順に、言葉の成文化(script)、他言語からの翻訳(translation)、文法の確立(grammar)、その他のルールを定めた「標準化」などと、体系化されていく指標を見ることで成熟度をみることができます(図1)。本研究では、「自国語の辞書がある」という段階まで達したところで“言語が標準化された”と見なします。このように設定することで体系的な比較検討が可能となり、数多くの民族集団を分析対象にすることができます。

図1:「言語の標準化」プロセスの可視化例。ここでは例として、文字があること、他言語からの翻訳があること、文法生成などの複雑さが増すごとの「難易度」が高くなると考えられ、ある一定の水準に達した状態を「標準化」とみなす。本研究では「言語の標準化=自国語の辞書があること」とした。

活版印刷は言語の標準化に影響を与えたか

実際には、言語の標準化が起こる民族集団もあれば、そこにまで達しない集団もあります。この問いにどのように答えればよいのでしょうか。私が注目したのは活版印刷の導入です。ヨーロッパでは、1450年頃のドイツで、グーテンベルクによって初めて活版印刷の技術が確立されました。それまで書物の生産は、書き写しか木版印刷で行われていましたが、活字の字型を組み並べてインクを塗って刷る活版印刷ができたことにより、効率的に書物を生産できるようになりました。その後、活版印刷の技術はヨーロッパ各地に急速に普及しました。経済史において、活版印刷は情報の入手コストを劇的に下げた最も重要な技術の一つとして知られています。そして私は、活版印刷が言語の標準化を引き起こす要因になったのではないかと考えました。

活版印刷と言語の標準化の関係を検証するために、ヨーロッパに現存する171の民族集団を対象に、1400年から2000年にかけて50年の間隔で、自国語の辞書の有無を示すデータセットをつくりました。
言語の標準化を引き起こす要因として、活版印刷のほかにも、大学や教区、経済成長など様々な要因が考えられます(図2)。こうした要因を洗い出し、活版印刷が言語の標準化を引き起こしたかを識別するための統計分析を行いました。

その結果、考えうる主要因を考慮してもなお、活版印刷が言語の標準化に対して統計的に有意な正の影響を与えていることが実証できました(図3)。このことから、計量分析を用いて、「言語の標準化」という文化的なプロセスを定量的に説明できることが示されました。

図2:活版印刷が言語の標準化を引き起したかどうかを検証するために、他の考え得る要因(大学・教区・経済成長(需要側変数)、プロテスタント改革・港・島・戦争の頻度(供給側変数)、政治史・宗教(固定効果))などを考慮して検証した。

図3:分析結果。あらゆる要因を考慮してもなお、活版印刷は言語の標準化を進める方向に影響を与えることがわかった(all controls)。

 

ナショナリズム研究のフロンティアに

現在は、言語の標準化をはじめとするデータセットを用いて、政治や経済活動などに関する普遍的なパターンを探っています。たとえば、言語の標準化が経済活動に与える影響について、最近の研究から、文法が早く確立すると言語のルールができるため、コミュニケーションがより効率的にできるようになり、経済活動がスムーズに進むことが分析から見えてきました。
ナショナリズムの研究では、これまでさまざまな仮説や理論が提唱されてきましたが、定量化が困難であるために実証的な検証がなされていないものが多くあります。本研究の手法により、ナショナリズム研究の未開拓の領域を切り拓くことができるのではないかと考えています。

取材・構成:秦 千里
協力:早稲田大学大学院政治学研究科J-School

 

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