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企業犯罪の効果的な抑止策とは~イギリスの企業致死罪法を例に~ 周振傑 助教 (2009年10月当時)

  • 周 振傑(Zhenjie ZHOU)助教(2009年10月当時)

企業犯罪を抑止するには

企業犯罪はほぼすべての国で見られており、その数も近年増加傾向にあります。私の研究分野は企業犯罪の比較研究です。現在は特に、企業犯罪の抑止策に注目しています。いかなる努力をもってしても、企業犯罪を完全になくすことは難しいと思います。例えば日本では、2000年と2004年に発覚した三菱自動車のリコール隠しや、2007年に明らかになったミートホープによる食品偽装など、大きな事件が起きてきました。法務省の統計によると、起訴された法人の数は年々増えてきています。企業犯罪に対する考え方、対処の仕方は国によってさまざまですが、これまでのところ、企業犯罪の抑止に大成功している国があるとは言えません。

しかし、企業犯罪の抑止は、社会の秩序を守り、市民の福祉を守るために探究され続けなければなりません。どのような方法で効果的に企業犯罪を抑止できるか。この問題への1つのアプローチとして、イギリスの企業致死罪法について紹介します。

イギリスにおける企業致死罪法 - 判例法から制定法へ

企業致死罪とは、簡単に言うと、企業等の組織が起こした死亡事故に対する刑事責任です。2007年7月に、イギリスの国会で企業致死罪法(Corporate Manslaughter and Corporate Homicide Act 2007)が可決されました。それまで企業致死罪はイギリスの主要な法源である判例法で罰されてきましたが、この法律の成立によって、判例法ではなく新たな制定法で取り締まられる行為として規定されました。なぜイギリスは企業致死罪法を判例法犯罪から制定法犯罪に変えたのでしょうか。この問題意識をもとに、私は新たな企業致死罪の制定背景や構成要件を分析し、その政策上の意義を考察しました。

イギリスにおける企業犯罪

ここでまず、イギリスにおける企業犯罪のとらえ方の変遷を見ておきましょう。19世紀までは、企業は犯罪を犯しえないとされていました。したがって、企業には刑事責任を適用できないので、企業が起訴されることはありませんが、その特定構成員は起訴されうるとされていました。当時は企業数が少なく、社会に対する企業の影響力は弱いとみられていましたので、刑法で企業活動を規制する必要性はないとされていたのです。

しかしその後、企業は膨大な数に至り、その活動は大部分の人の私生活に影響を与えるようになりました。また、法律により、企業はその構成員から区別される独立した組織と見なされるようになりました。そこで、刑法で企業活動を規制する必要性及び可能性が生まれました。そして今から約200年前、イギリスにおいて企業犯罪の存在が認められることとなったのです。ちなみに、日本では企業には犯罪能力はないが受刑能力はあるとされており、刑法典によって規定されている犯罪の事件において、刑事責任が問われる可能性があるのは、企業の構成員である個人のみです。

判例法犯罪としての企業致死罪とその問題点

判例法における企業致死罪は、企業と同一視できる高級管理職によって犯される重過失致死罪を意味します。これは、「企業の指導的意思である上級従業員の意思と行為を企業の意思と行為と同一視できる」という同一視原則に基づいています。この判例法において「企業」とは、法人のみをさします。
判例法としての企業致死罪の構成要件は以下の3つです。まず、事故における具体的行為者が企業の指導的意思を表すような人物であること。第二に、被害者に対する義務とその義務違反、それに伴う死の危険という客観的要件。そして第三に、行為者が自分の行為に潜んでいる人の死を及ぼす危険を認識しているという主観的要件です。
この判例法には2つの難点がありました。第一に、同一視原則のもとでは、企業と同一視できる具体的行為者を特定し、その個人が直接に重過失致死の責任を負うことを証明できなければなりません。しかし、大規模な企業の場合、これはとても困難です。第二の問題点は、その具体的行為者が人の死を及ぼす危険を認識している必要があるということです。指導的意思である高級職員は、ふだん現場にいるわけではありませんので、この認識をもつ可能性は低いと考えられます。またそもそも、検察にとって最も難しいのは、行為者の「認識」を証明することでしょう。
1980年代後半から、イギリスにおいて大規模企業災害が相次ぎ、多くの人の命が奪われました。同時に、労働災害の実態も明らかになってきました。しかし、上のような難点のために、結果として、大企業ほど法律で裁けないという事態になったのです。実際に、有罪となったのはすべて小企業でした。そこで、効果的に刑法で企業活動を規制するために、適切な法整備を行う必要があるという提起がなされ、強い支持を集めるようになりました。

制定法犯罪としての企業致死罪とその政策的意義

こうした提起を受け、制定法犯罪としての新たな企業致死罪が創設されました。企業に刑事責任を問う国は他にもありますが、制定法が可決されたという点で、イギリスは先駆的だと思います。
この制定法が以前の判例法と異なる点としては、まず、判例法の規定では法人のみだった規制対象が王室組織、政府部門、警察、事業組合、労働組合、経営者協会などの組織にまで拡大されました。また、判例法においては、指導的意志である個人の刑事責任が追及されていましたが、制定法においては、組織自体の刑事責任が問われる形となりました。さらに、刑事責任を追及する際の主な証明対象が、判例法の場合は当該個人による人の死の危険の「認識」という主観的要素であったのに対して、制定法においては企業の「管理方法または組織方法」の不備の結果として、企業が負うべき注意義務に対する重大な違反があったかという客観的要素に変化しました。これで以前と比べ、有罪の立証がしやすくなると思われます。
こうして処罰対象を拡大し、検察の証明責任を軽くすることで、企業をはじめとする組織の処罰可能性を高めることが効果として期待されています。さらに、企業致死罪に対する処罰は制限のない罰金です。そこで処罰可能性が高まれば、企業は当然、刑事責任を問われることを避けようとしますので、企業の内部統制を向上させる機能もこの企業致死罪法にはあるといえるのではないかと考えられます。
このような効果が期待されている企業致死罪法ですが、この制定法によって判決が下される初の事例は2010年2月頃に予定されています。現在はまだ事例がありませんので、法律の効果は予測の域を出てはいません。最初の事例に対する判決は、この法律の効果に対して大きな影響を与えることになると思います。

私自身も、この制定法ができたことで有罪となる企業数は多くなると予想しています。しかし、企業犯罪の数自体を減少させるには、刑事責任だけでは十分ではないと考えています。今後の研究で、さらにどのような要素が企業犯罪の抑止に必要か、検討していきたいと思っています。

 

取材・構成:押尾真理子
協力:早稲田大学大学院政治学研究科MAJESTy

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