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「戦後」をフィールドワークすること 北村毅 助教 (2008年10月当時)

  • 北村 毅(Tsuyoshi Kitamura)助教(2008年10月当時)

「戦跡」というフィールド

私は、フィールドワークやオーラル・ヒストリーの手法を用いて「戦後」を研究してきました。
「戦後」に関する研究はこれまで、歴史学や社会学、思想史や文芸批評、国際政治学などの分野を主としてなされてきた印象があります。それらの多くが、「知識人」の言説を対象に論じられてきました。たしかに、それは「戦後」のエッセンスといえるものでしょう。
ですが、私が考えたかったのは、「知識人」だけではなく、一般の人たちが「戦後」をどう生きてきたのか、「戦後」とどう向き合ってきたのか、戦争体験を踏まえてそこから何を見出そうとしてきたのか、ということです。
すでに書かれたものを研究の素材とするだけではなく、市井の人びとが生きてきた「戦後」を考えたり記述したりするためにはどうすればいいのか?
そもそも、「戦後」をフィールドワークするにおいて、いかなるフィールドが可能なのか?
私は、沖縄の戦跡を自身の戦後研究のフィールドとして選択してきました。

「戦跡」からみえてくること

「戦跡」とは単なる戦場跡ではなく、戦争でたくさんの人びとが亡くなった場所だということを忘れてはなりません。そこで死んでいった人びとが、どのように慰霊・追悼・供養されてきたのか、記憶されてきたのか、語られてきたのか、そうした戦後の人びとの営みが空間的に記録されているのが戦跡という場所です。
沖縄は、国内で唯一、住民を巻き込んで大規模な地上戦が展開されたため、島中のいたるところに戦跡があります。慰霊塔・碑やガマと呼ばれる自然洞窟をはじめ、軍事施設、日米両軍の軍事行動において記憶される場所、各集落の納骨施設や個人の墓碑などがあります。また、戦争・平和博物館も戦争をどう記憶するかという点で広義の戦跡といえるでしょう。
沖縄の戦跡は、1960年代に入ると、日本本土から多くの巡礼者や観光客が訪れる「戦後日本の聖地」と化します。そこで行われる実践は非常に多様で、個人レベルから国家レベルまでさまざまな意思が介在しています。
たとえば、戦跡で行われる慰霊祭や追悼式の担い手も、国や沖縄県、市町村や集落、戦友会や遺族会、各都道府県、自衛隊、宗教団体などがあり、それぞれの場で死者への向き合い方や戦争の記憶のされ方が異なります。戦跡は、生者と死者の関係性が記録された、いたって戦後的な場所なのです。
沖縄島だけで300以上もある慰霊塔・碑は、まさに空間的なテクストです。それらテクストを読み込んでいくだけではなく、それらが成り立つコンテクストをも解析する必要があります。その場所で戦争中に何が起こったのかを聞きとり、碑文、形状、周辺環境、人びとの参拝行動の変化を歴史的に読み解く作業を通して、戦後を生きてきた人びとと戦死者の関係がみえてきます。
慰霊祭や記念碑の建立以外にも、戦跡では、遺骨収集、不発弾処理、戦跡巡拝、平和学習、戦史研修など、さまざまな実践が行われてきました。そうした沖縄の戦跡をめぐる実践や言説から浮かび上がってくる生者と死者の関係を通して、沖縄のみならず日本の「戦後」がみえてくるのです。

「戦後」という視点──現在から過去へ

アジア・太平洋戦争に関するこれまでの研究は、人びとが戦争に巻き込まれていく過程を過去から時系列的に研究するものがほとんどでした。私が「戦後」という視点を設定したのは、現在から過去へと意識を逆向きに考えることでみえてくるものがあるのではないかと思ったからです。
戦争について考えることは、さまざまな位相で「暴力」について考えることにつながります。暴力は、私にとって大きな問題です。戦争とは、極端なかたちで人が死んでいくことだといえるでしょう。単に極端なだけでなく、日常の暴力がデフォルメされたように特徴化・象徴化されてあらわれます。
暴力は、非常にみえにくいかたちで日常にも遍在していて、普通に生きているとそれがなかなか顕在化しません。逆向きのアプローチ「戦後」を研究することで、戦争と日常に蔓延する暴力のあいだの連関を浮かび上がらせることができるのではないかと思っています。
私が戦後から戦争の問題に迫ろうとするのは、常に現在に準拠しつつ戦争の問題を考えたいからでもあります。2007年9月に開かれた「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に11万6000人もの人びとが集まったように、沖縄戦は、現在進行形の問題なのです。

「戦後」という問題意識の展開

現在、私は、早稲田大学琉球・沖縄研究所が主催する研究プロジェクト「沖縄トラウマの学際的研究」に参加しています。研究者以外にも精神科医やソーシャルワーカーなど、さまざまな分野の方が集まるこのプロジェクトは、沖縄戦や米軍基地のプレゼンスなどの特殊な歴史的・社会的状況が、沖縄の戦後社会に与えた影響を学際的に考えていこうとするものです。私の「戦後」という問題意識を多分野の方々と接続していく格好の機会だと考えています。
これまで沖縄の戦跡を研究対象としてきましたが、現在、日露戦争の戦跡へとフィールドを広げつつあります。日露戦争の戦跡というと旅順が有名ですが、旅順の戦跡をめぐって新興国家大日本帝国が日露戦争の記憶をどのように利用し、近代国民国家を形成していったのかがテーマとなります。
沖縄の戦跡のフィールドワークの成果をまとめた『死者たちの戦後誌』(仮題)が近々刊行される予定ですが、日露戦争の戦跡に関する研究成果も鋭意発表していきたいと思っています。

北村先生(ひめゆりの塔)

慰霊塔とガマ:ひめゆりの塔(右)と第三外科壕(左)

取材・構成:吉戸智明/出口洋次
協力:早稲田大学大学院政治学研究科MAJESTy

 

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