大隈重信と渋沢栄一
大学史資料センター 非常勤嘱託 雨宮 和輝(あめみや・かずき)
現在放送中のNHK大河ドラマ『青天を衝(つ)け』の主人公は、「近代日本資本主義の父」と評される渋沢栄一である。2021年5月現在では、劇中の渋沢は幕末日本で奔走する若者の一人でしかない。ドラマのストーリーを先取りすることになるかもしれないが、明治時代になると、渋沢は数多くの企業や組織に携わり、その才覚を発揮する。また、渋沢は多くの大学の経営にも関わっており、特に早稲田大学とは深い関係にあった。渋沢と早稲田大学創立者・大隈重信は、大蔵省(現財務省)で出会って以来親交を続け、渋沢は早稲田大学の基金管理委員や維持員も務めている。
大隈と渋沢が、互いをどのように評価していたのかが分かる記事を『早稲田学報』(285号)で確認することができる。1918(大正7)年に行われた早稲田大学創立35周年記念祝典の演説の中で、大隈は渋沢を次のように評している。
「ここに私が感謝しなくてはならぬのは渋沢男爵がこの学校の為に尽くしてくれたことである。男爵と私は五十年の友人であるが、実業社会に在つて非常にお働きになつた。実業社会と云(い)へば算盤(そろばん)を持つて利己的の所謂(いわゆる)利益一遍の業を営むものであると思ふものであるかもしれぬが、男爵は全然これと異なつて折る、自己も多少利益を得られたであらうが、国家の為に盡(つく)すというのが精神である」
大隈は、渋沢のことを「国家の為に盡す」精神がある人間として高く評価している。そして、渋沢も次のような演説をしている。
「私はどうか日本の学校を今一層進歩せしめたいと思ふと同時に学校は官立のみが満足なものではないと云ふ感を潔くいたして、従来御懇命を受けて居る大隈侯爵が総長をして居らるる此早稲田大学に聊(いささ)か微力をいたました(原文ママ)次第でございます」
渋沢は大隈から懇命を受けてきたからこそ、微力ではあるが、早稲田大学のために尽くしたのだと述べている。
また、渋沢は早稲田大学に尽くそうと考えた理由を「侯爵に長い間御眷顧(けんこ)を蒙(こうむ)りましたに就いて義務として力を盡さなければならないと深く感じた故でありますが、また廣(ひろ)い意味からまうせば国民の一人として命の終わるまで国家のために尽力するの責任があると思つて居ります故でございます」とも述べている。その上で、渋沢は早稲田の学生に対して以下のような言葉を贈っている。
「他人はいざ知らず学生諸君は義務責任と云ふことを深く心に銘じて置かれることを望みます。働き掛ける学問は教場で先生が教へて下さるでありませうが、義務責任と云ふことに就いては今日この式典に際して私は精神を籠(こ)めて学生諸君にご注意まうすのであります」
以上の渋沢の言葉を見ると、渋沢は早稲田大学の学生に対して、義務と責任を果たす国民としての形成を希望していたと見ることができる。
このように大隈と渋沢は互いを高く評価し、懇意にしていた。大隈は、この演説で渋沢に対して「年は私より二つ下であるが盛んに社会のために善をなして居られるから、吾輩より長生きするかも知らぬ」と述べている。大隈はその4年後には逝去するが、渋沢は大隈亡き後もさまざまな面で早稲田大学のために力を尽くす。早稲田大学に対する渋沢の大きな貢献は見逃してはならないものであると言えよう。
(参照・引用文献)
『早稲田学報』(早稲田大学校友会、1918年、285号)3-8頁