「いま目の前のできることから世界を変えていこう」
教育学部 4年 青柳 雄大(あおやぎ・ゆうだい)
日本政府が緊急事態宣言を発表した翌4月8日、“コロナ禍にあっても自分にできること”をオンライン上で話し合える「できること会議」を立ち上げた教育学部4年の青柳雄大さん。時宜を得たオンラインでの取り組みとその独自性が注目され、朝日新聞や埼玉新聞、『news zero』(日本テレビ)などのメディアでも紹介されました。こうした取り組みの根底には自身の持つマイノリティ性と向き合ってきた経験があると語る青柳さんに、転機となったというデンマーク留学や、GSセンター学生スタッフとしての活動を中心に話を聞きました。
※インタビューはオンラインで行いました。
――緊急事態宣言後すぐに青柳さんが立ち上げたという「できること会議」の概要を教えてください。
「できること会議」は、法学部4年の上羽友香さんと二人で立ち上げたプロジェクトで、社会問題に対してなかなか行動を起こせていない若者をターゲットに、「自分にできること」を気軽に話し合えるプラットフォームを提供しています。通常プロジェクトと言われるものの多くは「自分にできること」が分かった上で参加するものですが、「できること会議」は自分に何ができるか分からないけれど何かしたい、といったモヤモヤした段階から参加できるところに特徴があります。開始から2カ月ほどで、現在までに7回開催し、約130人が全国各地からZoomで参加してくれました。当初は若者をターゲットにしていましたが、下は高校生から上は50代までと、幅広い年代の方に参加いただけています。
――そもそもこうした活動を始めたきっかけは何だったのですか。
もともと二人共、海外での生活経験があったことから、日本と海外の「多様性」の受容に大きなギャップを感じていました。そこで前々から春学期中にいろいろなプロジェクトを始めようと話していたところでした。上羽さんは「とにかくやってみる」ことを大事にしている人で、大胆な挑戦に躊躇(ちゅうちょ)しがちな私の背中を押してくれていたのですが、新型コロナウイルス感染症拡大の状況もあり、タイミングをうかがっていました。そんな折に、自宅でニュースを見ていた際、外国人労働者の解雇やホームレスへの炊き出し減少など、コロナ禍のしわ寄せがさまざまなマイノリティにいっているのを目の当たりにして、何か自分たちがオンラインででもできることがあるはずだと奮起したのがきっかけです。
とはいえ二人だけでできることは限られており、またインパクトにも欠けると思っていました。しかし、発想を変えると、自分たちと同じように問題意識はあるけれど行動できていない若者が他にもたくさんいるのではないかと考え、そういった若者に呼び掛け「具体的に何が自分にできるのか」ということ自体を考えられるような場があれば、もっと気軽に行動を起こせるのではないかと思ったんです。そこから「できること会議」を始めることにしました。
――「できること会議」の中で青柳さんの役割は?
イベントの主催側として、企画や広報などの事前準備や、当日オンライン上で集ったメンバーの「できること」を引き出し、議論を整理する役割を担っています。参加者が会議の場で自分にできることを明確化し、プロジェクトとして独り立ちできることを目標にしており、既に「できること会議」をきっかけとして5つのプロジェクトが誕生しました。そのうちの一つは、会議に参加してくれた高校生がマスクを集め寄付するプロジェクトで、2,000枚のマスクを地域の保育園や保健所に寄付する成果も挙げています。
当初は新型コロナウイルスの話題のみに焦点を当てる予定でしたが、最近ではもっと広くマイノリティに焦点を当てたテーマも設定しています。先日は「#BlackLivesMatter」ムーブメントの一環として、「黒人差別に対して私たちは何ができるのか」をテーマとして立て、3日間で60人以上の参加申し込みがありました。
――どうしてマイノリティに対する関心に結び付いてきたのでしょうか。
私は小さい頃から自分のセクシュアリティが原因で心のどこかで孤独感を覚え、自分に対する嫌悪感を常に持っていました。社会において「正しい」性規範から外れてしまう私は「人間の欠陥品」なのではないかと感じていた時期もありました。当時はセクシュアリティで悩まなければならないことは自分の責任であり、自分自身で解決しなければならない問題だと本気で思っていました。しかし、デンマークへの留学をきっかけに、マイノリティとして苦しむことは個人の問題ではなく、そう思わせてしまう社会の問題であって、社会構造を変えていかなくてはいけないと思ったんです。
――デンマーク留学が大きなターニングポイントになったのですね。具体的にどのようなことを経験したのですか。
デンマークは世界で初めて同性に対する登録パートナーシップ制度を導入した国で、性はもちろん、さまざまなことに寛容な国でした。私はクローゼット(※)で自分に自信がないまま留学に行ったのですが、道を歩いていても同性のカップルが手をつないでベビーカーを押していたりする様子が日常的に見られ、それまで日本で感じていた社会的なプレッシャーが一気に吹き飛んだんです。一番思い出深いのは、ルームメイトに初めてカミングアウトしたときのこと。自分がセクシュアルマイノリティであることを打ち明けたら「だから?」とあっさり言われてしまって。自分は勇気を振り絞って言ったのに、「あなたが何であろうと関係性に変わりはない」と言われてカルチャーショックを受けました。デンマークで1年を過ごす中で、自分のセクシュアリティが性格や特性といったアイデンティティの一つに過ぎないということに気付いたんです。
※自分自身の性的指向や性自認、性同一性などを打ち明けていない状態のこと。社会の差別・偏見や周囲の無理解から自分のセクシュアリティを隠さざるを得ない状態を「クローゼットに押し込まれている状態」に例えたことに由来する。
(写真左)デンマーク留学中に参加したプライドパレード「Copenhagen Pride 2019」
(写真右)留学先だったコペンハーゲン大学の国際寮のルームメイトと
――それで日本に帰ってきていろいろな活動に結び付いていったんですね。
いえ、帰国後も学ぼうという意識や変えなくちゃいけないという思いはありましたが、同時に恥じらいとか、自分に向き合うことから遠ざかりたいという気持ちもあって、なかなかすぐには行動に移せませんでした。デンマークの経験を経て戻ったからこそ、留学前には気付かなかった社会規範、ジェンダーのこと、デンマークでは問題でなかったしがらみに再び直面することになったんです。そういったモヤモヤを抱えているときにGSセンターの存在を知りました。後に学生スタッフとして働くようになって自分に自信がつき、やっと行動に移せるようになったのだと思っています。
――GSセンター学生スタッフとしてはどのようなことに取り組んでいますか。
昨年10月から学生スタッフとして働いていますが、これまで同性婚に関するテーマトーク会を企画したり、東京レインボープライド(※)の開催に合わせたイベント「集まれ大学生!University Pride Day」、セクシュアルマイノリティ当事者として社会で働くゲストスピーカーを招いた「LGBTs就活・就労交流会」などの企画・運営に携わってきました。また、他大学との合同イベント「すべての大学に多様なセクシュアリティを」ではパネラーとして参加したり、早稲田大学ビジネススクールの科目「企業人のためのダイバーシティ・マネジメント」では、ダイバーシティを掲げる企業や社会に対して、学生目線で求めることを受講者に向けてお話させていただくなど、知識や経験を吸収するための機会があれば積極的に手を挙げ関わっています。専門の職員や周囲の学生スタッフから刺激を受けながらイベントを実施することで、自身のセクシュアリティにも自信が芽生えてきました。
※セクシュアリティなどにかかわらず、全ての人がより自分らしく誇りを持って生きていける社会を目指して、毎年、東京・代々木公園周辺で開催されている日本最大のプライドイベント。2020年度はオンラインで開催された。
――今後の展望について聞かせてください。
昨年12月から「一般社団法人Marriage for All Japan」でインターンシップをしながら同性婚の問題にも力を入れています。同性婚の法制化は、ただ法的な効果を得られるだけではなく、広く差別・偏見に対する人権意識への一つのシンボルメッセージになり得ます。ですからこれは自分だけの問題ではなく、将来の子どもたちの問題でもあると思って活動しています。
私が早稲田大学への入学を決めたのは、卒業生である杉原千畝に引かれたことが理由の一つです。千畝さんは当時の社会的マイノリティであったユダヤ人に対し、リスクを犯してまでビザを発給し救った人物ですが、そうしたマインドセットを引き継いで今後も活動にまい進したいと思います。今あらためて強く思うのは、性的指向や性別、人種などで自分の将来に絶望する子どもたちはもう見たくもないし、そんな社会は絶対につくってはいけないということ。苦しむのは自分たちの世代で終わりにしなければと思います。そのためにも、今は同性婚の取り組みや「できること会議」での活動を通じて、目の前にある課題を一つずつクリアしていくことが明るい未来への道を開くことだと信じて活動しています。
第762回