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早稲田卒でなぜ医者に? 座談会 「稲門医師会」が目指すもの〈前編〉

2016年1月31日、医学部を持たない早稲田大学で発足した、医師・歯科医師・薬剤師・看護師などの医療職の校友(卒業生)による「稲門医師会」。発足当初、約130名だった会員は、すでに200名を超えるなど、そのネットワークは急速に広まっています。会員同士の相互交流だけでなく、大学との健康・研究教育面での連携、社会への情報発信、地域稲門会・校友との連携などが期待されています。稲門医師会と早稲田大学は何を目指そうとしているのか。稲門医師会の会員だけでなく、早稲田大学で医理工連携の研究に関わる博士課程学生(2016年3月修了)にも座談会に参加いただき、それぞれが医療の道を志した経緯から同会の将来的な抱負まで、多岐にわたって話していただきました。

(右から)羽鳥裕さん、中山久徳さん、福田敬子さん、築根まり子さん(2016年3月)

 「医」へ至る道は、まさに多様

羽鳥 裕(はとり ・ゆたか) 医師。「はとりクリニック」開業。早稲田大学理工学部建築学科卒業(1974年)、横浜市立大学医学部卒業(1988年)。日本医師会常任理事(2014年~)、稲門医師会会長(2016年~)

中山:司会を務めさせていただく、中山です。私は1988年に商学部を卒業し、サラリーマンを経験した後に山形大学医学部に入学、1996年に卒業しました。その後、東京大学病院の物療内科(現在のアレルギーリウマチ内科)に入局し、それ以降、もっぱら関節リウマチ、膠原(こうげん)病の臨床に携わり、最近は高齢化社会で非常に大きな問題となっている骨粗しょう症を中心とした臨床研究をしています。2012年には世田谷区砧に「そしがや大蔵クリニック」を開業。現在は、専門分野とともに地域医療にも力を入れています。

羽鳥:私は1973年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業して、その後に横浜市立大学医学部に入り直して循環器の専門医となりました。この頃は学士編入制度がなかったせいか、2年間は単位取得について配慮があり、早稲田大学の卒論であった“手作りの家”を実践しようと、早稲田の建築の仲間と一緒に、土を掘って溝を作りコンクリートを流し込むという基礎工事から、ツーバイフォーという柱梁構造で、杉板内装の自宅を作っていました。医学部は6年で無事に卒業し、内科・循環器科・消化器科・呼吸器科を専門に検診も行う「はとりクリニック」を川崎市内で開業しています。この度、稲門医師会会長という大任を拝することとなりました。

築根まり子(つくね・まりこ)。早稲田大学創造理工学部総合機械工学科卒業(2011年)、創造理工学研究科 総合機械工学専攻 博士課程修了(2016年3月)、早稲田大学重点領域研究機構アクティヴ・エイジング研究所 研究助手(2016年3月まで)

福田:私は人間科学研究科修士課程を2005年に修了後、山口大学医学部に学士編入学し、2009年に卒業。研修医修了後は、東京都立松沢病院精神科、日本医科大学精神神経科で研さんし、結婚を機に現在は精神科医としてクリニックでの外来業務をはじめ、産業医として企業で働く方々の健康管理を行っています。今年からは新たに厚生労働省のストレスチェック制度に関する業務に携わる予定になっています。 

築根:創造理工学研究科総合機械工学専攻で藤江正克研究室に在籍する築根と申します。博士後期課程3年生で、今年の3月で学位を取得してメーカーに就職します。大学院では乳がんの診療支援ロボットの研究をしています。また現在、早稲田大学の重点領域研究機構のアクティヴ・エイジング研究所というところで研究助手を務めております。

思った以上に多い早稲田卒の医師

福田 敬子(ふくだ ・けいこ) 医師。公益財団法人 東京都予防医学協会。早稲田大学大学院人間科学研究科修士課程修了(2005年)、山口大学医学部卒業(2009年)。稲門医師会会員

中山:稲門医師会とは「医師会」と称してはいますが、医師のみならず、歯科医師、看護師、薬剤師の方も入っておられます。今年1月31日に、鎌田薫総長にもご出席いただきまして、稲門医師会設立総会が開かれました。羽鳥さんが会長に就任されましたが、それでは羽鳥さんから同会設立に至る経緯をご説明いただけますでしょうか。

 羽鳥:医学部在学中は、自分と同じように他大学を出て医師を目指している人が多いことを知りました。その時、もしかしたら早稲田出身者はもっと多いのでは、と考えていました。そうこうしているうちに、たまたま中山さんと知り合い、「稲門医師会を作りたい」という相談を受けた。それなら側面から応援しようということで、会長を引き受けさせていただくことになりました。

中山:実際に医療の現場に行くと早稲田卒の医師は思った以上に多い。4年くらい前に羽鳥さんが行った講演会の座長がたまたま私だったことで、お互い早稲田卒だということを知り、そこからですね。話が進んだのは。

中山 久徳(なかやま・ ひさのり) 医師。「そしがや大蔵クリニック」開業。早稲田大学商学部卒業(1988年)、 山形大学医学部卒業(1996年)、稲門医師会幹事長(2016年~)

羽鳥:『早稲田学報』を見ると30年くらい前にも、早稲田大学卒の医療関係者が集まる機会があったようですが、そのときは今の稲門医師会を設立しようという動きにはならなかったらしいです。今回は中山さんがいろいろ尽力してくださったことが、結成の契機になったのだと思います。

中山:以前から歯科医師の中でもSNSを使った早稲田出身者のネットワークはあったようです。その方たちも今回、『早稲田学報』で稲門医師会の存在を知ったとのことで、入っていただきました。これまでにも早稲田の校友の医療職の集まりはあった方がいいな、という声もありましたが、今回は保健センターや総長室など大学側の協力が得られたことが順調に滑り出せた要因でしょう。現在、毎日のように入会の希望者があり、会員数は200人を超えました。

羽鳥:入会は基本的にはウエルカム。学部3、4年生くらいまで早稲田にいて中退した方にも入っていただきたいと思います。医師以外の歯科医師、看護師、薬剤師にも入っていただいていますが、さらに会員数が増えて300、400くらいになったら分科会を作ることも考えています。

「医療」を志したきっかけ

中山:羽鳥さんも福田さんも、早稲田大学には医学部がないので、卒業後、あらためて他の大学の医学部に入学し、医師免許を取得されたかと存じます。そのあたりの経緯につきまして、そもそも医師を目指しておられたのか、在学中に何らかのきっかけがあって突如医師を目指すことになったのか、また、築根さんには医療ロボットを開発するという今の研究を志したきっかけを教えていただけますか。

羽鳥:私は最初、建築家を目指していました。建築にはデザインと機械工学があって、デザイナーを目指していたのですが、勉強をしていく上で、才能がある人はもっともっとたくさんいることを知った。早稲田の建築を出たとしても世界で活躍できる人は、1学年で1人か2人。自分には、建築家として身を立てるのはちょっと無理かな、と思いました。それで別の道に進もうと思い医学部を目指すことにした。でも、両親は公務員で、金銭的に余裕があるわけではなく、親に迷惑を掛けられない。だから、当時は既に結婚していたので妻に養ってもらい、時には建築の図面を描く、役所に確認申請に行くなどのアルバイトをしたこともあります。そうしながら、医学部に通っていました。

福田:私は田舎の高校生でしたから、漠然とした東京への憧れと自由な校風に強く引かれて早稲田に入学しました。理系が苦手で当時は医学部なんて考えてもいませんでした。学部時代はサークル活動やアルバイト、留学など、まさに学生生活を謳歌(おうか)していたように思います。卒業後は銀行に就職し、通勤電車で日経新聞を読むような生活をしていましたが、しばらくして早稲田に新しく「スポーツ精神医学」(スポーツ科学学術院 内田直教授)という研究室ができることを知り、当時とても興味を持っていたので、すぐに内田教授に連絡を取り、翌年修士課程に入学しました。精神科医でもある内田教授の手伝いとして、国立スポーツ科学センターや理化学研究所、精神科病院などで医科学研究を進めるうちに、臨床医として患者さんの役に立ちたいという気持ちが強くなり、医学部進学を決意しました。また当時、父が病を患っていたことも大きく影響したように思います。

中山:私は今でこそアクティブに生活していますが、小学生時代にはしばらく病院通いしていました。それで漠然と、将来は人々の病気の治療をしたいという気持ちを持ちました。しかし、中学、高校時代は文系の科目は好きでしたが、どうも理系科目が肌に合わなかった。特に物理・化学は教科書を開くだけで頭の中が真っ白くなってしまうほどで(笑)。医師になりたいという気持ちは持ちながらもやっぱり自分には向いていないのかなと思って文系学部を目指すこととし、憧れていた早稲田大学の商学部に入学したわけです。当時はバブル全盛期で、幸い良い先輩にも恵まれて早々に就職先も決まり、情報広告出版会社に入社して営業の仕事をしていました。その際、担当していた中小企業の創業社長さんから、起業から現在に至る経緯などを聞いていると、情熱を持って打ち込めることを仕事にできるということは本当に素晴らしいと強く感じました。自分は本当は何をしたかったのだろうかと自問自答しました。すると子供のころ、漠然と思っていた医療に携わる仕事に就きたいという気持ちがふつふつとよみがえってきたのです。早稲田の先輩の後押しもあり一大決心して退職。当時できたばかりの所沢キャンパスの図書館に自転車で通って猛勉強して、何とか1年で医学部に入れました。私の場合は時代にも恵まれていました。情熱ある起業家の方や厳しく意見してくれる先輩に出会えたことも大きかったですね。

築根:両祖父、叔父が医師だったので、幼少期から私にとって医学はわりと身近な存在でした。当時から理系の勉強がものすごく好きで、特に物理学の力学が一番楽しいと感じていたので、大学は理系の学部を選びました。入学時は特に医学にこだわっていたわけではないのですが、研究室配属のときに、医療を支援するロボットの研究室があることを知り、そこへ入れば身近にあった医療というものを自分の得意なもので支えることができると思って今の研究室に入りました。実際に今やっていることは、医学領域というよりもロボットを動かすための物理的な研究が多いです。工学の知識をうまく使って支援していけば、より良い医学につながっていくと思います。

【後編に続く】5月11日(水)公開予定

◆関連リンク
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