新作映画の公開前、監督はプロモーションのために数多くのメディアから取材を受けます。丸1日ぎっちりとインタビューが詰め込まれた「取材日」には、1時間おきにやってくる記者たちからの質問に次々と答えていかなければなりません。
西川さんにとって、『早稲田ウィークリー』のインタビューは、この日6本目の取材でした。予定時刻を少し過ぎて登場した彼女は、直前まで別の取材を受けていてまともに休憩も取っていない様子。しかし、そんな疲れをものともせず、西川さんはインタビュアーの目を真っすぐに見つめながら、質問それぞれの意図をしっかりと理解しようとします。
そして、言葉を生み出すための沈黙。
「そうだなあ…」
ゆっくりと生み出される言葉は、一つ一つが重く響き、丁寧に選び取られていることが分かります。きっと多くの名優たちが、西川さんの「そうだなあ…」に魅了されてきたのでしょう。
西川さんとの対話は、今から25年ほど前の、早稲田大学に入学した頃の話から始まりました。
広島県広島市出身の西川さんが早稲田大学第一文学部に入学したのは1994年。入学後は広告研究会に所属します。そこで同期だったのが、以前、『早稲田ウィークリー』でもインタビューをしたテレビ東京プロデューサーの佐久間宣行さん(1999年商学部卒)。佐久間さんの記憶によれば、当時の西川さんはとてつもなく才能に溢れたカッコいい女性だったとか。
西川「違うよ、佐久間くん…! それは絶対に彼が後からつくった物語ですね(笑)。彼が生き生きと広告研究会で活動していた一方で、私はなんだか居場所がないな…って思っていたんです。結局、広告研究会は2年生の頃に辞めて、学生時代の多くを地下に暗室のある写真部で過ごしていました」
そもそも、西川さんが 早稲田を選んだ理由は「早稲田に来たらいびつなものがたくさんあって、型にはまらないものが寄り集まっていると思ったから」だそう。しかし、親元を離れ、広島から上京した西川さんの目に映ったのは、想像とは異なり、どこか素直でまっとうな雰囲気を持った学生たちでした。
西川「入学前に、勝手に描いていた早稲田のイメージは『文化のるつぼ』みたいなもの。人の聴かないマニアックな音楽に詳しい人がいたり、役に立たないことに没頭している人たちにいっぱい出会えると思っていたんです。生真面目に実学を身に付ける場所、というのとは別のところに早稲田ブランドってありましたからね。
けれども、バブル崩壊直後だったこともあり、悠長な時代ではなくなっていたんでしょうね。周囲はいたって「まとも」というか、みんなが見ている先は、単位の取得や就職に関係しそうな『実』のある発想だった気がします。何の役にも立たないことに血道を上げる学生は、第一文学部の私の周囲にはいない印象でしたね」
学生時代を振り返ると、広告研究会のみならず学生生活全般で「いつも自分の居場所をつかめなかった」という西川さん。しかし、卒業から20年以上たって気付いたのが「学生時代って、多くの人がそういう時間を過ごしているのかもしれない」ということでした。
西川「だって、学生って何者でもない存在 ですよね。大学での勉強が将来に直結するような選択をできた学生は違うのかもしれませんが、私の場合は 将来についてはっきり描けず、この学生時代がどこに行き着くか分からなかった。広告や写真、文芸など いろいろな世界を垣間見ながら、ずっと『ここじゃない』『ここでもない』という気持ちを抱えていました。
だから、私にとっての学生時代って、いろいろな世界に足を踏み入れて『あれもある』『これもある』っていうのを確かめながら、『どうしても嫌いになれないものってなんだろう?』と探していた時代 だったんです」
早稲田大学に進学を決めた時には、漠然と「ものを書くことを仕事にしたい」と考えていたという西川さん。しかし、出版社に入社した先輩の話を聞いても、その仕事にいまいち魅力を感じることができませんでした。そして、3年生になり、就職活動の時期を迎えると、次第に映画の世界に興味を持つようになります。
西川「もともと映画は好きでしたが、自主映画を撮ったこともなく、監督志望だったわけでもなかった。ただ『文章を書くのは年を取ってもできるけど、映画をつくるのは若いうちしかできないかも』と思ったんです。
そうして、制作会社だけじゃなく配給会社や宣伝会社などの採用も調べ尽くしました。映画というカルチャーの中で何かしら働きたい と思っていました。でも、映画産業は当時どん底で、新卒採用の枠も少なく、面接をしてくれる会社すら見つかりませんでした。
そんな時に、一度不採用の通知を受けたテレビマンユニオンという会社から電話がかかってきました。『会社として採用はできないけど、映画をやりたいんだったら、今、自分がつくっている映画の取材を手伝ってほしい』って。この電話をくれたのが、是枝裕和監督(現、理工学術院教授)だったんです」
こうして、是枝監督の映画『ワンダフルライフ』の取材の手伝いからそのまま現場の演出助手になだれ込んだ西川さん。しかし、この撮影スケジュールは4年生の12月から翌1月。4年生にとっては卒論提出のピークの時期。一体、どのように卒論と撮影現場を両立させていたのでしょうか?
西川「在学中は美術史学の専修だったのですが、卒論指導を担当してもらった先生に『映画の撮影に参加したいので、10月までに提出させてください!』と交渉し、了承してもらったんです。
結局、書き上がった卒論に対しては「読み物としては面白いけど、論文とは言えないわね」という厳しいコメントをもらいましたが、『あなたもせっかく行きたい道の取っ掛かりが見つかったわけだから、良しとしましょう』って受け取ってくれて…。
先生の言葉には、得体の知れない世界に飛び込もうとしている学生を肯定的に捉えてくれている度量の大きさみたいなものを感じましたよ。うれしかったですねえ」
『ワンダフルライフ』をきっかけに、西川さんは卒業後、数々の映画で助監督としてのキャリアを重ねていきます。そして2002年、宮迫博之さん(雨上がり決死隊)主演の『蛇イチゴ』で監督デビュー。家族の崩壊と再生を描いたこのコメディー作品は、複数の国内映画賞で脚本賞や新人賞などを獲得しました。
続く長編2作目となるオダギリジョーさんと香川照之さん出演の『ゆれる』は、第59回カンヌ国際映画祭の監督週間に日本映画で唯一正式出品され、日本のみならず世界にその名を轟かせることとなりました。
映画監督の中には、気難しく、いつも眉間に皺を寄せている人もいますが、西川さんがまとっている雰囲気は相手を包み込むようなおおらかなもの。しかし、そんな彼女はふとした瞬間に、質問をするこちらがドキっとしてしまうような視線を投げ掛けます。そういえば、これまで西川さんが手掛けてきた作品もまた、いつも観客をドキッとさせるものばかりでした。
『蛇イチゴ』では平凡な一家の転覆劇が、『ゆれる』では兄から多くのものを奪ってきた弟の姿が、『ディア・ドクター』ではへき地の無医村に紛れ込んだ偽医者の逃走劇が、そして『永い言い訳』では妻の死に向き合うことのできない夫の姿が描かれています。西川さんが視線を向けるのは、いつも弱さや愚かさを抱えた人間たち でした。
西川「昔から、社会からあぶれてしまった人間や犯罪者のような人物に興味が湧いてしまうんです。今振り返ると、学生時代に撮っていた写真もそう。モデルをきれいなライティングで撮るのではなく、気付いたらドブのような汚い場所にカメラを向けていた。
私が学生だったのは、今から20年以上前の平成中期。時代の表面は十分ピカピカでのっぺりしてましたからね、なんかハリボテっぽくって、つまらなかったんでしょうね。そういうものの表面を1枚剥がしたところに、人間や社会の本性が見つかる気がしていたんじゃないかなと思います。
どうしてもそういうものに引かれてしまう。もうそれが私の性分なんでしょうね。」
西川さんが自身のそんな「性分」に気付いたのは10代の頃。決して、ネガティブだったり、暗い思考回路だったわけではなかったのに、なぜか、いつもいびつなものや後ろ暗いものに興味を引かれていたと言います。
その頃、西川さんに大きな衝撃を与えたテレビドラマが放送されました。それが、『実録犯罪史シリーズ 恐怖の二十四時間 連続殺人鬼 西口彰の最期』(フジテレビ系)という番組。実在する連続殺人鬼の姿を描いたこの作品を見て、当時17歳の高校生だった西川さんの目には、とめどなく涙が溢れてきたそうです。
西川「このドラマは、タイトルだけ見ると殺人鬼の凶暴さを描いた内容に思えますが、実際に描かれるのは、ある家族のもとにやってきた殺人犯の、ペラペラ饒舌にしゃべり、追っ手に怯え、時に優しささえ見せる姿。家族もうっかり彼に信頼を寄せて打ち明け話をしてしまったり、不良息子を部屋に引っ張り込んで『あんないい親がどこにいるんだ』と説教したりする。
そんな姿を見ながら、連続殺人犯という存在も、私たちと決定的に異なる生き物ではないような気がしてくる。人間って、どこからが正しくて、どこからが間違いなのか分からないなと。
17歳頃って人間性が一番むき出しになっている時期 ですよね。だから、自分の中に渦巻く欲望や憎しみをうまく処理できない。でも、このドラマを通じてやっぱり人間ってどうしようもなく変な生き物なんだよなあと。それになぜかとても救われた気持ちになったんです」
そして、このドラマで主人公の西口彰を演じたのが、2月に公開される西川さんの最新作『すばらしき世界』で主演を務める役所広司さんでした。
西川さんが、役所さんが演じる元殺人犯を通して描きたかったのは、どのような世界なのでしょうか? 後編では、最新作『すばらしき世界』について、そして、映画を通じて「見えないものをちょっとだけ見る」ことの価値について話を伺っていきましょう。
- 西川 美和(にしかわ・みわ)
- 1974年、広島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大学在学中に、是枝裕和監督作『ワンダフルライフ』にスタッフとして参加。フリーランスの助監督として活動後、2002年に『蛇イチゴ』でオリジナル脚本・監督デビュー。第58回毎日映画コンクール・脚本賞を受賞。2006年、長編第二作『ゆれる』を発表し、第59回カンヌ国際映画祭監督週間に出品。国内で9カ月のロングラン上映を果たし、第58回読売文学賞戯曲・シナリオ賞ほか受賞。撮影後、初の小説『ゆれる』を出版。2009年に『ディア・ドクター』を発表。取材をもとにした小説『きのうの神さま』を出版。2012年に『夢売るふたり』を発表。2015年に小説『永い言い訳』を出版、初めて原作小説を映画製作に先行させた。2016年、映画『永い言い訳』を発表、第41回トロント国際映画祭スペシャル・プレゼンテーション部門正式出品、第71回毎日映画コンクール監督賞などを受賞。
- 取材・文:萩原 雄太
- 1983年生まれ。2006年早稲田大学第二文学部卒業。かもめマシーン主宰。演出家・劇作家・フリーライター。早稲田大学在学中より演劇活動を開始。愛知県文化振興事業団が主催する『第13回AAF戯曲賞』、『利賀演劇人コンクール2016』優秀演出家賞、『浅草キッド「本業」読書感想文コンクール』優秀賞受賞。かもめマシーンの作品のほか、手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』にはパフォーマーとして出演。http://www.kamomemachine.com/
- 撮影:加藤 甫
- 編集:横田 大、裏谷 文野(Camp)
- デザイン:中屋 辰平、林田 隆宏