Waseda Weekly早稲田ウィークリー

潜入ルポ「誰も知らない“是枝先生”」世界的映画監督から学ぶ、物の見方・考え方

スクリーンに照らされる、学生以上に熱っぽいまなざし

映画監督・是枝裕和氏と言えば、『海街diary』が日本アカデミー賞最優秀作品賞・最優秀監督賞など4冠に輝いたのは記憶に新しいところ。『ワンダフルライフ』『誰も知らない』『空気人形』など立て続けにヒット作を生み出し、『そして父になる』ではカンヌ映画祭審査員特別賞を受賞。そんな押しも押されもせぬ、日本を代表する映画監督は2014年4月、母校である早稲田大学の教授(理工学術院)となりました。「なぜ先生になったのか」「どんな授業をやっているのか」「学生のころはどんな若者だったのか」など、これまであまり公にされてこなかった“是枝先生”の素の姿を、全3回にわたり特集していきます。第1回となる今回は、気になる授業の潜入ルポをお届けします。

今回潜入した授業は全学部生が受講できる基幹理工学部設置のオープン科目「映像制作実習 I」。ワークショップ形式で映画・シナリオ作り・演出・撮影・録音などを学び、グループに分かれて実際に映像作品を作ります。是枝教授と共に、映画研究者で理工学術院の土田環講師も指導に加わります。2人は映画監督と映画祭プログラマーという異なる立場ながらも、『こども映画教室のすすめ』(春秋社)という共著も出版する仲。今回は土田講師が主に進行しつつ、要所要所で是枝教授にパス出し。事前の打ち合わせはほとんどしていないそうですが、本当に絶妙なコンビネーションです。

映画の象徴的なワンシーン。スティービー・ワンダーを歌う盲目の歯科医。

授業前半では、“東南アジアの期待の星”と土田講師が紹介した、インドネシアの映画監督エドウィンの処女作『空を飛びたい盲目のブタ』を鑑賞。後半はこの映画を基にグループワークを行いました。ブラインドを下ろしながら授業の流れを説明する土田講師。この映画を見る狙いは何か? 何を求められているのか? いざ鑑賞に臨む学生たちの緊張をほぐすように、土田講師が「まあ、メモは取っても取らなくても」とラフに語りかけると、早速上映開始です。是枝教授も後方の席に腰を下ろし、学生と同じ視点で鑑賞します。頰づえをつく横顔は学生以上に熱っぽく、真剣そのもの。

難解なストーリーをいかに捉えるか

『空を飛びたい盲目のブタ』は、1998年にインドネシアで起こった「5月暴動」(華人に対する略奪や焼き打ち)を背景に、3世代にわたる華人それぞれの生き様を描いた作品。人種差別や宗教観などをテーマに、老若男女さまざまな登場人物のエピソードが代わる代わる描かれる、少々難解な内容です。

というのもこの映画、一見個々の話に関連性はないように見えるのですが、ストーリーが進むとそれが実は親子だったり恋人だったり同一人物だったりと、象徴的なセリフや演出を通じて、登場人物同士の関係性が徐々に分かってくるオムニバス映画。土田講師は「シナリオを考える際、関係性でしかキャラクターの特徴は出せない。それを考えるのにこの映画は最適な教科書」だと言います。

主な登場人物は、女性バドミントン選手。テレビ出演する爆竹を食べる美女。華人であることでいじめられていた少年少女。歌いながら治療をする盲目の男性歯科医。その愛人で歌手を目指し、オーディション番組に出演したがっている女性歯科助手。男性番組プロデューサーとその恋人(同性愛者)。ビリヤードに興じる初老の男性と少女。そして、ひもにつながれたブタ。劇中では、スティービー・ワンダーの「I Just Called To Say I Love You」が繰り返し歌われ、強い印象を残します。

“キャラクター”は登場人物同士の関係性に宿る

短い休憩を挟んだ後、土田講師が黒板に登場人物の顔写真を10枚貼り出しました。ここからはグループワークの時間。まず、グループごとに登場人物の中から1人を選び、どんな特徴を持っているのかディスカッションしました。他の登場人物は、選んだ1人を説明するツールとして使用します。「人物関係を正確に把握するのは難しい。是枝さんとも話したけど、僕らでも意見が割れている部分もあります。分かりやすく説明しようと思ったら選択肢が重なるかもしれないね。だけどあえて複雑なところ、例えばブタを攻めるとかもありだよ」と土田講師。「ブタ、面白そうだね」と是枝教授。

くじで決まったグループごとに座り直す学生たち。まだ2回目の授業ということもあり、少々ぎこちなさは残るものの、早速互いの感想を言い合います。

中心となる人物と、その周りに関係性を表す人物の写真を張り、特徴を書き込んでいく

白熱する議論、その中心は?

土田講師の予想通り、多くのグループで相関図の中心に置かれたのは、十数人のキャラクターの中で登場回数がもっとも多く、他の人物とも関わりの深い、盲目の歯科医。でもやはり謎めいた「ブタ」の存在は気にかかるらしく、途中から議論の話題が移り始めます。台湾の留学生が「インドネシアはイスラム教徒が大半を占めていて、ブタは特殊な存在」と言えば、別の学生からは「ひもにつながれたブタは、差別を受けていた華人の象徴では?」という鋭い反論も。

学生同士の議論の様子をじっと見つめる是枝監督

是枝教授は、各テーブルを何度も回りながらも自分から言葉は掛けず、学生たちの輪をじっとのぞき込んでいます。学生を見守る先生というよりは、まるで観察対象を見つめるような鋭い目つき。でも学生から「ブタは華人の象徴」という意見が飛び出した瞬間、にやっと頰が緩む一幕も。

20分ほど経過したころ、土田講師が「もういける班ある?」とみんなに問い掛けますが、手を挙げるグループはいません。全員ディスカッションに夢中で、先生たちに視線を向ける余裕がなかったのです。「きりがないから、あと1〜2分でまとめよう」とせかす土田講師も、心なしかうれしそう。

現役プロからの執拗(しつよう)なツッコミ

いよいよ発表の時間です。それぞれのグループから「歯科医が愛人にこだわるのは、華人の子孫を残すため。改宗までしているので相当思い入れが強い」「成長した少年少女が、YouTubeで5月暴動を見ているシーンは、体験していない世代としての演出なんじゃないか」などの意見が発表されました。

いくつかの発表が終わったところで、是枝教授が学生に「(映画の中で)一番分からなかったのはどこ?」と問い掛けると、「ビリヤードをする老人が何者か分からなかったです」という声が。すかさず土田講師が「ビリヤードのおじいさんの特徴を挙げてる班ある?」と投げ掛けます。

すると、ある学生から「少女の祖父。華人としての典型的思想の持ち主で、5月暴動以前の世代。つまり、人種差別による抑圧を体験していた人では」との回答が。土田講師は「どういうシーンで、それを説明してる?」と追求。学生が言いよどむと「おじいさんだけが、中国名とインドネシア名の2つの名前を持ってるんだよね。昔は中国名を名乗らせてもらえなかったから。例えばこういう説明の仕方があるよね」。続けて「祖父だということは? なぜ?」と質問。別の学生が助け舟を出し「2人ともたばこの煙を輪っかにしている」と答えると、「そう! 近しい関係にある者が同じ癖を持っている、っていう描き方なんだよね」と解説しました。

そこで、是枝教授からもアドバイスが。「例えば、あの盲目の歯科医を映像でどうやって表現するか。この映画で(歯科医は)常にサングラスをしていて、人の口に何か器具を入れていた。隣には常に歯科医と同じ歌を歌う女性がいる。それで彼女は歯科助手か、いや愛人かとつながってくる。最近のドラマはすぐテロップで出しちゃうんだけども(笑)」

“是枝先生”が教える、企画の立て方・物の考え方

発表も一通り片付き、授業も終盤。土田講師が「来週からは企画出しかな」と振ると、「うん、企画書は早めに書き始めよう。夏には撮影に入りたいので」と是枝教授。おもむろに立ち上がり、黒板に何か書き始めます。そして、これまでとは打って変わってとうとうと話し始めました。

「企画書では延々とテーマを語ったりしないように。聞いた人が頭の中で具体的な風景や匂いを浮かべられるものがいい。企画とか脚本は『イマージュよりオマージュ』なんです。これは写真家の荒木経惟さんの言葉。自分だけの想像ではなく具体性。イメージより“何かに対する愛”がが大事」

「福岡伸一さんという分子生物学者がよく言っているのは、生物がなぜそうなっているか(why)ではなく、どのようにそうなっているか(how)が、分子生物学だということ。なぜ命があるのかではなく、命ってどうなっているのか。日本の国語の教育は、意味を考える訓練が主流だから無意識に『なぜ』と考えてしまう。皆さんに考えてもらうのは『どうなっているか』を伝えることです。それを念頭に置きながら企画を練ってみてください」

さらには、企画書の書き方についてもヒントを。「僕が仕事を始めたとき、企画書の書き方で最初に言われたのが、田舎のおばあちゃんに電話で今、自分が面白がってることを分かりやすく伝えるように書け、ってこと。『へえ、それで?』とおばあちゃんが言ってくれるようなものが理想だね。これはどこでも使えるテクニックだから、ぜひやってみてください」

一貫して言葉少なに本質を引き出すまでじっと待つ姿勢が印象的だった、是枝教授。もしかすると『誰も知らない』の主演俳優・柳楽優弥さんの繊細な表情がカンヌで絶賛され、日本人初・史上最年少の最優秀主演男優賞を獲得できたのも、そんな是枝教授の“待つ姿勢”ゆえなのかもしれません。次回は是枝教授のインタビュー。自身がどのような学生時代を過ごし、会社員、ドキュメンタリー作家を経て、いかにして現在の“是枝作品”を築いていったかについて特集します。

プロフィール
是枝 裕和(これえだ・ひろかず)
映画監督。1987年早稲田大学第一文学部卒業。2004年、『誰も知らない』が第57回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品され、主演の柳楽優弥氏が史上最年少の14歳で最優秀男優賞を受賞。『そして父になる』(2013年)では、第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門審査員賞受賞。2014年4月、早稲田大学理工学術院教授に就任。2015年は『海街diary』が同映画祭同部門に正式出品された。最新作『海よりもまだ深く』が2016年5月21日より公開。
土田 環(つちだ・たまき)
理工学術院講師。2000年早稲田大学政治経済学部卒業。2009年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得満期退学。ローザンヌ大学、パリ第8大学、ローマ第3大学へ留学。学生時代より内外の映画祭プログラムに携わる。日本映画大学を経て2016年4月より現職。専門は映画史・映画美学。編著書に『ペドロ・コスタ 世界へのまなざし』(2005年)、『嘘の色、本当の色―脚本家荒井晴彦の仕事』(2012年)、『こども映画教室のすすめ』(2014年)など。
◆是枝教授の担当授業
是枝教授が担当する授業は他に「テレビ論」(基幹理工学部設置)、「映画のすべて マスターズ・オブ・シネマ」(グローバル・エデュケーション・センター設置)など。「テレビ論」では1960年代のテレビドキュメンタリーを鑑賞し、テレビが本来目指した公共性について考え、今のテレビの在り方とその可能性について考察します。「映画のすべて マスターズ・オブ・シネマ」は、映画・テレビ業界の著名な方をゲストとして招いて講演していただく授業。いずれも全学オープン科目となっています。
Page Top
WASEDA University

早稲田大学オフィシャルサイト(https://www.waseda.jp/inst/weekly/)は、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。

推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。より快適にご利用いただくため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。

このままご覧いただく方は、「このまま進む」ボタンをクリックし、次ページに進んでください。

このまま進む

対応ブラウザについて

閉じる