2021年2月に公開される西川さんの最新作『すばらしき世界』は、人生の大半を刑務所で過ごした元ヤクザの殺人犯・三上正夫が、13年の刑期を終えて刑務所から出所する場面から始まります。東京の下町にアパートを見つけ、一度外れてしまった社会のレールに再び復帰していこうとする三上。
その人柄は、真っすぐに物事を見つめ、困っている人のことは放っておけないという優しさと、短気でふとした瞬間に頭に血が上ってしまう凶暴さが同居するものでした。
西川「自分の中にある凶暴さを抑制しながら、なんとか世間との折り合いをつけようとする三上の姿を見ていると、どこか私自身にも重なってくるような気がしてくるんです。
普通はその凶暴さを押さえ付けますよね。しかし、三上はそれができず、思わず激高してしまう。もちろん、彼の生き方が正しいとは言いませんけど、気持ちは分かるんですよ。そうそう、そういうとき、腹立つよなあとね」
世の中の当たり前に反発してしまう三上というキャラクターは、映画の主人公にはピッタリの存在。西川さんも、三上の生き方を「映画的過ぎるくらい映画的」と表現します。しかし、この作品は、映画的なヒーローが世の中の不正を暴いて大活躍をする物語ではありません。
不器用な生き方をする三上の前に立ちはだかるのは、世間という大きな壁。ヤクザの世界から足を洗い、就職して働こうとする彼を受け入れてくれる場所は、社会のどこにもなかったのです。
三上の元には、身元引受人の弁護士(橋爪功)や近所のスーパーの店長(六角精児)、そして、三上の姿をカメラに収めようとする若手テレビマン・津乃田(仲野太賀)など、さまざまな人々が集まり、三上が持っている優しさも凶暴さも理解しながら、その社会復帰を手助けします。
しかし、そんな彼らが三上に対して口々に語る処世術は、「ムカッときても、受け流すんだよ」「本当に必要なもの以外は切り捨てていかないと自分の身は守れない。全てに関わっていけるほど人間は強くないんだ」というものでした。
目をそらせ、耳をふさげ…。彼らが三上に話す善意からのアドバイスは、三上だけでなく、この映画を見る観客たちにも突き付けられるもの。私たちも、都合の悪いことからは目を背け、耳をふさぎながら日常生活を送っています。
自分を貫き通す三上の生き方が正しいのか、それとも世の中に合わせて生きていく周囲の人々の方が正しいのか? この映画を見ていると、観客はそんな二項対立の間に立たされるでしょう。
けれども、そんな問いに対して西川さんは明確な回答を用意しません。「自由に生きることが素晴らしい」とも「我慢して生きるのが正しい」とも言わず、観客に対して割り切れないモヤモヤとした感情を残していきます。
西川「純粋な目で見れば見るほど、この社会はいびつさに溢れています。決して全ての人が救われるようにはなっていない。世の中を生きていくっていうのは我慢と妥協の連続で成り立っているものでもある。
きっと、世界と適度に折り合いをつけながら自分の自由を作っていくのが『生活する』とか『仕事をする』っていうこと なんでしょうね。映画づくりだってそうですよ。全てが自分の思うようにはいきません。
譲歩したり、頭を下げたり、たまに意地を通したりズルをしたりしてバランスを取りながら、最終的に少しだけ『自由』の方が多かったら良しとする。
そうやっていくことが、人生だったり、暮らしだったりするんだと思うんですよ。とても難しいし、うまくできなくて苦しい人がいるのは当たり前だと思うんです」
では、西川さんが三上のような生き方を描いていくことには、どのような意味があるのでしょうか? そんな疑問を投げ掛けると、西川さんが話してくれたのは、「見たくないものを、ちょっとだけ見る」という言葉でした。
西川「もしも、多くの人々に『見たくないものを、ちょっとだけ見る』という経験が重なっていったならば、弱いものや怖いものに対する拒絶反応みたいなものが緩んでくるのではないかなと思うんですよね。
犯罪者だけでなく、例えば、子どもや高齢者、障がい者といった人たちを『普通じゃない人』として、この社会は視界に入るところから遠ざけようとしてきたわけですよね。そういう人たちは見えないところに集められて、自分たちとは関係ないもののようにされてきた。
でもその結果、私たちは、流れを乱されることとか、急な変化とか、死とか病に対しても、知識や体験が乏しくて、ものすごく怖がりになっているし、耐性がなくなってしまった」
無意識のうちに私たちが考えてしまう「普通」という領域の外で、多くの人々が生活を営んでいます。西川さんの言う「見たくないものを見る」とは、「普通」の領域を超えて「普通じゃないもの」をのぞき見ていくこと。10代の頃から数多くの映画を見てきた彼女にとって、映画とは、そうやって外の世界を「ちょっとだけ見る」ための窓でした。
西川「日常の世界で暮らしていると、自分の見聞きできる世界の範囲ってものすごく狭いですよね。そんな狭い世界から少しだけ外に出て、別の世界を見せてくれるのが映画というメディアの魅力 です。
外国の映画を見ても、そこに描かれる人間性の近さに驚いたり、あるいはこんなにも文化が異なるんだと発見したりする。そうやって『ちょっとだけ見る』ことができれば、人と人の間にある境が薄くなって、この世界の風通しはちょっとだけでも良くなるんじゃないですか」
『すばらしき世界』という作品もまた、元殺人犯・三上正夫という主人公を通して、「見たくないものを、ちょっとだけ見る」映画です。普段、ほとんどの人がこの社会で生活する元受刑者の存在に気付くことはなく、彼らが就職に苦しむこと、社会生活に馴染めないこと、その結果、再び犯罪に手を染めてしまうことも見過ごしながら生活しています。
西川「私自身、この作品の原作となる佐木隆三さんの小説『身分帳』を読むまで、受刑者の社会復帰なんて、よく考えたこともありませんでした。刑務所から出てきた人が自分の身近に暮らしているような経験もなかったし、彼らがどのような環境で生活しているかを想像することもなかった。
けれども、映画の中で長澤まさみさんが演じるテレビプロデューサーの吉澤が『社会のレールから外れた人が、今ほど生きづらい世の中はない』『(レールから外れた人が)社会からあぶれた末に何をするかと言えば、また一般人に被害を出すことだから』と話すように、彼らが生活を取り戻すことは、実は私たちの日常に関わってくることです。
彼らについて『ちょっとだけ見る』ことは、自分たちの日常を振り返ることになるんです」
西川さんの過去の作品を振り返ってみると、その中には、大事件が起こることはありませんでした。彼女は、いつも日常に流れる微妙な心理の変化を描くことによって心の中に入り込み、観客が持っている想像力のスイッチを押してきたのです。
西川「私には、映画を通じてこれを伝えたいというスローガンはない んですよ。その代わり、モチベーションになっているのは『面白い球を世の中に放ってみる』というイメージ。
伝えたいメッセージがあるのではなくて、『こういうものを作ったら、見た人は何を感じるのだろう?』という興味だけで作品をつくっているのかもしれません」
観客は、西川さんから放り投げられた「面白い球」を、どのように受け止め、どのように行動をしていくのでしょうか?
『すばらしき世界』を通して「見たくないものを、ちょっとだけ見てみる」と、その後には、それまでとは異なった感覚を抱くかもしれません。
この日、取材が終わったのは17時。早稲田ウィークリーの取材が終われば、今度は映画雑誌のインタビューが待っていて、どうやら、日本を代表する映画監督はまだまだ休憩することもできない様子。
「あ、そうそう。佐久間くん のことは、あまり悪く書かないでくださいね(笑)」
何者でもなく「どうしても嫌いになれないもの」を探し求めていた学生時代から20余年。自分の性分に従って、世の中に映画という球を投げ続ける西川さんは、そう言って笑うと、また次の取材へと向かって行きました。
- 西川 美和(にしかわ・みわ)
- 1974年、広島県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。大学在学中に、是枝裕和監督作『ワンダフルライフ』にスタッフとして参加。フリーランスの助監督として活動後、2002年に『蛇イチゴ』でオリジナル脚本・監督デビュー。第58回毎日映画コンクール・脚本賞を受賞。2006年、長編第二作『ゆれる』を発表し、第59回カンヌ国際映画祭監督週間に出品。国内で9カ月のロングラン上映を果たし、第58回読売文学賞戯曲・シナリオ賞ほか受賞。撮影後、初の小説『ゆれる』を出版。2009年に『ディア・ドクター』を発表。取材をもとにした小説『きのうの神さま』を出版。2012年に『夢売るふたり』を発表。2015年に小説『永い言い訳』を出版、初めて原作小説を映画製作に先行させた。2016年、映画『永い言い訳』を発表、第41回トロント国際映画祭スペシャル・プレゼンテーション部門正式出品、第71回毎日映画コンクール監督賞などを受賞。
- 取材・文:萩原 雄太
- 1983年生まれ。2006年早稲田大学第二文学部卒業。かもめマシーン主宰。演出家・劇作家・フリーライター。早稲田大学在学中より演劇活動を開始。愛知県文化振興事業団が主催する『第13回AAF戯曲賞』、『利賀演劇人コンクール2016』優秀演出家賞、『浅草キッド「本業」読書感想文コンクール』優秀賞受賞。かもめマシーンの作品のほか、手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』にはパフォーマーとして出演。http://www.kamomemachine.com/
- 撮影:加藤 甫
- 編集:横田 大、裏谷 文野(Camp)
- デザイン:中屋 辰平、林田 隆宏