Waseda Weekly早稲田ウィークリー

作曲家として生きるには? 早大卒、非音楽エリートの場合 杉山勝彦×木村秀彬

嵐や乃木坂46などの作曲を手掛け、日本レコード大賞作曲賞も受賞した杉山勝彦さんと、TVドラマやアニメなど多くのヒット作の劇伴げきばん音楽を手掛ける木村秀彬さんによる、「好きを仕事にする」夢をかなえたお二人の対談。前編では、作曲家としてどのように仕事をされているか、また「スランプの末に音楽に愛される」瞬間など、そのやりがいが語られました。

そんなお二人は、どのような学生時代を経て、今のキャリアを獲得していったのでしょうか? 彼らの半生をひもといた後編は、音楽に限らず、クリエイターとして生きていくための哲学へと発展していきました。

チャンスは自分からつかみに行く 早稲田祭がきっかけで作曲家デビュー!?

そもそも、お二人はどのように音楽の道に進んだのでしょうか?

杉山
僕の場合、母親がクラシックピアノの先生だったので、小さい頃から音楽の教育を施されてきました。しかし、二人の兄が熱心にピアノを勉強する一方、僕だけ楽譜の読み方も分からず、英才教育に失敗(笑)。

その後、カラオケにハマり、中学の修学旅行のバスの中で米米CLUBさんの『浪漫飛行』を歌ったところ、女の子にめちゃくちゃ受けた。そこから「俺、持ってる!」と勝手に思い込み、家で歌の練習を始めます。

すると、兄が「どうせ歌うなら、ギターを弾きながら歌えば?」と提案してくれてギターも始めました。でも、アコギを弾くと指が痛くなるし、弾けるようになっても披露する場所がない…。全然楽しくなくて、すぐに挫折してしまいました。

中学までに2回も挫折を経験(笑)。

杉山
本当の意味で転機になったのは、高校に入ってからです。またしても兄が「近所に面白いギターの先生がいるから見に行こう」と誘ってくれたんです。ギターの上手な先生がレスポール(ギブソン社のエレキギター)を大音量で弾いているのを聴き、「この世界にこんなにカッコイイ音楽があるのか!」と感動した。その足で貯金を全部おろして、ギターを買いに行ったんです。

それからは「どうやったら音楽で飯が食えるか」だけを考える生活に一変しました。高校には軽音楽部がなかったので、吹奏楽部に入り、どんな音域でどの楽器が鳴っているか、副旋律はどのように構成されているのかといったことを学びます。当時は、とにかくプロになってやろうとばかり考えていたんです。

当時描いていた「プロ」とは、アーティストになることだったのでしょうか?

杉山
一番初めに憧れたのがMr.Childrenの桜井和寿さんだったので、自分もアーティストになりたいという気持ちがありました。ただ、そこまで「アーティスト」であることのこだわりは強くなかった。

まず、普通にやっていても音楽で食べていくことはできませんよね。「どうしたら音楽で食べていく確率が上がるのか?」と、兄に聞いたところ「長者番付を見てみろ、作曲家だけだろ? どうせ目指すなら曲を書く人になった方がいい」と言われ(笑)、作曲を始めたんです。
初めて書いた曲は、自分が納得できるものだったし、周りの友達に聴かせても「すごくいい!」と褒めてくれて、母親も「和声を勉強していないのに、ハーモニーがきれいな曲だね」と認めてくれた。今から振り返ると、挫折こそしたものの、わが家は毎日クラシックピアノが流れる環境だったので、その影響が出ていたんでしょうね。

では、なぜ早稲田への進学を選んだのでしょうか?

杉山
高校3年のときに好きだった女の子がゴスペラーズが好きで「私、この大学に入りたい」って言っていたから。それだけです(笑)。

(笑)。

杉山
建築学科に入り、ゴスペラーズを輩出した「Street Corner Symphony」というサークルと、インスト音楽専門バンドサークル「フュージョン マニア」に在籍しました。ところが早稲田では、とんでもなく楽器のうまい先輩ばかり。すぐ上の代にはサックスプレーヤーの庵原さんも在籍していたんです。
木村
庵原さんって、庵原良司さん?
杉山
はい。卒業後には、SMAPやKinKi Kids、ナオト・インティライミといったアーティストのツアーにも参加する、日本でも有数のサックスプレーヤーです。彼を筆頭に、当時の早稲田はプロ顔負けの技術を持ったプレーヤーであふれていました。

当時はプレーヤーとしての道も考えてはいたんですが、サークルだけでもこんなとんでもない才能を持った人たちばかりなのに、この先プレーヤーとして生き残っていくことはできない…。そこで、やはり作曲に専念した方が生き残れるはず、と思うようになりました。

一方、学生としては大学院に進学するもののすぐに中退し、いったん予備校のスタッフとして就職しました。

在学中に一度作曲家デビューしたにも関わらず就職したということは、音楽でプロになる道を一度は諦めてしまったのでしょうか?

杉山
いえ。就職してみたかったという好奇心もあったし、音楽だけで本当にやっていけるのかという不安もあったので、1年間限定と考えて就職をしたんです。反対に、もしも仕事が面白くて音楽に戻る気持ちが湧かなかったら、そこまでの気持ちだったということ。

けれども、サラリーマンを続けていても、音楽が好きだという気持ちが消えなかったので、迷いなく辞めたんです。

その後、どのような経緯を経てプロの作曲家としてデビューしたのでしょうか?

杉山
サラリーマン時代、早稲田祭にOBとして遊びに行ったところ、自分が所属していたサークルに、ゴスペラーズのメンバーと、彼らをスカウトしたラッツ&スターの佐藤善雄さんが来ていたんです。そこで、「チャンスが来た!」と思って、後輩に無理を言って5分だけ時間をもらい、自分の曲を演奏しました。

ここでもまたゴリ押しが(笑)

杉山
はい(笑)。ここでやらなければ、早稲田に入学した意味がない! と思いました。すると「今の曲を書いたのはお前か?」と、佐藤さんが声を掛けてくださり、ソニー・ミュージックパブリッシングに入ることになったんです。そして、コンペに出したところ、3カ月後に嵐の曲を担当することが決まります。これがプロとしてのキャリアのスタートでしたね。
木村
一発目で嵐の曲に!?
杉山
はい。でも、当時めちゃくちゃ曲を書いていたんですよ。数百曲は書いていたんじゃないかな。
木村
ただ、いきなり頂上に行っちゃったら、ビギナーズラック的に後でしんどくなりそうだけど…。
杉山
なんと、その次のコンペでも嵐が決まったんです。
木村
持ってるな〜(笑)。
杉山
持ってましたね(笑)。ただ、その直後から全然コンペに通らなくなって…。「音楽の神は俺を見捨てた」と思いました。

夢を目指すために必要だった 「根拠のない自信」

では、木村さんと音楽の出合いは?

木村
僕の場合、学生時代には音楽を仕事にするつもりはなく、大学卒業直前まで警察官になりたいと思っていたんです。そこで、法律を勉強するために早稲田の政経に入学しました。在学中はずっと六法全書をめくって勉強をするような生活でしたね。

サークルとしては、高校生の頃からギターをやっていたので「New Music Club (NMC)」という音楽サークルに所属していました。ただし、警察官を目指していたので、音楽はあくまでも趣味。当時は、TAB譜(ギター専用の譜面)を追いかけながら、スティーヴ・ヴァイ(※グラミー賞も受賞したアメリカのギタリスト)やドリームシアター(※アメリカのメタルプログレバンド)などをコピーして、速弾きの練習に明け暮れていたんです。

その後、卒業間近になって、国1(※国家公務員1種)を受験しました。もともと目指していたのはいわゆるお巡りさんだったのですが、周囲に流されるまま受験したところ、案の定、勉強が追いつかずに落ちてしまったんです。

それから就活し、当時流行していたベンチャー企業の内定をもらいます。しかし、あとは卒業するだけという頃に、ふと「音楽の道に行こう」と思ったんです。

就職も決まっていたのに、一体どうして!?

木村
自分でもうまく説明できないのですが…、友達と九州へ卒業旅行に行ったときに、「このまま就職して大丈夫かな」という気持ちがよぎったんです。「就職するよりも、ギターが弾きたい」そう強く思った。そこで、内定を辞退して、音楽の道を選びました。

自分でも言葉にできないような衝動があったんですね。当時はどんなミュージシャンになろうと考えていたのでしょうか?

木村
僕の場合、表舞台に上がってはじけるのが無理なタイプだったので、裏方に回って手に職をつけたいと思っていたんです。

ただし日本の音大に入るのは、当時譜面も読めなかった僕の音楽スキルでは到底無理。そこで音楽の専門学校に通った後、アメリカにあるバークリー音楽大学に進学したんです。

ジャズをはじめとする商業音楽全般を教えるバークリー音楽大学は、数多くの音楽家を輩出しており、ピアニストの上原ひろみやサックス奏者の渡辺貞夫なども同校の卒業生です。バークリーでは、どのようなことを学んだのでしょうか?

木村
音楽理論やアレンジ、そしてデジタル・テクノロジーを使った作曲などを一通り学びました。僕が通っていたContemporary Writing and Production科は、バークリーの中でも最も商業的な音楽を手掛ける学科。そこで2年間学び、帰国した後に劇伴の仕事を手掛けるようになっていったんです。

お話を伺っていると、お二人とも、将来を見据えながら「職業として音楽」を考えていたことが共通していますね。

木村
あとは、根拠のない自信があったことも共通しているなと感じます(笑)。今考えるとヒヤヒヤしますが、漠然と「きっと行けるはずだ」という確信のようなものがありました。
杉山
僕も、根拠こそありませんが、自分が考えているもの、思い描いたものがちゃんと形になるという成功体験を一定回数積み重ねていくことで、必ず結果が出るという経験があった。だから、どんなに運が悪くても3年やれば結果は出るはず、と考えていたんです。

ディスられながらも 頑張るヤツが生き残る

では、現在の学生が、作曲家を目指すにあたってどんなことが必要だと思いますか?

杉山
まず不可欠なのが自分の好きな音楽を聴くこと。もちろん、幅広く音楽を聴くのも大事ですが、自分がどういうルーツをたどって今に至っているか、それを振り返るような音楽の聴き方をするのも大事なんです。すると「自分」が見えてきます。音楽に限らずクリエイターとして生きていくために、自分が何者かを把握することはとても重要です。

というのも、クリエイターにとって、一番大事なのはセンスですよね。「センスとは何か」を定義するならば、「数値化できないものを最適化する能力」のこと。

「数値化できないものを最適化する能力」とは?

杉山
例えば「オシャレ」っていう概念は、客観的な指標では図りにくいですよね。音楽のセンスも同様です。順位付けもできないし、数値化もできない。そんな数値化できないものを、「自分はこれがいい」と判断しながら最適化していくのがクリエイターの仕事なんです。

音楽を作るときには、フレーズを弾く自分と共に、プロデュースをする自分がいて、「今のテイクはOKだね」という判断を下します。プロデューサーとしての自分が出す「OKの基準」は何なのかを見つめていくことで、その人自身のセンスがハッキリとしてくるんです。
木村
理系っぽい〜!(笑)でも、そうですね。現在は機材もそろっているし、環境もプロと同じものを簡単に使ってクオリティーの高い音源を作ることができる。しかし、その一方でやりたいことが見えない人が多いんです。荒削りでもいいからとがった物作りをする人の方が引かれるのに、「それっぽいもの」を作って満足してしまう人ばかり。
そうならないためにも、自分のルーツを見つめ直したり「絶対にこれが好き」というものを見つけておくべき。それは、クリエイターとしての自分の武器になってくれます。逆にそこが見出せなければ、他の人に埋没して「あの人の作品ってなんかよく分かんないね」と言われるだけ。印象に残らないんですよ。

それは、音楽だけでなくデザイン、絵画、文章などあらゆる分野に言えることですね。

杉山
また、特に音楽で生きていきたい人ならば、作った曲を他の人に聴かせることは大事ですよね。誠心誠意作ったものを周りの人に聴かせて、「これはすごい!」「家でも聴きたい」って言われたら売れる可能性は高い。そう言われないなら努力しないといけない。

恋人でも友達でも親御さんでも、周囲の人に「聴いてみて!」と続けていくと、「あいつ、音楽一生懸命頑張っている」と認めてくれるようになる。YouTubeやSoundCloudなどで配信するという方法もありますが、やはり身近な人のレスポンスの早さや生々しさには勝てません。

それに、身近な人の前で絶対に恥をかきたくないから、クオリティーにもとことんこだわりますよね。
木村
杉山さんが高校生の頃にオリジナル曲を配っていたように、僕もサークルに所属していた頃は、自分でオリジナル曲を作ってみんなに配っていました。そのときに作ったのは、自分でストーリーを考えた2枚組のコンセプトアルバム。物語の始まりから、別れのシーン、ラスボスのシーン、グランドフィナーレまで、全部作ってサークルの友達に配っていたんです。

自作のストーリーにつけたサントラ! 

杉山
生き残っている人は、必ずそういったアクションをしていますよね。もしかしたら、「スキルがないから恥ずかしい…」と躊躇ちゅうちょしてしまうのかもしれませんが、スキルなんて後から付いてくるもの。

一人で部屋にこもってやっているより、周りからディスられながらも頑張ってやっているヤツのほうが伸びていくんです。

クリエイターとして生き残っていくために、どれくらいの努力が必要だと思いますか?

杉山
僕の場合、インプットを含めて365日のうち362日くらいは働いています。大学受験のときは、みんながむしゃらに頑張るんだけど、社会人になってそのときと同じ熱量で頑張る人ってそんなにいない。だから、みんなが休んでいるときに仕事をしていれば、単純に結果は出ますよ。

杉山さんの仕事場の風景。杉山さん、木村さんが作曲に使用している機材は主に以下。
杉山さん)Steinberg / Cubase Pro 10, KORG / KRONOS, Roland / INTEGRA-7, RME / FIRE FACE800, CRANE SONG / HEDD192, AURORA AUDIO / GTQ2, MANLEY / DUAL MONO, TUBE-TECH / CL1B, HUMPBACK / COMP, Collings / D, Collings / BABY, Santa Cruz / OM, Sadowsky / ST, Gibson / 335, FENDER / JAZZ BASS, Hughes and Kettner / Triamp mkII, FENDER / Hot Rod Deluxe III他
木村さん)ハード:Apple Mac Pro, Universal Audio Apollo 8, Native Instruments KOMPLETE KONTROL 88 CHANDLER LIMITED Germ500 mk2, Pre Amp API500 Rupert Neve Designs Portico 542 500 Tape Emulator, Rupert Neve Designs 511 SSL E-Series EQ Module for 500 Series racks他 ギター:Shur, Gibson, Gretsch, Strandberg, Taylor他 DAW :Apple Logic , XAvid ProTools 音源:Spitfire Audio, 8dio, Output, Performance Samples他多数

思いっきり遊んでリフレッシュすることも大事だけど、音楽を仕事にするならば、遊んで帰った後にも音楽に向き合うくらいの努力が必要です。

ただ、毎日毎日ずっと音楽のことを考えていると、どうしても飽きがくる。実はそこで、挫折してしまう人も多いんです。

しかし、努力して結果を出していくことによって、これまで出会ったこともないような化け物みたいな人とも仕事をすることができるようになる。そして、その仕事ぶりを見て刺激を受けることで、さらに音楽にわくわくする。もっと音楽を愛することができるようになるんです。

そのことに20代で気付けるかどうかが大事。仕事が、音楽をさらに面白くしてくれるんです。

ストイックに音楽に向き合うことで手に入れた新たな環境が、音楽への愛を深めてくれる、と。

木村
そうですよね。でも、僕の場合、ちょっとこの後は数カ月休もうと考えているんですよ。

続けるには休息するのも大事、ということでしょうか?

杉山
休んで何をしようと思っているんですか?
木村
いや、最近、「マスロック(※複雑で変則的なリズムを持つロック)」というジャンルに興味が出てきていて、あれをマスターしようと思って…。
杉山
結局、音楽の練習じゃないですか!(笑)
木村
休みを取っても、結局やりたいのは楽器の練習なんです(苦笑)。そして、次に作曲をするときには、新たな武器として取り入れていきたいと思っています。

お二人が持つストイックさが、クリエイターとしての第一線での活躍を支えているんですね。

杉山
「ストイック」じゃなくて、「ドM」なだけかもしれませんけどね(笑)。
左から杉山勝彦さん(2004年、理工学部卒)、木村秀彬さん(2006年、政治経済学部卒)
プロフィール

木村 秀彬(きむら・ひであきら)

作曲・編曲家。東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部入学後、独学で作曲を始める。卒業後は音楽理論・編曲を学ぶため米国・バークリー音楽大学へ留学。Contemporary Writing and Production科卒業後、劇伴作曲家として映像音楽を中心にテレビドラマ、アニメ、WEBドラマ、舞台など多岐に活躍。代表作に、ドラマ『絶対正義』(THK、CX系)、ドラマ『ブラックペアン』(TBS系)、ドラマ『コウノドリ』(TBS系)、ドラマ『ドロ刑-警視庁捜査三課-』(NTV系)、アニメ『ガンダムビルドダイバーズ』(TX系)シリーズなど。

杉山 勝彦(すぎやま・かつひこ)

作詞・作曲・編曲家、フォークデュオ「TANEBI」ギタリスト。1982年埼玉県生まれ。2000年、早稲田大学理工学部建築学科に入学。在学中にコンペに参加し、NHKの教育番組のテーマ曲が採用となり、プロの音楽家としての活動をスタート。2004年、早稲田大学大学院理工学研究科に進学したのち中退。2007年、ソニー・ミュージックパブリッシングの専属作曲家となり、翌年、嵐『冬を抱きしめて』(共作詞・作曲)で作曲家としてデビュー。2016年独立。2017年、家入レオ『ずっと、ふたりで』((作詞・作曲・共編曲)にて「第59回輝く! 日本レコード大賞」作曲賞を受賞。代表作に、乃木坂46『君の名は希望』サヨナラの意味』、家入レオ『ずっと、ふたりで』『もし君を許せたら』、私立恵比寿中学『仮契約のシンデレラ』『禁断のカルマ』『まっすぐ』、中島美嘉『一番綺麗な私を』、倖田來未『好きで、好きで、好きで。』など。

取材・文:萩原 雄太

1983年生まれ、かもめマシーン主宰。演出家・劇作家・フリーライター。早稲田大学在学中より演劇活動を開始。愛知県文化振興事業団が主催する『第13回AAF戯曲賞』、『利賀演劇人コンクール2016』優秀演出家賞、『浅草キッド「本業」読書感想文コンクール』優秀賞受賞。かもめマシーンの作品のほか、手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』にはパフォーマーとして出演。http://www.kamomemachine.com/
撮影:加藤 甫
編集:横田 大、裏谷 文野(Camp)
デザイン:中屋 辰平、PRMO
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