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特集

早大応援歌『コンバットマーチ』は、なぜ“神曲”なのか

2017年度 創立記念特集 コンバットマーチ物語【上】

1965年秋の東京六大学野球、秋の早慶戦。早稲田大学応援部吹奏楽団によって初めてある曲が演奏されました。その曲こそ、日本を代表する応援歌『コンバットマーチ』です。この歌がどのような経緯で誕生し、その後、どうして50年以上に渡って全国で愛される応援歌となったのか。10月21日(土)に迎える早稲田大学創立記念日の特集として、今週はコンバットマーチにまつわる話を上・中・下の3部に分けてお届けします。「100年に1度の名曲」といわれる応援歌がどのようにして誕生したのか?まずは作詞・作曲者であり、応援部吹奏楽団のOBである三木佑二郎さんに伺いました。

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コンバットマーチのオリジナル楽譜

「応援も何か新しいことをやらんといかん」

三木佑二郎(みき・ゆうじろう)。1966年、早稲田大学第一商学部卒業。オープン科目「早稲田スポーツを学ぶ1(早稲田大学校友会支援講座)」の講師も務める。

「私が早稲田大学に入学したのは1962年。伝説といわれた『早慶6連戦』(※1)での優勝が1960年ですから、野球部もその後はもぬけの殻のような状況で、一気に弱くなってしまった時期でした」

三木さんの言葉通り、入学した1962年、野球部は六大学で春4位、秋5位。翌年は春、秋とも5位と低迷の真っただ中にあった。

「野球部が弱いときには、応援部にもいろいろと批判がありました。『学生が盛り上がらないのは、応援の仕方にも問題がある』と。そこで、私たちが幹部になったとき、たくさんの新しい試みを導入しました。

「初めてバトントワラー(※バトンを使って演技をする人)を入れて早慶戦で女性を指揮台に立たせたり、応援用具を公募したり。今の時代なら怒られますが、タバコの煙を使った煙文字で、観客席に『W』を描いてみたり(笑)。うまくいったこともあれば、一度きりで終わってしまったこともありますけどね」

(※1)編集室注 東京六大学野球の秋季リーグ戦で、1960年11月6日から11月12日にかけて行われた、早稲田大学と慶應義塾大学による優勝をかけた早慶戦とそれに続く優勝決定戦。優勝の可能性は早慶のみに残されており、勝ち点3の1点差で慶應を追う早稲田は、2対1、1対4、3対0で慶應を下して勝ち点・勝率で並び、優勝決定戦に持ち込んだ。優勝決定戦では第1戦、第2戦共に延長11回の末、引き分け。第3戦で早稲田が慶應を3対1で破って優勝した。

その「たくさんの新しい試み」の中の一つが“新しい応援曲を作ること”だった。

「いつの間にか野球部も少しずつ強くなって、私が3年生の春に優勝、4年生の秋の早慶戦でも優勝を争える状況になったんです。それで、『これは応援も何か新しいことをやらんといかん』と。そこで、もともとイメージしていた『新しい応援曲』を実際に作ってみることにしたんです」

それまで応援曲と言えば、軍歌が元の曲しかなく、それらの曲はおとなしい上にあまり盛り上がらない。攻撃の際、もっと盛り上がる曲はできないものか…。そこで三木さんが曲作りをすることになった。早慶戦のわずか数週間前のことだった。

 

学生時代の三木さん

応援部員として神宮球場でトランペットを吹く三木さん

「イメージとして、高校野球の天理高校が奏でていた『天理ファンファーレ』があったので、出来上がったものは曲名も何もなく、楽譜には『攻撃のファンファーレ』とだけ書いていました。そうしたらこの曲の出だし部分を聞いた後輩が、『コンバットに似てますね』と言ってきたんです」

『コンバット!』とは、当時、放送されていたアメリカの人気ドラマのこと。三木さん自身は、そのドラマが頭にあった訳ではなかった。

「『コンバットって何?どういう意味?』と聞いたら、『“攻撃”という意味です』と言うわけです。『おお、それならピッタリじゃないか』と、そのまま『コンバット』という名前をつけました」

そして迎えた早慶戦。実際に『コンバット』を披露すると、神宮球場の応援席は大盛り上がり。しかも慶應に勝ち、早稲田が優勝を遂げた。さらに、優勝パレード「ちょうちん行列」でもこの曲を披露。行進曲(マーチ)としても使えることが分かり、『コンバットマーチ』と呼ばれるようになったのだ。

ただ、三木さんがこの曲を演奏したのは4年秋の早慶戦だけ。翌春、大学を卒業し、就職して大阪に移り住んだ三木さんは、その後コンバットマーチがどうなったのかも知らず、10年近い月日が流れた。

【早慶戦応援特集】応援といえばこの曲!『コンバットマーチ』(スポーツブル)

本物であれば、いつか評価をされるはず

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コンバットマーチ誕生50周年を記念し、応援部から贈呈されたオルゴールを手にする三木さん。オルゴールの音色はもちろんコンバットマーチだ

ある日、会社の営業車のラジオから流れてきた「選抜高等学校野球大会」の中継で、三木さんは久しぶりにコンバットマーチを耳にした。

「早稲田の応援部の後輩たちがその後もコンバットマーチを野球部の応援に使ってくれていたんです。それだけではなく、応援部は地方の高校に『応援指導』に行っており、その際の練習曲にコンバットマーチを採用し、指導を受けた高校の一つが甲子園大会に出場した、というわけなんです。まあ、会社の同僚に『この曲、俺が作ったんだ』と言っても鼻で笑われましたけどね(笑)」

実は三木さんが作曲したコンバットマーチは、吹奏楽の練習曲として最適な側面を持っていた。それこそが、この曲が全国に普及した要因の一つだったと考えられる。

「作曲するときに最初から意図したのは、主旋律を楽器ごとに入れ替えながら、全部の楽器が退屈しないで吹けるようにしよう、ということでした。だから、それぞれの楽器が主役になれるパートがあって応援に参加している感覚を持てるし、演奏していて楽しいわけです。しかも適度に難しいから練習曲には持ってこい。これが高校のバンド部員に受け入れられた理由になったのではないでしょうか」

こうして、全国の高校でも少しずつ認知度を広げたコンバットマーチだが、ある日、この曲を聴いた早稲田大学校友で作曲家の中村八大さん(※2)から、応援部の故・牛島芳元監督を通じて三木さんに連絡があった。

(※2)編集室注  『吼えろ早稲田の獅子』『上を向いて歩こう』『明日があるさ』などの作曲者。早稲田大学第一文学部出身。

「中村さんは『放っておいたらこの曲は“読み人知らず”になるから、日本音楽著作権協会(JASRAC)に登録しなさい』と、登録の手続きまでしてくれました。また、当時の同協会理事長は故・芥川也寸志氏で、学生歌『早稲田の栄光』の作曲者でもありますから、気に掛けてくださったのかもしれません」

芥川さんが司会を務めるNHK番組「音楽の広場」にもゲストとして呼ばれた三木さん。

「芥川さんにお会いしたら、『この曲は100年に1度の名曲だ。作曲を学んだ人間から絶対出てこない、面白い発想がいくつも入っている』って言うんですよ」

その「面白い発想」とは、①一般的に4の倍数で作られる楽曲が10小節(4・4・2)となっており、リピートされると最後の2小節が最初の小節に自然につながっていくエンドレスな曲になっていること(※3)。②“人間の声(応援の掛け声)”が楽器の一部になっていること。③対戦相手によって歌詞を変えることができること、などいくつもあった。

(※3)編集室注 一般的な楽曲は4小節単位で切り替わるメロディーで展開され、4の倍数の小節で作られているので、多くの人は8小節、12小節、16小節といった楽曲に耳慣れている。しかし、コンバットマーチはイントロを除き、4拍×4小節、4拍×4小節、4拍×2小節の10小節から成り立っている。最後を2小節として合計10小節にとどめることで、聞く人に楽曲の終わりを感じさせずに、最初の小節がアウフタクトと呼ばれる弱拍と共に食い込んできてリピートされていく。そのため、エンドレスに曲が続いても違和感がなく、サビが延々と続くかのようなテンションを保ったまま循環する構造の楽曲となっている。

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慶應義塾大学の『ダッシュKEIO』とともに、『コンバットマーチ』はレコードになって発売された

「それもこれも、私が“作曲の素人”だからできたことです。でも、良かったなと思うのは、この曲がすぐにヒットせず、卒業して何年もたってから広まったということ。もしすぐにヒットしていたら、自分に作曲の才能あるんじゃないかと勘違いして、作曲の道に進んでいた可能性があります。そうしたら今頃、売れない作曲家として場末の酒場で管を巻いていたんじゃないでしょうか(笑)」

一方で、コンバットマーチのヒットによって、その後の人生でさまざまな出会いがあり、得難い経験ができた、と振り返る三木さん。そんな人生を振り返り、今の学生に伝えたいことは何だろうか?

「人のまねをしたらダメ、ということ。コンバットマーチも、偶然の産物かもしれないけれど、誰のまねをしたわけでもなく自己流で作ったからこそ、『作曲家じゃ浮かばない発想がある』と言ってもらえたわけです。人のまねをしていたら、その人を追い越すことは永久にありません。だから、失敗を恐れずに何かに挑戦してほしい。それこそが、早稲田の“進取の精神”にも通ずるのではないでしょうか。結果はすぐに出ないかもしれませんが、コンバットマーチのように、後から認められることだってあります。本物であれば、いつか評価をされるはずですから」

取材・文:オグマナオト
2002年、早稲田大学第二文学部卒業。『エキレビ!』『”>野球太郎』『サイゾー』を中心にスポーツコラムや人物インタビューを寄稿。また、スポーツ番組の構成作家としても活動中。執筆・構成した本に『福島のおきて』(泰文堂)、『爆笑!感動!スポーツ伝説超百科』(ポプラ社)、『木田優夫のプロ野球選手迷鑑』(新紀元社※構成として)、『高校野球100年を読む』(ポプラ社※構成として)など。Twitter:@oguman1977

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