Waseda Weekly早稲田ウィークリー

インディーズ・バンド対談<前編>僕らは音楽で、生きていく。シャムキャッツ 夏目知幸 × Taiko Super Kicks 伊藤暁里

対照的な大学時代を過ごしながら共に音楽に目覚めていった二人

公認サークルだけで50以上もの音楽サークルが存在する、早稲田大学。プレーヤーの数でいえば星の数ほど…。一部で“バンドブーム”と呼ばれる昨今、自分たちでCDや音源をリリースすることも、そう珍しい話ではないでしょう。でもそれを5年、10年と続けることのできるバンドは、果たしてどのくらいいるのか。今回の特集のテーマは「音楽で、インディーズで、生きていくこと」。一人は自ら会社を興し、大手レコード会社を中心としたこれまでの音楽産業に対し、真っ向から挑戦しようとしているロックバンド「シャムキャッツ」のボーカル・夏目知幸さん。もう一人は、メンバーのほとんどが会社に勤めながら「表現活動こそが生きていく糧だ」と語る、「Taiko Super Kicks」のボーカル・ギターの伊藤暁里さん。共にバンドの“顔”であり、作曲家でもある早稲田大学出身の二人のインタビューです。前編は絶妙なコントラストを感じさせるそれぞれの学生時代から、彼らがいかにしてバンド活動をスタートさせたか。対談は終始、軽快な口調で。けれど、本気で夢をかなえようとする者の話にはいつも、未来を創造する上でのヒントが多く潜んでいます。

左から、シャムキャッツ 夏目知幸(なつめ・ともゆき)さん(政治経済学部 2008年卒)、
Taiko Super Kicks 伊藤暁里(いとう・あきさと)さん(国際教養学部 2015年卒)。

――二人はどんな学生だったんですか。何を考え、どんなふうに過ごしていました?

夏目知幸
(以下、夏目)
僕は政治経済学部でした。サークルは「中南米研究会(以下、中南)」っていうジャマイカ音楽のサークルで、最後は幹事長をやっていました。
伊藤暁里
(以下、伊藤)
へぇ、すごい! 僕は国際教養学部です。サークルはMODERN MUSIC TROOP(以下、MMT)だったんですけど、部室がなくて文カフェ(戸山キャンパスのカフェテリア)が、僕らのたまり場でした。
夏目
僕は途中で、経済に全然興味がないって気付いてからは、よくあるパターンだけど、ほとんど部室にいた(笑)。“中南”はもともと、本当に中南米の研究をやっていた歴史系サークルで、その中で音楽の研究もしよう、と。そうしたらその分野ばかり強くなって、結局音楽サークルになったらしい。おかげで「モダンジャズ研究会」とかが使うような広い部室をもらえていたんだけど、ドラムセットも置いてあって、普通にバンド練習できるくらい広くて、本当に最高だったな。
伊藤
うらやましい! MMTは部室なかったんですよね。でも意外と歴史はあって、先輩には「シンバルズ」の土岐麻子さん(ミュージシャン。第一文学部卒)とか、最近だと「オワリカラ」や「トリプルファイヤー」などのバンドがいます。

――少し前の話になるかもしれませんが、音楽にのめり込んでいった頃の話を聞かせていただけますか。

夏目
もともと音楽が好きで、高校の時にも「NUMBER GIRL」のコピーとかをやっていたので、大学でもバンドサークルに入ろうと思っていくつか見ていたんですけど、意外と俗っぽいというか、趣味が合いそうなところがなかった。なんか入学したての頃って、大学に入れば面白い人にたくさん出会えるだろう、という期待があったんですよね。で、そういう「なんか違うなー」って思いを抱えた人の集まりが、中南米研究会だったんです(笑)。要するに、変なやつらの集まりだから話も面白いし、なんとなく居心地もよかったんですよね。それに中南米音楽という共通項はありつつも趣味はバラバラだから、音楽的にもかなり視野を広げることができました。
伊藤
サークルを選んだ経緯は僕も似ていて、趣味が合いそうな人が多くて面白い先輩がいたからなんですけど、自分は福岡から出てきたこともあって、境遇は真逆でした。高校時代はむしろ周りより音楽に詳しくて楽器もできたのに、大学に入ったら自分よりすごい人がたくさんいて…。実は1年の時にもオリジナルバンドを組んでいたんですけど、「僕はまだまだ自分のバンドをやれるレベルじゃない」と挫折しました。だから、もし夏目さんと同じタイミングで入学していたら、きっと面白くないと思われる側だったでしょうね(笑)。
夏目
でも、僕も大学の時は独自の視点にこだわり過ぎていたから、その分ぶり返しもあったよ。特に本格的にバンドを始めてからは、変な壁をつくらず、もうちょっと自分からいろんな人に会えばよかった、と思った。吉本隆明(評論家・思想家)が「一番価値ある生き方は普通であることだ」と言っているけど、そういうことをもっと知っておきたかった。卒業してから、学生時代に出会えなかった面白い人に出会うことも多いしね。
初めてバンドに手応えを感じた瞬間 始まりはいくつかの挫折から

――それぞれ、バンドメンバーとの出会いってどんなものだったんでしょうか。

伊藤
大学2年の時、アメリカのニューヨーク州立大学に留学していたんですが、ある日突然、高校の現代文の授業で「これが文学なんだ」って感動したことを思い出して。要するに、アメリカの自室で一人、日本語の面白さに開眼する、という妙な体験をしたんですね(笑)。それで帰国してからも「文学部や芸術系の学科に編入しようか」と悶々(もんもん)としていたんですが、その頃から急激に小説や詩など文化的なものにのめり込むようになっていって、高橋源一郎さんや川上未映子さんの本に衝撃を受けたり。そこから「もう一度、オリジナルバンドをやろう」と決心して声を掛けたのが、今のバンドメンバーなんです。
夏目
僕らは地元で出会って全員大学は違っていたので、卒業と同時に本格的に活動を始めました。実は高校3年の時に「この4人で、シャムキャッツという名前でやろう」ということだけは決めていたんですけど、それぞれ大学も入学時期もばらばらで、物理的に活動が難しかったんです。だからようやく動き始めたのは、僕が就職活動の時期になってから。一応いくつかエントリーシートとか送ってみたんですけど…全く音信不通で(笑)。「ひょっとして俺、普通の社会人は向いてないのかも」と思って、メンバーに「ちゃんと、バンドをやりませんか」と伝えたんですね。
伊藤
大学時代は1度もライブをやらなかったんですか?
夏目
僕らは、ライブハウスに頻繁に行くような明るい人たちじゃなかったからね。サークル発のバンドでもないから先輩もいなくて、どこに音源を送ったらいいかすら分からなかった。さっきのいろんな人に話し聞いていれば、っていうのはまさにこれですね。

――初めてバンドに手応えを感じた瞬間ってありました?

伊藤
バンドを組んですぐ、ネットに楽曲をアップしていたら、「Ringo no Shitsukan」という曲がAno(t)raks(アノトラックス)というネット上で展開している音楽レーベルに取り上げられたんですよ。それをきっかけに、にわかに自分たちが盛り上がって(笑)。それこそシャムキャッツとか、洋楽の影響を受けた日本のバンドを聴いて、自分たちもそういうことがやりたい、と思って作った初めての曲だったので、それが評価されたことで自身がついたんです。
夏目
デモテープを作りたてぐらいの時に、佐々木 敦さん(諍論家。2016年3月まで文化構想学部教授)の授業に音楽ライターの岡村詩野さんがゲストで来たんですが、授業の後で岡村さんを囲んで飲むことになって。たまたま岡村さんの隣に座ったから、CDを渡したんです。そしたらその年の年末、『snoozer』という音楽誌の年間ベストトラックみたいなコーナーに載せてくれていて。
伊藤
すげーっ!
夏目
僕らも「名前あるぜ、おい!」って(笑)。それと当時、音楽ソーシャルメディア「Myspace」全盛の頃だったから、そこにデモを載せてたら、CMや映画音楽も手掛けているトクマルシューゴ(ミュージシャン)さんから「最近聴いた日本の音楽で一番良かったです」って、メッセージが届いたの。だから、みんなでトクマルさんのライブに行って、CD渡したり。あと当時「CRJ(COLLEGE RADIO JAPAN)」っていう学生ラジオが、かなり活発で。もともとは確かアメリカで始まった文化だったかな。大学生が自分たちの好きな音楽をランキングしたりする団体なんだけど。いろんな大学の有志が集まってやっていて、東京は早稲田が本拠地だったんだよね。そこで2枚目のデモが、1位になったんです。
伊藤
僕らがネットレーベルに取り上げられて喜んでる一方で、めっちゃすごいですね。
ミュージシャンだって社会人として 生きていくことに変わりはない
夏目
いやいや、一緒一緒。当時はもっとアバンポップというか前衛的な激しい音が全盛で、僕たちみたいなポップスやってるやつなんていなくてさ、変なバンドだったんだと思うよ。それに、すぐ苦しい時期がやってきた。僕らはなんというか、かなりリスナー寄りの、録音したものを聴かせたいバンドだったから。演奏力もなければ歌唱力もない。まあベースだけはちゃんとしていたけど、そもそもライブを前提に曲を作っていないから、お客さんに受けるわけもなくて。何回かライブをやるうちに「あれ、俺たち全然ダメじゃね?」って。周りのバンドは、どんどん売れていくしね。
伊藤
僕らはちょうど今、そんな感じかもしれないです。みんなフェス出てるよなあ。うらやましいけど、でも出る必要あるのか? みたいな(笑)。特にバンド結成当初は「こうやったらうまくいく」っていうのが、何も分からなかったんですよね。だから、しこたまお酒飲んでライブやってみたり、わりとやけくそになってたときもあって。
夏目
分かるなー。
伊藤
そんなふうに暗中模索していたんですけど、昨年末、レコード会社「P-VINE」から『Many Shapes』というファーストアルバムを出すことになって。そうなると、きちんとした会社と制作をするわけですから、急にちゃんとした仕事のようになったし、僕らもそう振る舞わなきゃならない。「伊藤くん、ここは判断しないといけないよ」とか言われて、曖昧にはできなくなる(笑)。演奏力も若干上がったし、そこで一応プロ意識の芽生えも感じましたね。まあ、自分がリーダーだってこともあったんですけど。
夏目
僕らは、徐々にやれることを増やしていったようなバンドだから、実はまだ結成当時の気持ちのままやってるのかなって気もしている。だから「自分はプロなんだ」っていうことは考えたことがないかも。でも一応“バンドマン”とか“ミュージシャン”とか、自分のことはそういうふうには呼んでいかなきゃいけないでしょ。だから「いつ何時でも、誰の挑戦でも受けるぞ」みたいな気持ちは持っていて、例えば今ここで不意にギター渡されて「なんか1曲、お願いします」って言われても、パッと歌えれば「だって俺、ミュージシャンですから」って言えるかなって。
伊藤
それ、すごくいいですね。僕もそれでいきます(笑)。ミュージシャンとして大切なのは、意識を持つことじゃなくて実際にパフォーマンスができるか、ですよね。
夏目
そうそう、やっぱり実力の問題。だから“音楽やる人”って体を保つための努力はしている。そう考えると、専門職とかで普通に社会人として生きていくことと、そんなに変わらないのかもしれないね。
伊藤
いつの間にか意識とか立ち振る舞いについて考えちゃっていたんですけど、自分が“ミュージシャン”として生きていくためには、きちんと演奏ができる状態であればいいわけで。難しいけれど、芸術活動ってそれを続けていくしかないんですよね。
夏目
僕らは2009年に『はしけ』というファーストアルバムを出したんですけど、気分的にはまだまだ学生だった。伊藤君の言うプロって感じじゃ全然なかったし、実力もなかった。それで、このままじゃ駄目だと思って、翌年はとにかくライブをめちゃくちゃする、曲をたくさん作る、それを録音する、この3つを全部やろうと、1年かけて4曲入りのデモCDを3枚出したんです。
伊藤
4カ月に1枚…。めちゃくちゃハイペース。修行みたいですね。僕らもやったほうがいいな。
夏目
生活のためにアルバイトもやりつつ、かなりの数のライブをこなしながら、毎日曲を作って練習して録音して。当然「この日のライブでリリースします」って事前に告知もしちゃってるから、ライブ前日には徹夜で作業して。朝に出来上がった音源をすぐCD-Rに焼いて売るとか、そういう感じだったから。まさに、修行だね。でも、そうするとやっぱりいろいろと勉強になったし、実際お客さんも増えたから、あれは糧になったと思う。卒業して1〜2年目で若かったからできたのかもしれないね。かなりむちゃしていたけど…。青春、だったよね(笑)。
プロフィール
シャムキャッツ 夏目知幸
東京を中心に活動するオルタナティブ・ロックンロールバンド、シャムキャッツのボーカル&ギター。バンドは8月10日に自主レーベルTETORA RECORDSより最新シングル『マイガール』発売。11月より「ワンマンツアー 2016-2017“きみの町にも雨は降るのかい?”」を開催する。弾き語りなどソロ活動も積極的に行っており、個人名義でのアルバムを現在製作中。
http://siamesecats.jp/

Taiko Super Kicks 伊藤暁里
東京都内を中心に活動中のロックバンドTaiko Super Kicksのボーカル&ギター。バンドは、2015年7月にFUJI ROCK FESTIVAL'15「ROOKIE A GO-GO」に出演。12月にファーストアルバム『Many Shapes』をリリース。2016年より、ソロ活動も積極的に行っている。
http://taikosuperkicks.tumblr.com/

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