Waseda Weekly早稲田ウィークリー

42歳でプロの作家に 『魔女宅』角野栄子が「生きがい」に気付いた瞬間

世界的に知られる『魔女の宅急便』シリーズ(福音館書店)や、今年で40周年を迎える『小さなおばけ』シリーズ(ポプラ社)など、国境や世代を超えて多くの人たちに愛される物語を紡いできた児童文学作家の角野栄子さん(1957年早稲田大学教育学部卒業)。

前編では代表作の一つである『魔女の宅急便』が生まれるまで、そして物語に込められたメッセージについてお聞きしました。

角野さんが作家としてデビューしたのは意外にも遅く、35歳の時だったといいます。きっかけになったのは、なんと早稲田大学時代の恩師だったとか。後編では子育てに追われていた角野さんが「書くこと」に巡り合い、作家になるところからお話をお聞きしていきます。一体どうやって自分が本当に好きなことを探り当てたのでしょうか?

もともとは作家志望ではなかった?運命を変えたのは早稲田時代の恩師

角野さんは、実は作家としては遅咲きなんですよね。確か35歳の時に初めての本『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』(ポプラ社/2019年複刻版 発行)を出されたとか?

角野
そう。ブラジルから帰国して(※前編で少し触れた通り、角野さんは1959年から2年間、ブラジルに滞在していた)7~8年ぐらいたった34歳の時、早稲田時代の恩師から電話がかかってきたんです。トルーマン・カポーティやサマセット・モームなど多くの作品の翻訳をされていた龍口直太郎先生。当時は1969年、東京オリンピックが終わり、大阪万博が控えているという頃です。先生は電話で「大阪万博に向けて『世界の子ども』をテーマにした本を企画している出版社があるから、ブラジルでの体験を書いてみないか」と…。

大学時代の角野さん(左)。龍口直太郎先生、大学の同級生との3ショット

恩師からの電話で作家デビュー!

角野
最初はポカーンとして、誰か他の人が書くのかなと思ったんですけど、先生が「君が書くんだよ」とおっしゃって。龍口先生は今で言えば、柴田元幸さん(東京大学名誉教授)ぐらいの人気翻訳家でした。早稲田では英米文学を原書で読む「六ペンス会」という会を開かれていて、私も入っていたけれど、そこには私よりももっと勉強のできる人たちがいたんです。だから「本を書くなんて私には無理だ」と最初は思っていました。

それで、ブラジル時代の友人であるルイジンニョ少年について書くことにした。ところが、いざ書き始めたら筆が止まらず、1週間で300枚も原稿を書いてしまったそうですね。

角野
思い出がたくさんあったからね。どれも大切な思い出ばかりで捨てたくなかったから、全部書きました。でも、出版社の依頼は70枚だったの。

ええっ!!!

角野
だから短く書き直しました。何度も書き直しているうちに、「私は書くことが好きだな」と発見できたんです。本が出たというよりも、「書くことが好きだ」と自分で見つけた方がうれしかったです。だって、それまで読むことは好きだったけど、書くことが好きだとは思っていなかったからね。

ブラジルから戻られたのが26歳の時、初めての本が出たのが35歳の時。その間、子育てもお忙しかったのではないかとは思いますが、「何かをしなければ」という焦りのようなものは感じなかったのでしょうか?

角野
焦りはないわね。それまでは激動で隙間のない暮らしをしていたから、特に何かをしようとは思わなかった。当時はまだ英語が少しはできたから、翻訳の会社を作ろうかしらと思ったりはしました。けれど本当にやりたいことでもなかったし、そんなのは「思うだけ」でしたね。

ただ、ちょっとだけ東宝のお仕事をしていました。当時は東宝が「新東宝」という会社と合併した頃。新東宝ではヤクザがいっぱい出てくる映画を作っていて、それを外国に売ろうってことで、その要約を英文で書く仕事をしていました。子どもがいたから、アルバイトでね。

角野さんのブラジルに対する思いは深い。『ルイジンニョ少年』(ポプラ社)のほか、
リオデジャネイロを舞台にした『ナーダという名の少女』(角川文庫)という本も書いている

ところで、『ルイジンニョ少年』の復刻版あとがきで、Googleのストリートビューで60年前に暮らしていらした部屋を探したら、まだちゃんと残っていたと書かれていて驚きました。

角野
ストリートビューは面白いですよ。自分が旅したところを見ることができますよね。ブラジルには日本に戻ってからもう一度旅したけど、そこから考えても30年ぐらいたっている。だから「変わっているかな」と思ったけど、変わってないのね。年月がたったので古びてはいたけど、残っていたわ。

作家だからではなく、それが生きがいだから書いていた

そして『ルイジンニョ少年』を出す。その後はどうされたのですか?

角野
その後の7年間は、自分一人だけで書いていました

7年間、誰にも見せずに?

角野
そうです。自分でもちょっぴり偉いなあと思うけど、毎日、書いていたの。子どもが当時3つか4つぐらいでまだまだ手が掛かる時期だから、その後ろを追いかけながら書いていました。書くことが楽しくて、魔法にかかったみたいでした。

作家として生きていく覚悟も、その頃に決まったのでしょうか?

角野
そんなのないの。でも、一生書いていこうと思った。書いたものが本になるとか、プロの作家になるとかそういう問題じゃなくて、「自分が書きたいものを一生書いていけば、毎日いきいきとしていられる」と思いました。子どもを育てることも喜びだけれども、案外母親って孤独を感じたりするので。 だから、自分の生きがいを見つけられたことが、すごくうれしかったの。今は「プロ」と言えると思いますが、当時はそういう気持ちでした。

角野さんが7年間、一人で書かれていた文章はどうなったのでしょうか?

角野
ある時、やっと人に見てもらいたいという気持ちになった作品が二つ出来て、編集者が読んでくれて、2冊の本になりました。『ビルにきえたきつね』(ポプラ社)と『ネッシーのおむこさん』(金の星社)です。それがすごく売れて、書評で取り上げてもらったりしたので、今度は原稿の注文が来るようになりました。だから、本格的なプロになったのは、42歳の時からでしたね。

『ルイジンニョ少年』はブラジルでの思い出をつづったノンフィクション風の物語でしたが、その後の2冊は児童文学。子どものためのお話を書こうと思われたのは、なぜですか?

角野
大学1年生の時、「岩波の子どもの本」という絵本のシリーズが出ました。あなたたちもお読みになったと思います。『きかんしゃやえもん』『ひとまねこざる』…かわいい本で、本屋さんで見ていたのね。特に好きだったのが『ちいさいおうち』で、原書は1942年にアメリカで出版されている。「こういう本の翻訳をやってみたい」とちょっと思ったんですね。

でも龍口先生には当時、「翻訳をやらないで、書きなさい」と言われました。私は先生の言葉のうち「やらないで」という部分を大きく受け止めて、「英語ができないからやめた方がいいよ」と言われたように思ってしまったのです。それで、あっさり諦めて、大学を出た後は出版社に入りました。

角野さんの作家としての土壌は、早稲田大学時代に作られたような気がします。そもそも、なぜ教育学部英語英文学科を選ばれたのでしょうか。

角野
私が中高生だった青春時代は、まさに終戦直後でした。それまで統制されていた外国の文化が怒濤どとうのごとく、日本に入ってきた時代です。そういうものに憧れていたのね。

その頃、早稲田大学の文学部の英文学専攻ではシェイクスピアのような古典的なものをやっていましたが、教育学部ではもっと新しいアメリカやイギリスの文学が学べました。だから、教育学部の英語英文学科に行ってみようかなと思ったんです。私は龍口先生のゼミで、スタインベックやモームのような新しい英米文学を専攻していました。

大学時代は普段、どう過ごされていたのでしょうか。

角野
う~ん…遊んでいたわね(笑)。映画に行ったり、クラシックを流す音楽喫茶でお友達とお茶したり、先生とお話ししたり。今よりも先生との距離が近かったんです。そういうことはとても楽しくやっていたけど、「すごく勉強した」ってほどではないわね。遊んでいたのは大体、高田馬場や新宿あたり。高田馬場にあった「大都会」という喫茶店はおじいさんとおばあさんがやっていて、感じのいいお店だったのよ。

『魔女の宅急便』シリーズと並び、角野さんの代表作となっている『小さなおばけ』シリーズ。
今年で40周年を迎える。かつての読者が子どもに読ませているのだという

楽しそうな学生時代ですね。ゼミでは、どんな本を読まれていましたか?

角野
アメリカ南部の作家。カポーティ、フォークナー、スタインベックなんかが当時ブームでした。スタインベックの小説は映画になっていましたしね。それから、女性の作家も読んでいました。その中の一人が、卒業論文のテーマに選んだカーソン・マッカラーズ。全作品を合わせても厚さが5センチぐらいしかないから、それが気に入ったの(笑)。モームなんか選んだら読むだけでも大変ですからね。

世間の物差しにとらわれず、自分らしい人生を送るには

角野さんはご自分の好きなものを見つけるのがとても上手な気がします。仕事だけでなく、身に着けるものも。今日もきれいな色のお洋服ですね。

角野
私も若い時は黒っぽい服を着ていましたよ。でも、髪の毛が白くなったら黒はみすぼらしく見えてしまって…。次第に色のあるものを着るようになりました。

そういうすてきなものは、どうやって探していらっしゃるのでしょう?

角野
探さないのよ。気になったら手に取ってみたり、売っているものだったら買ったり。娘が若いセンスで選んでくれたりします。私は高いブランドものに興味がないんです。旅行に行っても買いません。この指輪なんて2ユーロ(※2019年3月現在のレートで約250円)だったの。
日本の洋服はピラピラが付いてたり、スカートが斜めになってたりするでしょう。それが好きじゃない。シンプルが好きなの。それに、年をとると締め付けられるのがイヤになってくるから、いくら探しても気に入る服がない。深い襟ぐりは年寄りには絶対駄目、長いチャックは手が届かないから駄目…。だから、自分の好きな生地を買って、娘のお友達にワンピースを作ってもらっています

角野さんは実にファッショナブル。
日々の装いは『角野栄子の毎日いろいろ』(KADOKAWA)という本で確認できる

お話を伺っていると、角野さんは全くブレませんよね。私をはじめ、つい世間の物差しを気にしてしまう人も多いのに…。

角野
日本人がそうなだけよ。外国に行って「私はあの人の考えが好きです」風の表現をしたら、就職なんてできないですよ。自分をきちんと表現できなければ。

世間の物差しを気にしすぎると、自分が本当に好きなものを見過ごしたまま一生を終えてしまいそうで怖いです。

角野
一生続けていけるような、自分が好きなことが見つけられるといいわね。でも、見つけるだけじゃ駄目。毎日続けないと。毎日続けられないことは、本当に好きなことじゃないのよ。嫌になったり、できなくなったりすることもいっぱいあるけど、本当に好きなら戻ってこられます。それをまず自分で見つけられたら、幸せだと思います。

あと、自分の中に「自分らしい言葉」というものをどれだけたくさん持っているかで、その人の生き方がだいぶ変わってくると思います。あいうえお順じゃないかもしれないけど、言葉との出合いがあり、それが辞書のように収まって、その人を作るわけです。何かしようとした時、そこから言葉が出てくる。

今、自分で本を読む子が少なくて、日本の知的世界、出版界は危ういです。大人の本の出版ばかりをしている人は子どもの本の大切さをあんまり考えないけど、子どもの本こそ育てなければ、後に続かないです。

なるほど…。「自分らしい言葉」を自分の中に持ち、周囲に流されない生き方ができれば、今よりも幸せになれそうですね。

角野
右を見て左を見て、自分のことを決める。今はもうそんな時代じゃないと思いますよ。うちの娘は私が自由に生きているのを見てたから「自分で勝手に生きてきた」って言っています(笑)。

最後に一つ。角野さんはご著書(※『ファンタジーが生まれるとき』(岩波ジュニア新書))の中でこれまでを振り返り、「効率の悪い人生」とおっしゃっていますよね。でも、効率が悪い、寄り道のある人生だからこそ、その人ならではの魅力が生まれるようにも思います。

角野さんの半生と創作の秘密が詰まった本。
もちろん『魔女の宅急便』にも触れている(表紙のイラストは娘・リオさんの絵)

角野
作家には、若い時に「作家になりたい」と思って目指す人が多いですよね。でも、私は「なりたい」とは思わなくて、出合い頭になってしまった。昔は「もっと若い時から書いていれば、その年代らしい文章でもっと素晴らしい作品が書けたのかな」とも思いました。

でも、今はそう思わない。作家が一生のうちに書ける文章の量は、そんなに変わりません。遅く出発したからこそ、まだまだ書けます。私はもっと冒険して、いろいろな作品を書いていきたいと思っているんですよ。
プロフィール

角野 栄子(かどの・えいこ)

東京・深川生まれ。1957年早稲田大学教育学部卒業。1959年から2年間ブラジルに滞在。1970年、その体験をもとに描いたノンフィクション『ルイジンニョ少年』(ポプラ社)でデビュー。1985年、代表作『魔女の宅急便』(福音館書店)を刊行、野間児童文芸賞、小学館文学賞、IBBYオナーリスト文学賞受賞。国内でアニメ映画化・舞台化・実写映画化され、2016年末にはロンドンで舞台化された。『小さなおばけ』シリーズほか著作多数。2000年に紫綬褒章、2014年に旭日小綬章受賞。2018年には「児童文学のノーベル賞」と呼ばれる国際アンデルセン賞・作家賞を受賞。

取材・文:猪谷 千香

東京都生まれ。明治大学大学院文学研究科博士前期課程考古学専修修了。新聞記者、ニコニコ動画のニュース編集者を経て、2013年にはハフポスト日本版の創設に関わり、国内唯一のレポーターとして活動。2017年からは弁護士ドットコムニュース記者。著書に『日々、きものに割烹着』(筑摩書房)、『つながる図書館』(ちくま新書)、『町の未来をこの手でつくる』(幻冬舎)、共著に『ナウシカの飛行具、作ってみた』(幻冬舎)。2019年2月、『その情報はどこから?』(ちくまプリマー新書)を上梓。
撮影:加藤 甫
編集:松本 香織
デザイン:中屋 辰平、PRMO
取材・撮影協力:Garage Bluebell(https://garagebluebell.jimdo.com/
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