Waseda Weekly早稲田ウィークリー

芥川賞作家・綿矢りさの12 年<前編>

『耳をすませば』への憧れと太宰治全集の少女時代

2004年、金原ひとみさんと共に19歳の若さで芥川賞を受賞した綿矢りささん。受賞作『蹴りたい背中』は125万部を越える大ベストセラーとなり、一躍誰もが知る「文壇のアイドル」として持てはやされることとなります。渦中にいた彼女は同時に、教育学部国語国文学科に所属する早大生でもありました。当時を振り返り「友だちも少なかったし、もっと大学をエンジョイしてもよかった」と語った心中は一体、どんなものだったのか。文壇だけでなく芸能・マスコミからも注目されたブームから12年。今回の特集では、芥川賞作家の先輩であり、早稲田大学文学学術院の堀江敏幸教授とともに、中央図書館井深大(まさる)記念ホールで行った講演会「私と図書館」の様子をレポートし、「綿矢りさ」という作家を育んだ“図書館”についてや、大学時代から6年にも及んだスランプ、また結婚・出産などを経て、再び第一線の作家として活躍するに至ったお話を伺います。芥川賞、大江健三郎賞と次々に最年少受賞記録を塗り替えた彼女の、決して平たんではなかった12年の歩みに迫ります。

堀江敏幸
(以下、堀江)
本日は、講演会と銘打たれていますが、僕のほうから綿矢さんにインタビューをするかたちで、図書館との関わりを中心に、いろいろなお話を伺いたいと思います。
綿矢りさ
(以下、綿矢)
私は教育学部に在学していたのですが、教室が中央図書館と近い距離にあったので、在学中にはよく足を運んでいました。もちろん勉強や読書もしていましたが、リフレッシュしたいときに図書館内の大階段に行き、一人たたずんでいたのを覚えています。
堀江
どれくらいの頻度で行っておられたんでしょうか?
綿矢
だいたい週に2〜3回くらいです。一人で足を運んで、同じゼミの人を見つけたら一緒に勉強をしたりもしていましたね。

綿矢さんが学生時代好きだったと語る、図書館内の大階段

堀江
大階段は、雰囲気のいい場所ですね。実は、僕が学生の頃は、中央図書館はまだ存在していなかった。今、中央図書館が建っている場所には、球場があったんです。安部球場(1902年に戸塚球場として開設された早大野球部のグラウンド。1987年閉鎖)といって、古書店街で買った古本を寝転がって読むには最適なベンチがありました。当時の図書館は、會津八一記念館になっています。内部の閲覧室の天井がドーム型になっていて、利用者のページをめくる音が響いて、天井から降ってきました。とても居心地がよかったんです。
綿矢
すてきですね。

現在の中央図書館の場所にあった安部球場(旧・戸塚球場、1987年末閉鎖)

堀江
大学に入る前、中高生の頃も、よく図書館を利用されていたんですか?
綿矢
学校の図書室が大好きで、昼休みによく足を運ぶ場所でした。当時はまだ読書カードの時代だったので、スタジオジブリの映画『耳をすませば』を見たときには、読書カードを通じて男の子と出会う設定に憧れました(笑)。それから、図書館でしかあまり見かけないものとして、作家の個人全集がありますよね。当時は太宰治全集を読んで過ごしていました。全集の場合、文庫本とは違って作品全てがフラットに掲載されています。そうすると、いい作品とそうでない作品がはっきりと分かってくるんです。小説家にとっては怖いことですけどね。
堀江
いまの学生は、読書カードって知らないかな。昔、図書館の本には、裏表紙に帯出管理用のカードがくっ付けてあって、そこに借りた人の名が記されていたんですね。それから、全集の話。綿矢さんの作品全般に、太宰治の影を感じますが、あれは全集などで読んで血肉になっていないと、出せないものだと思っていました。全集は作品を差別しないし、装丁でごまかすこともしない。一人の作家が作家として生きていくために、どのような配分で仕事をしていたか、一目瞭然になります。全ての作品が同じテンションで書かれているわけではありませんから、どこで休んでいたのか、どこで次の作品を考えていたのかを、うかがい知ることができますね。

写真左、早稲田大学文学学術院 堀江敏幸教授

綿矢
はい。全集を読んでいると、作家の人生が見えてきます。太宰など個人史も知られている作家だと、特に病気や結婚といったことがこの時期にあったのかなと関連付けて読める。また図書館で本を読んでいると、周りのことや、本から立ち上ってくる匂いなんかも記憶に残ってくる。家に帰って本を開くと、図書館の匂いが付いているのもいいですね。
堀江
綿矢さんにとって、図書館はとても思い出深い場所なんですね。でも、意外にも作品の中に、図書館はあまり出てこない。例えば『大地のゲーム』(新潮社、2013年)には、震災後、シェルターと化した大学のキャンパスが舞台になっていますが、校舎の記述はたくさんあるのに、図書館は描かれていない。
綿矢
『大地のゲーム』は早稲田を念頭に書いていたため、取材のために大学を散策しながらイメージを膨らませました。早稲田の場合、図書館はキャンパスの門の外にあり、(大学の)核の部分だけを描こうとしたら図書館は出てこなかったんです。
堀江
なるほど。キャンパス内の図書館を想い浮かべるのは、僕を含めた前世代の人間なんですね。一方、最新刊の『手のひらの京』(新潮社、2016年)では、3姉妹の長女が図書館員として描かれています。
綿矢
これは地元である京都を描いた作品なのですが、実家に暮らしていた頃にはよく図書館に通っていたんですね。だから、イメージとしては京都の市立図書館。本を借りる際に窓口の人を見ていたので、他の職種の人よりも想像しやすかったんです。また図書館員というと、おとなしいけどいろいろと屈託を抱えた人、というイメージがあり、内向的な長女を描くのにぴったりでした。ただ、関東と関西の図書館は少し雰囲気が違いますね。関東では、商業ビルの上に図書館が設置されていたりします。
堀江
そんな図書館があるんですか?
綿矢
そうなんです、神奈川の方に。本自体も、関東の図書館は比較的新しく、ひどい状態のものは少ないですよね。京都はわりと匂いのキツイ本なんかもあります(笑)。図書館の本って油やホコリの独特の匂いがしますよね。
学んだのは谷崎潤一郎の女性描写「春琴抄と逆のことをしようか」
堀江
早稲田で過ごした学生時代の思い出としては、どんなものが浮かびますか?
綿矢
まず、他の学部はきれいな建物で授業を受けているのに、教育学部はなぜあんなぼろぼろの16号館で授業をしていたのか……(笑)。今でこそ愛着はあるんですが、社会科学部が使う14号館のすてきさに比べて、教育学部が使う16号館の日の当たらなさにはびっくりしました。エスカレーターもなく、階段で登らなければならなかったんです。どうしても疲れている時は、教授専用のエレベータにこっそりと(笑)。
堀江
秘密のエレベーターがあるんですね。
綿矢
そうなんです。当時、夜通し小説を書いて、そのまま朝学校に来て、という生活をしていたので、徹夜明けなどは特にきつくて……。現在の16号館は、耐震補強のため、外側から鉄骨で支えられていますよね。そうまでして建て替えないのは、何か特別な理由があるんでしょうか?(笑)
堀江
いかがでしょうか、会場にいらっしゃる上層部の皆さん(笑)。でも、新しい建物になると、記憶の一部が奪われるような、寂しい気分になりますね。僕が学生時代を過ごした戸山キャンパスは、校舎も研究棟も建て替わってしまいました。場所も大学の名前も同じですが、身体の記憶がどこかで狂ってくるんです。そういう意味では、不満があっても昔のままを残したほうがいいかもしれませんよ。
綿矢
確かにそう考えると、逆に16号館も応援したくなりますね。でも早稲田出身の小説家の方とお会いする機会があると、初めての方でも「ここが嫌だった」という話になると、すごく盛り上がっちゃいません?(笑)
堀江
(笑)。その16号館で、綿矢さんは千葉俊二先生のゼミ(教育・総合科学学術院)に参加されて、1限から谷崎潤一郎の女性描写について学んでいたとお聞きしたんですが。
綿矢
千葉先生の授業は、谷崎の女性描写へのこだわり……「足フェチ」について学ばせてもらう、こってりとした授業でした(笑)。それ以前から谷崎は読んではいたんですが、本格的に学んだのはその授業です。『手のひらの京』にも谷崎の『細雪』の影響があります。
堀江
ほかにも『ひらいて』(2012年、新潮社)では、谷崎の『春琴抄』の場面をモチーフにした描写がありますね。『春琴抄』では、主人公の男性が自分の目を突きますが、『ひらいて』では、「『春琴抄』と逆のことをしようか」と女性が提案し、「失明しても一生見捨てずに、そばにいてね」と話しています。
綿矢
千葉先生はマニアックな作品が好きだったので、『春琴抄』のようなメジャーな作品は授業で取り上げられませんでしたが、『春琴抄』は谷崎の中でも一番好きな小説なんです。もともと、山口百恵さんと三浦友和さんの出演した映画(1976年、西河克己監督)を先に見ていたんですが、眼を突くシーンはとても怖かった…。けど、あらためて小説を読むと、怖いながらもとても奇麗な描写だったことに驚いたんです。
堀江
『春琴抄』は、とても難しい小説です。語りの構造も時制も複雑。一度、授業で取り上げたことがあるのですが、冒頭の5ページくらいで1年間の授業が終わってしまいました。
綿矢
それは千葉先生以上に、すごい授業ですね(笑)。
先人の影響で書き始めるのが文学 大切なのは何を吸収しどう排出するか

450人あまりを収容できる井深大記念ホールが満員となり、急きょ、映像中継のためのサテライト会場まで設けられるほどに人気となったこの日の講演会。会場には、大半の早稲田の学生に混じって、熱心なファンの姿も数多く見られました。質疑応答の時間には、そんな会場の熱気を現すかのように、なかなか鋭い質問が綿矢さんに向けられます。

――中学生の頃からの読者で、綿矢さんの存在から早稲田大学を知り、入学しました。作風が徐々に変わってきているのを感じるのですが、そんな変化は意識的にしているものなのでしょうか?

綿矢
ひと言で言えば加齢、ですかね(笑)。今日のように大学に戻ってくると、大学の頃に描いていたものや当時の心境を思い出して、当時とはだいぶ違うところに自分がいるんだなと感じます。10代の頃から小説を描いていますが、年代ごとに思っていることが無意識に出てしまうんです。20歳から30歳になることによって、ものの見方は大きく変わり、隠そうと思ってもそれが出てしまっているのではないでしょうか。将来こんなふうに変わっていくのか、と思って読んでもらえるとうれしいですね。

――綿矢さんの比喩表現がとても好きなのですが、小説の中で使われる比喩表現は、自然に湧き出てくるものなのでしょうか? それとも、考え抜いて執筆しているのでしょうか?

綿矢
比喩は自然に出てくるものが多くて、感覚的に書いています。それを後で手直ししていく感じですね。だから校正のときに、意味が分からなくなっていることもあります(笑)。
堀江
考えなくても比喩が出てくるのは、優れた言語感覚のなせるわざですね。比喩ではありませんが、例えば『手のひらの京』は、「京都の空はどうも柔らかい」という書き出しで始まります。「京都の空は柔らかい」ではなく、「どうも」という単語が入ってくる。これは一文としても魅力的で、「『どうも』は、誰がどういう意味で言っているのか」と読者は直ちに引きつけられます。加えて物語を最後まで読むと、この「どうも」にはきちんと意味があり、効果的な一語だったとわかってくる。綿矢さんの魅力は、そういうところにあるんでしょうね。

――綿矢さんと同時に芥川賞を受賞した金原ひとみさんのことは、当時どのように思っていたのでしょうか?

綿矢
授賞式前日に、金原さんの『蛇にピアス』を読んで、すごく感動して泣いてしまったんです。授賞式当日に「面白かった」って伝えたら仲良くなり、今でも対談をすることもあります。最近の作品も読んでいますよ。

――以前小説を執筆していたのですが、綿矢さんを読むと綿矢さんに影響され、金原さんを読むと金原さんに影響されてしまい、結局書くのをやめてしまいました。綿矢さんも、他の作家からの影響を受けているのでしょうか?

綿矢
ずっと太宰を読んでいたので、特に初めの頃は私も太宰の語り口に影響されています。誰もが始めは先人の書いたものの影響の下に書き始めるのが文学です。だから、影響されることは気にせずに、ぜひまた書いてください。
堀江
綿矢さんが太宰の影響を受け、さらに綿矢さんを読んだ下の世代が新しいものを作っていくのは自然なことです。綿矢さんの場合、『インストール』の頃は特に文章の息使いに太宰の影響が感じられましたが、大切なのは、その作家から何を切実に吸収するか、吸収した後にどのように排出するかです。その繰り返しを経て、いい意味での「模倣」ができるようになっていくと思いますよ。皆さん、もっと綿矢さんに尋ねたいことがあるかと思いますが、残念ながら時間になりました。ぜひ、綿矢さんの本を読んでみてください。きっと作品が答えを教えてくれるはずです。今日はありがとうございました。
綿矢
今すぐにでも図書館に行きたい気持ちになる、とても楽しい対談でした。ありがとうございました。
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