
- あ、宮崎さん!
- あ〜、小島さん、お久しぶり〜。フリーになってからは全然会ってなかったから、6年ぶりくらいかな?
- 一時期は毎日会ってたよね。『ラジかるッ』(日本テレビ)で、2008年ごろ「小島&宮崎の夕刊ワセダ」というコーナーを一緒にやっていたんです。
- 夕刊を取り上げるコーナーだったから、放送時間に間に合わせるのが大変で、毎日必死でやってたよね。

お二人は在学中も面識があったんですか?
- 実は、同じサークルに入っていたんです。宮崎さんは僕よりも1学年上の先輩でした。
小島さんは、キングオブコント2013で優勝した「かもめんたる」らと共に、お笑いサークル「WAGE(※)」で活動していたことで有名です。…ということは、宮崎さんもお笑いを!? ※ 2006年に解散したお笑いサークル。お笑いコンテストで頭角を現すなど元メンバーには実力派が多い。
- 違いますよ! 私はアナ研(アナウンス研究会)です!
- 学生時代は、WAGEだけでなく別のサークルとの掛け持ちもしていて、そこで宮崎さんと出会ったんです。そっちはお笑いではなく、オールラウンドサークル。普段は商学部のラウンジで雑談をしながら、テニスに行ったり、スキーに行ったりしていたサークルでした。まあ、そういうイベントには全然参加してないんですけど…。
- 私も参加してない…。ところで、あのサークルの名前覚えてる?
- え、覚えてないなあ…。
あまり思い入れがないんですね(笑)。
- 私もオールラウンドサークルはどちらかというと友達の輪を増やすみたいな感じでした。放課後や休み時間に集まってダラダラと話していた。そこで、小島さんとも何度か話したよね。

- 僕が今でも覚えているのが、宮崎さんが前の授業で机に突っ伏して寝ていたらしく、おでこのところに新聞の文字がべったりと張り付いていたこと(笑)。
- あ、それ覚えてる! 新聞を置いたまま寝ちゃってたの。今振り返るとヒドい学生だった…。小島さんは、そのとき髪型がアフロだったんです。すごく存在感があったから、小島さんの名前よりも「アフロの人」っていうインパクトを覚えてるよ。初めは、お笑いサークルに入ってることも知らなかったし。
- そういえば、ここって第二学生会館だった場所ですよね。
- え、そうなの?
2002年に第二学生会館が取り壊しになり、今の大隈記念タワーが完成したんです。

早稲田大学大隈記念タワー15階にあるレストラン「森の風」
- 第二学生会館はライブ前になると、WAGEのみんなでネタを持ち寄って練習をした思い出の場所。当時は1階にラウンジがあり、ソファやテーブルがありましたね。
- でもそのソファの8割は破けてたよね(笑)。私も、第一学生会館の3階にアナ研の部室が入ってたから毎日のように通ってました。アナ研は漫画研究会と相部屋で、漫画に囲まれた中で発声練習なんかをしていたんです。階段の至るところに荷物が積んであったし、灰皿もいっぱい。それにめちゃめちゃ「G」が出ていたんです。
- 「G」って?
- ゴキブリ。
- ああ…。
- 今振り返ると、ひどい環境だった…(笑)。
- 宮崎さんはアナウンサーになりたいと思って大学に入ったんですか?
- 故郷の宮崎県に住んでいた高校1年生のころに「アナウンサーになる」って決めて、高校の先生にも「アナウンサーになりたいから早稲田に入れてください!」って相談して、指定校推薦をもらったんですよ。小島さんは?
- 僕は、大学に入ってからお笑いを始めました。4月にキャンプサークルの新歓コンパとして戸山公園で開催されていたお花見に行ったら、いきなり「お笑いライブに来ない!?」と誘われて、足を運んだのがWAGEのライブでした。それが面白すぎて衝撃だったんです。そのとき誘ってくれたのが、かもめんたるのう大(岩崎う大、2002年政治経済学部卒)さん。
- そうだったんだ。じゃあ、もしも誘われてなかったら…?

- あのときライブを見に行かなければ、お笑いなんてやってなかったかも。もともと目立ちたがり屋だったので、高校時代からコントをやったり、応援団長をやったり、人前で何かをするのは好きだったけど、ちゃんとしたコントを生で見たのはそのときが初めて。それが行われていたのがどらま館だったんですよ。

- ところで、どらま館ってどこにあるの?
- ここです! 本キャン(早稲田キャンパス)と文キャン(戸山キャンパス)をつなぐ南門通りの途中。
- そうなんだ! 私、毎日のようにこの道を通っていたのに全然知らなかった。すごくキレイな建物だね。
- 当時は、こんなにキレイな建物じゃなかったはずだけど…。
どらま館は、2015年に全面リニューアルしたんです。
- 中はどうなってるのかな? お邪魔します!

公演準備をしているのは、演劇サークル「システマ・アンジェリカ」の皆さん
- 学生
- こんにちは!
- 外観は変わったけど、中はほとんど一緒だ。ところでこの舞台は?
- 学生
- 明日から上演する『現想録 ~The Naked Lunch~』という公演の準備中なんです。
- 小島さんの初舞台もここだったの?
- 初舞台はさっきの第二学生会館で、会議室を舞台にしていました。当時やっていたのは「飲み会ロボット」っていう設定で、ロボット役の僕が腰を振りながら☓☓☓☓☓…。
- 下ネタじゃん! でも、懐かしい舞台に立つと、やっぱり昔の自分を思い出すんじゃない?
- なんか、自分がここに立っていたことが信じられない…。

- せっかく後ろのパネルには「裸」って書いてあることだし…。学生さんたちも見たいよね?
- 学生
- はい!
- じゃあ…。

- はい、おっぱっぴー! 次は宮崎さんも一緒に…せーの!
- 宮崎・小島
- そんなの関係ねぇ!

- 学生
- ありがとうございます!(拍手)
- そういえば、宮崎さんも学生時代に舞台に立っていましたよね。
- え、立ってないよ。
- いえ、ミス早稲田(※)に出て、大隈記念講堂の舞台でJUDY AND MARYの『そばかす』を歌ってたのを覚えてますよ。 ※かつて早稲田でもミスコンが開かれていたが、2003年を最後に開催を取りやめている
- えーーーーー、あれ見てたの!? 当時、アナウンサーって「ミスキャンパス」の称号が有利に働いていた時代だったんです。アナウンサーになるため、ダメ元で挑戦してみようと思い、大学3年生のころに応募しました。8人の最終審査まで残ったんですが、ミス、準ミス、特別賞と、どの賞にも全然引っ掛からなかった…。
- 水着審査もありましたよね。
- あった! 一緒に並ぶ子がハーフとか8頭身の子、学生をしながらモデルもしているようなスタイル抜群の女の子ばっかり。あれ、つらかったよ…(遠い目)。

ネットスラングで言うところの「公開処刑」のような……。
- ただ、「もしアナウンサーになれなくて地元に戻ったとしても、後悔しないように」とできることは全て頑張ってたんです。結果、賞はもらえなかったけど、人前に出る経験をしたことによって、アナウンサー試験を受けるときにもそこまで緊張しなかった。
- ミスコンに出場したことが、アナウンサーになるための大きな一歩だったんだ。
- ところで、ここから商学部のラウンジって近いよね? サークルのたまり場になっていたあの場所はどうなってるんだろ?
お二人が出会ったサークルの活動場所ですね。
- 行ってみましょうか!

- あ、大隈さんがいるよ、懐かしいな〜。この辺りのベンチに腰掛けていた記憶がよみがえってくる。
- 商学部の校舎は、大隈重信像の後ろ側でしたね。
- どうなってるのかな〜。この道を曲がったところに…

- 商学部が…ないっ!!!
- えーーーーーっ!!!!

- きれいな校舎になって、跡形もなくなっちゃった!
残念ながら、商学部が使う11号館は、2009年に建て替わってしまったんです。でもエントランスには旧11号館の意匠を残しているんですよ。

- 一緒にサークル活動をした私たちの思い出の場所が…。でも、ちょっとは面影があるのかな。
- じゃあ、気を取り直して、近くにある16号館に行きましょうか。
- 16号館?
- 教育学部の校舎で、学生時代はここをメインに授業を受けていたんです。16号館は昔のままですね。

1967年竣工の16号館。早稲田キャンパスでは貴重な昔の面影を残す校舎。しかし東日本大震災で亀裂が入り、耐震工事が行われた。斜めの柱はその際に付け加えられたもの。
ところで、小島さんの思い出の授業は?
- 国文(国語国文学科)だったので、古事記や日本書紀の授業を受けていました。でも、卒論のテーマは星新一。実は、お笑いのために星新一を研究していたんです。
え? どうしてお笑いで星新一を?
- 星新一のショートショートのオチって、すごいですよね。それを研究したら、コントを作る上でも勉強になるかなって思ったんです。でも、全くお笑いの役に立つことはなかった(笑)。

- あ、ねえねえ、授業やってる! ちょっとのぞいてみようよ。うわぁ、みんな真面目に授業を受けてるね。
- この教室では、僕も授業を受けてた。
- でも、爆睡してる人を発見!
- 新聞の上で寝てます?
- もう、当時の私じゃないんだから!(笑)
- 空いている教室に入ってもいいかな?

- なんか、すごくきれいになってない?
- 僕らのころは3人掛けの長椅子でしたよね。
- そうそう、隣の人に気を遣いながら座らないといけないから、座り心地も悪かったような。小島さんはどの辺に座っていたの?
- 僕は後ろの方に座って、授業中にもネタを考えたりしてました。今思うとちゃんと授業を聞いておけばよかった…。あ、そうだ。僕が在学中に、ちょうど広末涼子さんも教育学部に在籍していて、授業が一緒になったことがありましたね。
- 当時は、広末さんも教育学部にいたんだ。
- 一度、隣に座ってあいさつしたことがあったんです。当時、広末さんはスターだったから緊張したけど、普通に応じてくれました。
- じゃあ、芸能界に入ってからは?
- 一回、ドラマの記者会見をレポートする仕事があったんです。他のメディアも押し寄せている中、なぜか、僕だけが広末さんに対する取材はNGに…。
- 小島よしおNGが出てたんだ(笑)。
- 当時は裸でグイグイ行っているころだったから、話が通じる人じゃないと思われていたのかも。

小島さんは、授業中には目立っていたんですか?
- 授業中はおとなしくしてましたよ。在学中から深夜番組とかに出ていたから「素人とは違う」みたいな、変なプロ意識もあったし。
- 「俺は芸能人だぞ!」みたいな?
- そう。だから友達も全然いなかった…。
- 友達は多い方が絶対にいいよ。大人になると、人間関係に利害が絡んでくるけど、大学のときの友達にはそういう面倒なものが一切ない。私なんて、今でもサークルや語学の授業で一緒だった友達とはつながってるよ。明日もアナ研の同級生と会うし、語学のクラスの友達とは誕生会とか忘年会とかで会ってる。

- 友達、作っておけばよかったなあ…。
ただ、早稲田出身のお笑い芸人の方は、箕輪はるかさん(2003年第二文学部卒)も、ジョイマンの高木晋哉さん(教育学部出身)や米粒写経のサンキュータツオさん(大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学)も、なぜかみんな友達のいない学生時代を送っていたみたいですよ。
- …ああ、なんか分かります(笑)。ところで、宮崎さんの思い出の場所は?
- そうだな…、じゃあ、一人暮らしをしていた思い出の場所に行きたいな。

- 宮崎 宣子(みやざき・のぶこ)
- 1979年、宮崎県生まれ。2002年、早稲田大学第一文学部を卒業し、日本テレビにアナウンサーとして入社。『ラジかるッ』(日本テレビ)、『ザ! 世界仰天ニュース』(日本テレビ系列)などに出演。日本テレビ退社後も、『ネプリーグ』(フジテレビ系列)、『中居正広のミになる図書館』(テレビ朝日系列)、『ナカイの窓』(日本テレビ系列)など多数のテレビ番組に出演。また、ハーバルセラピスト、紅茶シニアコーディネーター、オーガニック料理ソムリエなどの資格を持つ。趣味はゴルフ、ハーブティー、世界遺産巡り、ホットヨガなど。
- 小島 よしお(こじま・よしお)
- 1980年、沖縄県生まれ、千葉県出身。2004年早稲田大学教育学部卒業。早稲田大学在学中にコントグループ「WAGE」でデビュー。2006年より、ピン芸人として活動する。2007年に「そんなの関係ねぇ!」で大ブレーク。2014年にキッズコーディネーショントレーナーの資格を取得。2016年に初のキッズアルバム『よしおのうた』をリリース。年間100本以上の子ども向け単独ライブを行い、“日本一子どもに人気のお笑い芸人”として活躍の幅を広げている。
- 取材・文:萩原 雄太
- 1983年生まれ、かもめマシーン主宰。演出家・劇作家・フリーライター。早稲田大学在学中より演劇活動を開始。愛知県文化振興事業団が主催する『第13回AAF戯曲賞』、『利賀演劇人コンクール2016』優秀演出家賞、『浅草キッド「本業」読書感想文コンクール』優秀賞受賞。かもめマシーンの作品のほか、手塚夏子『私的解剖実験6 虚像からの旅立ち』にはパフォーマーとして出演。 http://www.kamomemachine.com/
- 撮影:加藤 甫
- 編集:松本 香織、横田 大(Camp)
- デザイン:中屋 辰平、PRMO
- 撮影協力
レストラン「森の風」