Waseda Weekly早稲田ウィークリー

特集

なぜここにある!? 大隈庭園の銅像・建造物

2018年度 創立記念特集 大隈庭園探訪【前編】

早稲田キャンパスの大隈記念講堂の脇にある大隈庭園は、早稲田大学創立者である大隈重信のかつての邸宅跡地です。訪れたことがある人は、四季折々の草花はもちろん、いろいろな人物の銅像や建築物などが存在していることに気付いたと思います。

読書、旅行、談話など多趣味であった大隈重信ですが、中でも園芸に対する思いは強く、それはたくさんの植物が息づく大隈庭園の様子からうかがい知ることができます。また、数多く点在する建造物は、早稲田大学の長い歴史を物語っています。

平成最後の早稲田大学創立記念日、そして紅葉シーズンを迎えるこの時期に大隈庭園をぜひ訪れて、日本庭園の美しさに触れるとともに、早稲田の歴史に思いをはせてみてはいかがでしょうか。

秋の大隈庭園

園芸を愛する大隈重信の思いが詰まった大隈庭園

1900(明治33)年頃の大隈庭園と邸宅(早稲田大学大学史資料センター所蔵)

大隈庭園は天保(てんぽう)年間(1830~44年)にこの地が彦根藩井伊家・高松藩松平家の下屋敷であったときに作庭された「池泉回遊式庭園」(※)で、「近江八景」を築庭・造庭のモチーフとした大名庭園であったと言われています。明治維新後に転々と所有者が代わりましたが、1874(明治7)年に大隈重信が購入し別邸としました。

(※)大きな池を中心とし、回遊するための園路をその周囲に巡らせ、築山や池中に設けた小島、橋、名石などで各地の景勝などを再現した日本庭園のこと。

(写真左)1900(明治33)年頃の庭園の様子
(写真右)1910(明治43)年頃の庭園。右奥の建物は温室(いずれも早稲田大学大学史資料センター所蔵)

温室内の植物(明治末期)早稲田大学大学史資料センター所蔵

さらに1882(明治15)年には別邸に隣接する土地を東京専門学校(現、早稲田大学)開設のために入手。当時、大隈重信は現在の九段下付近、雉子橋(きじばし)に本邸を構えており、西洋館と洋風造りの庭園を有していましたが、1884(明治17)年に早稲田の別邸に移転し、そこを本邸としました。そして、江戸の面影が残る元別邸の庭園を、自然律に従った文人風に改造したそうです。また、園芸に熱心だった大隈重信は庭園内に温室や菜園を設け、洋ランやヤシ、菊、メロンなど、さまざまな植物を栽培し、盆栽も数多く手掛けていました。

1922(大正11)年の大隈重信の没後、庭園は邸宅と共に大学に寄贈・公開され、東京の新名所となりましたが、1945(昭和20)年5月の空襲で庭園は廃虚と化しました。しかし、多くの人々の努力により、ほぼ昔の景観通りに復元され、今日に至っています。

歴史が息づく大隈庭園に存在するあんなもの、こんなもの

大隈庭園内には、植物と共存するように建築物や銅像・石像、記念碑、石造などが点在しており、一見するとなぜここに? と思うこともあるかもしれません。しかし、全て早稲田大学が歩んできた歴史と深いつながりがあるのです。今回は、数ある建造物の中から、海外から寄贈されたものと建築物、銅像を中心にご紹介します。何がどこにあるのか、庭園内を散策しながら探してみましょう。

海外からの寄贈

中華民国獅子像

大隈ガーデンハウスに通じる門の両脇にある獅子像は、早稲田大学創立100周年を記念して、台湾校友会から寄贈されたものです。台湾や中国における獅子は空想の霊獣であり、左右一対を成しています。元は百獣の王ライオンがオリエント、インドを経て中国にも伝わり、麒麟(きりん)や青竜などが中国古来の霊獣観と融合して唐獅子、そして日本のこま犬となっていきました。獅子像は守護像であることから、台湾校友会の「これからも早稲田大学を守る」という願いが込められています。

エミレの鐘・韓鐘閣

大隈庭園入口から少し直進すると右側に見えてくるのが、エミレの鐘と韓鐘閣です。韓国の国宝である新羅(しらぎ)の聖徳大王神鐘(通称「エミレの鐘」)の2分の1の複製品で、1983(昭和58)年に韓国校友会から早稲田大学創立100周年記念として寄贈されました。もともとは大隈記念講堂内に展示していましたが、創立125周年を迎えるにあたり、韓国校友会から大隈庭園内に韓国伝統様式の鐘楼を寄贈されたこともあり、2004(平成16)年にエミレの鐘を移設しました。

童子石・文人石

童子石・文人石は大隈ガーデンハウスへ通じる道にあります。童子石は朝鮮後期(19世紀初~中期)の作。墓前に立てる石像で墓の守り主であり、死者の世話をすると言われています。文人石は陵墓を守る守護像で朝鮮初期(15世紀)の作。早稲田大学創立125周年を記念して、2007(平成19)年に千信一高麗大学校校友会会長(当時)から、童子石、文人石、済州童子像、法首の韓国守護神石像4対8体が寄贈されました。

孔子像

エミレの鐘・韓鐘閣の近くに位置する孔子像は、2008(平成20)年6月に中華人民共和国政府から早稲田大学に寄贈されたものです。中国政府が日本の大学に孔子像を寄贈するのは初めてのことで、この孔子像の設計・製作は、山東省政府が行っています。もともと早稲田大学はアジア、特に中国との関係が深く、その歴史は100年以上前にさかのぼり、1899(明治32)年に清国人留学生を受け入れています。現在では3,000人ほどの中国人学生が学んでおり、外国人学生の中では最も多い人数となっています。

建築物

完之荘(かんしそう)

リーガロイヤルホテル東京に接するように建つ完之荘は、1952(昭和27)年に校友で実業家の小倉房蔵氏(1908年商科卒)から寄贈された建物で、その名称は氏の雅号「完之」にちなんだものです。飛騨の山村に残っていた推定600~700年前の古屋を小倉氏が自身の邸内に移築し愛用していました。現在、完之荘は大隈邸の茶室があった辺りに建っています。柱は天然の栗材で、全て直接礎石上に立っているのが特徴で、いろり、火鉢、自在鈎(かぎ)、縁先の手水(ちょうず)や石門などは昔のままであり、建築学上貴重な資料となっています。

旧大隈邸門衛所

大隈庭園入口近くのUni.Shop & Café 125前に建つ旧大隈邸門衛所は、 1902(明治35)年に完成した早稲田大学で一番古い建物です。木造1階建ての簡素な造りですが、1945(昭和20)年の空襲で全焼した邸宅唯一の現存遺構で、当時の門衛所がそのまま残されています。

銅像

大隈庭園内に建っている銅像は早稲田大学第4代総長の田中穗積(1876~1944年)銅像と、大隈重信夫人の大隈綾子(1850~1923年)銅像の2体で、どちらも彫刻家・朝倉文夫作です。田中穗積銅像は1957(昭和32)年に早稲田大学創立75周年記念として、校友会により建立されました。大隈綾子銅像はキャンパス唯一の女性の銅像で、1927(昭和2)年の創立45周年にあたり、嗣子(しし)大隈信常氏より寄贈・建立されました。

大隈庭園

開園日:授業実施日(天候不順日は閉園します)
開園時間:4月~9月 9:00~17:00、10月~3月 9:00~16:30
(※入学式・入試実施日・卒業式の他、大学で特に認めた場合は開園します)

参考文献:
・文化推進部管理職者会編『キャンパスがミュージアム vol.2《大隈庭園編》』早稲田大学文化推進部(2014)
・早稲田大学編『生誕150年記念 図録 大隈重信―近代日本の設計者―』早稲田大学出版部(1988)
・早稲田大学大学史編集所編『早稲田大学百年史 全5巻』早稲田大学出版部(1978~1997)

2018年度 創立記念特集 大隈庭園探訪【後編】「早稲“田”に“田”んぼを復活させた農楽塾 大隈庭園での農的生活」

【次回特集予告】10月22日(月)公開「性暴力特集」

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