Waseda Weekly早稲田ウィークリー

特集

あのシーンはどこ? 早稲田ロケ地巡り 村上春樹『ノルウェイの森』聖地巡礼(映画編)

©2010「ノルウェイの森」村上春樹/アスミック・エース、フジテレビジョン

2010年に公開された村上春樹氏原作の映画『ノルウェイの森』(トラン・アン・ユン監督)は、松山ケンイチさんが主人公・ワタナベトオル役を、菊地凜子さんが直子役を演じ、同作が女優デビュー作の水原希子さんが緑役となった、実際の「早稲田大学」が多くのシーンで登場する映画でした。当時、映画・映像を専門とする理工学術院国際情報通信研究科教授として、学内での撮影に協力した安藤紘平名誉教授とロケ地をたどるとともに、プロデューサーとして、トラン監督と映画化を実現させた小川真司さん(1987年 法学部卒)に撮影秘話を伺いました。

「当時のキャンパスの雰囲気伝える貴重な映画」

安藤 紘平(あんどう・こうへい)名誉教授

1968年、早稲田大学理工学部卒業。同年TBS入社、事業局・メディア推進局局次長などを経て、2004年退職。2004年から早稲田大学大学院国際情報通信研究科教授。大学在学中から劇団天井桟敷に所属し、映像作家として活動。作品、受賞歴多数。デジタル、ハイビジョンに先鞭(せんべん)をつけた映画作家として世界的に著名。

小説には舞台が「早稲田」とは書かれていませんが、村上春樹氏自身も通っていた「早稲田」としか思えないシーンが多々あります。実は早稲田大学での撮影が決まる前、他の大学がロケ地となる可能性があったのです。僕自身、早稲田大学の卒業生として、また教員として、『ノルウェイの森』が映画化するなら、絶対に早稲田で撮影してもらわないといけない、と思っていましたから「何としても」という気持ちでした。

トラン監督とは旧知の仲でしたので僕に連絡があり、「小説は早稲田が舞台に違いない。どうしても早稲田を見てみたい」とのことで急きょ、彼が早稲田大学を訪れることになり、そのままロケ地の下見をしました。すると、「やっぱりここだ!」と言って、キャンパスに一目ぼれ。長きにわたって早稲田キャンパスのシンボル的存在で政治経済学部の拠点であった旧3号館や、戸山キャンパスの教室や旧校舎、大隈庭園など、映画で登場した現場は、トラン監督自身が実際に見て気に入り、ロケ地に選んだ場所です。

撮影前に早稲田大学を訪れたトラン監督(中央)。右は小川プロデューサー

キャンパスの随所に残る1960年代・70年代の雰囲気に魅了されたそうで、この映画は、古い建物を映像として残しただけでなく、当時のキャンパスの息遣いをも伝える貴重な映画となりました。

トラン監督は納得がいくまで何度でも撮り直す監督で、そもそも大学内で大がかりな映画を撮影することはとても大変なこと。しかし、大学側の協力も得られて、早朝や授業実施期間の合間を使い、なんとか撮影は無事終了しました。トラン監督はその後、僕の授業で講師を務めてもらったこともあり、「いつか早稲田の学生に教えたい」とも言っていました。映画では監督の『ノルウェイの森』に対する愛着だけでなく、早稲田大学への愛着も感じられることと思います。

では当時のロケ地が今はどのようになっているか、それぞれを巡ってみましょう。

 戸山キャンパス

34号館453教室

左:教室の一番後ろに座るワタナベ
右:現在、教室の机・椅子などの設備は一新されています。安藤名誉教授が同じ位置に座ってみました

新左翼の学生が教室になだれ込み教壇にいる教授に詰め寄るシーン。小説でも印象的なこの場面は、コピーライター・糸井重里さんが教授役となり、ワタナベは一番後ろの席で様子を眺めていました。教室は健在ですが、現在、机と椅子は一新されています。

旧33号館と31号館を結ぶ渡り廊下と階段

現在の渡り廊下(左)と31号館の階段

一つ一つが手作りされたチラシ(左)と、いつもの風景のように溶け込んでいた立て看板

ワタナベが教室から出ていって、旧33号館から渡り廊下を歩き、階段を降りていくシーンでは、立て看板が置かれビラが雑多に貼られています。制作スタッフの方が当時の立て看板やビラを再現したのですが、本物か偽物か見分けが付かないほどの出来栄えでした。一般の学生は不思議に思っていたのではないでしょうか。33号館はすでに建て替えられて近代的な校舎になり、渡り廊下も一新されました。

旧33号館エントランス

初々しい演技を披露した水原希子さん

左:影時の外側の様子。建物正面、左下が撮影のあったエントランス部分になります

右:映画にも映ったモザイクは、新33号館の床にも再利用されています

「あのさ、君と話がしたいんだけど」とワタナベが緑に話し掛けるも、つれなくされてしまうシーンが撮影されました。実はこのシーンは、水原希子さんがカメラの前で初めて演技するという女優としてのデビューシーンでした。監督の厳しい指導を受け、涙を流しながら頑張っていた水原さんの姿が印象的でした。当時、建物は取り壊し工事が開始していましたが、撮影はぎりぎり間に合いました。映画でも映っている床のモザイクは、建て替わった新しい建物にも残っています。

 早稲田キャンパス

旧3号館中庭周辺

旧3号館前を歩くワタナベ

旧3号館前を歩くワタナベ

同じシーンの撮影の様子(左)と旧3号館中庭での撮影

映画では学生運動の様子が幾度も描かれています。かつての運動家の方が監修していました。村上春樹さんが学生時代に通っていたという演劇博物館がさりげなく映り込んで、学生運動で騒ぐデモ隊の中をワタナベが歩いていくシーンが印象的です。3号館やその中庭周辺は60年代の雰囲気が色濃く残っていて、特にトラン監督が気に入った場所でした。

旧3号館周辺を下見で訪れたトラン監督(左から4人目)

  大隈庭園

大隈庭園を歩くワタナベと緑。右はクランクアップのシーン

緑が「あっちにベンチがあったと思うんだけど」と、ワタナベと2人で歩いていき、ベンチに横たわるシーンは、大隈庭園で撮影されました。これがクランクアップのシーンとなりました。ちなみに『ノルウェイの森』の打ち上げは、大隈ガーデンハウスで行われました。

 西早稲田キャンパス

57号館ホワイエ

普段のホワイエは理工学術院の学生たちの憩いの場となっています

57号館は入って左右に一つずつホワイエ(休憩所)があるのですが、右側がワタナベが緑と初めて会話を交わすシーンでカフェとして登場します。さらに映画の終盤、ワタナベと緑の関係が変化する重要なシーンでは、向かって左側のホワイエが登場します。このころ、西早稲田キャンパスは改修工事を行っていたのですが、大学の広報課を通じて工事スケジュールの変更をお願いし、理工学術院の多大な協力を得て撮影することができました。だから、映像では見えていませんけれど、窓の向こうには工事車両がたくさん並んでいるんですよ。

 理工図書館

理工図書館での撮影の様子

残念ながらストーリー上のつながりや、上映時間の関係でお蔵入りしたのですが、理工図書館でも撮影が行われていました。世界的なカメラマンであるリー・ピンビン氏が2日間にわたって撮影した渾身(こんしん)のシーンだったのですが残念。ぜひ、本編で見たかったですね。

ジャパン・プレミア試写会

大隈記念講堂

大隈記念講堂前に集まった監督と俳優陣。試写会後、講堂内は大きな拍手に包まれました

映画『ノルウェイの森』ジャパン・プレミア試写会は2010年11月23日、大隈記念講堂で開催されました。トラン・アン・ユン監督と松山ケンイチさん、菊地凜子さん、水原希子さんら出演者は、ファンのサインの求めに応じつつ、大隈講堂前のレッドカーペットをゆっくりと歩き、講堂内で舞台あいさつを行いました。主演の松山さんは「監督から『君は大恋愛をすることになる』と撮影前に言われました。ワタナベを追体験し、出来上がった作品を見て、その意味が分かった。皆さんも大恋愛をしてください」と、集まった学生らにメッセージを送っていました。日本初公開となる試写会で、最後まで“早稲田尽くし”といえるような映画だったと思います。

「小説のあの空気感を出せるのは、やはり『早稲田』だった」

プロデューサー 小川 真司(おがわ・しんじ)

株式会社ブリッジヘッド代表取締役。映画プロデューサー。1987年早稲田大学法学部卒業後、株式会社アスミック(現アスミック・エース株式会社)に入社。代表作は『ピンポン』『ジョゼと虎と魚たち』『メゾン・ド・ヒミコ』『恋の門』『ハチミツとクローバー』『天然コケッコー』『ノルウェイの森』『陽だまりの彼女』など。最新作は『味園ユニバース』『トイレのピエタ』『ピンクとグレー』。

トラン・アン・ユン監督と共に、村上春樹氏に手紙を出すことから始めて、6年越しで「困難」と言われていた映画化を実現した小川真司さん。村上氏のファンでもある小川さんは、お守りとして小説『ノルウェイの森』初版本を抱えて、トラン監督と一緒に村上氏に直接会い映画化の話をしたそうです。「『ノルウェイの森』は僕にとって特別な作品だから」と語る村上氏から、まずトラン監督が脚本を書く許諾を得て村上氏に見せることで、誰もできなかった映画化が動き出しました。

 ――村上氏と対面したときの様子はいかがでした?

『ノルウェイの森』を読んで感動したというトラン監督は、原作を1ページずつ切り取って貼ったノートを村上氏に見せて、どう映画にしたいか、悲しみの中に苦悩する若者の美しさ、若さを描きたいという思いを語っていました。村上氏もトラン監督の全作品を見て気に入っていたそうです。私は「自分自身にとってもこの作品の映画化は他とは違う特別なことだ」ということを伝え、1時間ほどの面談の最後にお守りとして持って行った初版本に村上氏からサインをもらいました。その場で許諾をいただいたわけではなかったのですが、あのサインは法的なものではない、精神的象徴としての契約だったのだと思っています。

 ――下見で訪れた早稲田大学の印象は?

久しぶりに早稲田キャンパスを訪れて、とにかく立て看板がなくなっていたことが印象に残っています。私が通っていたときは、チラシもたくさん貼ってあって、もっと汚かったですから。

 ――特に印象に残っているロケ地は?

戸山キャンパスの旧33号館(設計:村野藤吾)は、在学中はあまり感じなかったけれど良い建物でした。撮影できたのはよかったと思っています。耐震性の問題などで取り壊し工事が始まりつつあり、撮影のタイミングとしてはぎりぎりでした。この建物のエントランス部分で、水原希子さんが女優として初めて芝居をしたシーンを撮りました。監督が外国の人で、映画への姿勢も厳しい人。水原さんがプレッシャーを感じているのは分かっていましたが「頑張ってもらわなければ」という祈るような気持ちでいました。実際に映像として見ると、かなり良いシーンとなっていました。そのとき撮影は始まったばかりで、映画の行く末を占うようなシーンだったと思います。

――学生運動のシーンがかなり出てきますね。

撮影の説明を受けるデモのシーンに参加したエキストラの方々

予算が限られている中で、1960~70年代の時代感を表現するには、人で表すしかありません。学生運動のシーンではエキストラ約250人を呼んで撮影しました。あのデモのシーンを撮影していると「そうだ、そうだ、これがあのころの早稲田だった」という気持ちが芽生えてきました。特に政治経済学部の3号館は、通っていた当時の雰囲気がそのまま残っていました。昔の授業やキャンパスの「ああ、こんな感じだった」という感覚を、見ている人に伝えられたのではないでしょうか。

 ――早稲田大学で撮影した意味を、どのようにお考えですか?

エキストラの方々も当時のファッションに身を包み、キャンパスの一角はまるで60年代のような雰囲気になっていました

早稲田じゃないとだめだったな、というのを今でも感じています。体制に反抗するような若い人たちの純粋な正義感、そこから生じる世の中の矛盾に対する怒り。あの時代、そういうものを爆発させることを、世界中の若者がやっていました。もちろん、早稲田にはそういう学生が多かったけれども、ワタナベのように自由でノンポリで、運動に距離を置いて関わらない学生もいた。本当に“早稲田は“ごった煮”でした。小説のキャラクターも、経済的にも中産階級で地方から出て来た人がメイン。でも文化的なことに関しては目が肥えていたりする。小説が醸し出すあの空気感、主人公のライフスタイルも含めて、やっぱり早稲田っぽい。慶應や上智が舞台だったら、緑が「裕福な家庭のお嬢さま」で、などということになったりして、話の展開が変わってしまいそうでしょ? 早稲田で撮影しないと、映画としても成立しなかったのではないでしょうか。早稲田で撮影できてよかったと思います。

◆関連リンク

僕は十八で、大学に入ったばかりだった―村上春樹『ノルウェイの森』聖地巡礼(小説編)

Page Top
WASEDA University

早稲田大学オフィシャルサイト(https://www.waseda.jp/inst/weekly/)は、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。

推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。より快適にご利用いただくため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。

このままご覧いただく方は、「このまま進む」ボタンをクリックし、次ページに進んでください。

このまま進む

対応ブラウザについて

閉じる