Waseda Weekly早稲田ウィークリー

キャリアコンパス

演劇青年はアルバイトから電通に―広告クリエイター・PARTYファウンダー 中村洋基

自分のポートフォリオが作れる学生生活を

広告クリエイター、PARTYファウンダー/クリエイティブディレクター
中村 洋基(なかむら・ひろき)

npd_166

企業の広告キャンペーンを手掛けるクリエイティブディレクターとして、国内外250以上の広告賞を受賞。最近では、成田国際空港第3ターミナルの空間デザインディレクションなどで知られるクリエイティブ・ラボ「PARTY」の他に、胃がんを防ぐ予防医療プロジェクト「」、コーヒーショップの経営など、活躍の領域をさらに広げているのが、中村洋基さんだ。

広告・Webの世界で大手企業とパートナー関係を築いている中村さんだが、早稲田大学時代は広告に一切興味はなく、演劇漬けの毎日を過ごしていたという。そんな中村さんの歩んできた道を振り返ると、さまざまな「運」と「縁」の巡りあわせがあった。

広告の常識を知らなかったからできた無茶なアプローチ

npd_062「早稲田に受かったのは、もうホント、運が良かったんです」

大学で演劇を学びたい、と早稲田大学第一文学部(当時)を志望していた中村さん。だが、受験勉強に取り組んだタイミングが遅く、合格は難しいという感触だった。

「でも、毎日2つくらいずつ、英語の長文を音読していたんです。そしたら、本番の試験で前日に読んだ長文が出たんです。かなり難しい穴埋め問題もスラスラ解けてしまい、本当に魔法が起きたような感覚で合格することができました」

導かれるように早稲田の門を叩いた中村さん。希望通り、演劇サークルに没頭する日々を送り、気が付くと、劇作家・鴻上尚史氏(1983年法学部卒業)が主宰していた劇団「第三舞台」の流れを汲むデジタルプロダクション「デジタルステージ」に籍を置くことになった。

「最初は劇団のチラシなどを作っていました。そこから少しずつ、Webやモーショングラフィック、3Dについての勉強させてもらい、在学中にフリーのWebデザイナーとして仕事をするようになりました。このとき学んだ技術が、今の仕事のベースにもなっていますね」

時は90年代後半のITバブル全盛期。就職活動は特にせず、フリーランスとして生きていこうとしていた当時の中村さん。卒業まで1単位を残して時間をもてあます中で紹介されたのが、電通でのWeb制作業務だった。

「当時はまだ、広告業界への興味も一切なく、勤務も月・水・金の週3日のアルバイトとしてでした」

npd_073そこで中村さんが担当したのが、自動車メーカー・HONDAのバナー広告だった。

pinball_honda

中村さん初のヒットとなったゲーム式バナー広告

「バナー広告って、今も昔もクリック率は0.1%程度。1000人に一人くらいしか押さないんです。なのに、僕が最初に作ったバナーのクリック率は33%。3人に一人の割合で押してもらえたんです。『何だこれは?』『間違いじゃないのか?』と、かなりの事件だったみたいです」

上司にも恵まれ、どんどん仕事を任せてもらうようになった中村さん。以降のバナー広告でも、クリック率が10%を切ることはなかった。

「当時、僕がよくやっていた手法が、バナー広告をゲームにしちゃおう! というもの。広告の常識を知らなかったからこそ、無茶なアプローチができたんだと思います」

最初の企画で結果を出すことができたのが大きな運、と語る中村さん。そしてもう一つ、運に恵まれたターニングポイントがあったという。

「広告の世界で最も権威ある賞の一つに『カンヌ国際広告賞(現・カンヌライオンズ)』というものがあるんですが、なぜか非正社員の自分が電通を代表してカンヌ広告祭に参加させていただくことになったんです。そこで、世界のオモシロCMや広告を見て『広告ってこんなに面白いのか!』と初めて痛感しました。見たものは片っ端からメモを取っていましたね」

帰国後、中村さんはカンヌで学んだ「面白い広告のロジック」を自分自身の仕事に当てはめていった。

「それをやり続けていったら、さまざまな広告賞をいただけるようになったんです。100以上の賞をいただいて、5年後に電通の正社員になっていました」

学生時代までに得られるリソースが社会人のベースになる

正社員となり、さらに仕事の領域を広げていった中村さん。電通という大きな組織でキャリアを重ねていく中、次のターニングポイントとなったのが、人気漫画『スラムダンク』の「1億冊感謝キャンペーン」だった。

「単行本の累計が1億冊を突破したことに対して、作者である井上雄彦さん自身がファンに感謝を届けたいと、読売・朝日・日経・毎日・産経・東京新聞の6紙に一面広告を出す、という企画のお手伝いをしました。僕はその新聞広告を見たファンがメッセージを書き込める特設サイトを担当したんです」

その特設サイトは1週間で8万人がアクセス。大きな話題を呼び、インターネット広告賞(東京インタラクティブ・アド・アワード)のグランプリも獲得した。だが、このキャンペーンにはさらなる続きがあった。こんなに盛り上げてくれるファンの顔をじかに見たい、と神奈川県にある廃校舎を使ってリアルイベントを行ったのだ。

npd_005

「そのイベントで、井上さんが『スラムダンク』の後日談を教室の黒板に描く、という企画(『SLAM DUNK 10 DAYS AFTER』)があったんですが、それを見たファンがみんな泣いてるんです。そして、その光景を袖から見た井上さんがまた泣いて、僕らスタッフももらい泣きして……。それまで僕は、バナーやサイトといったテクニカルな部分で勝負してきましたが、こんなにもリアルに人とつながるということは、深い感動があるのか! と大きな衝撃を覚えました」

電通という大きな組織だからこそできることはある。だが、組織に縛られない、自分の決断で仕事に取り組めるダイナミズムも味わいたいと、2011年、業界で活躍していたメンバーとともに、PARTYを設立した。

「会社を興してみてはじめて、企業の経営者の方とも対等に話ができるようになりました。でも、もし最初からフリーランスだったなら、大企業がどういう仕組みで動いているのかを分かる術がなかったと思います。そう考えると、電通にいたおかげだとも思いますし、大きな仕事も冒険的な新しいプロジェクトも両方できるって、幸せだなと思いますね」

そんな中村さんだからこそ、学生に伝えたいことがあるという。

リリースと同時に話題となった、SNSへの投稿をきれいな言葉に変換してくれるスマホアプリ(2016年現在は配布終了)も、中村さんによるもの

「僕が今、こうして仕事ができているのは運が良かった。同じようなやり方では、きっとうまくいかないはずです。これから社会に出ようとするならば、自分の『ポートフォリオ(作品集)』を作れるような人生を生きたほうがいい。これから、人間ができる仕事は減って、人工知能やコンピュータに取って代わります。逆に、クラウドソーシングのように場所や組織、予算に縛られない仕事の仕方が当たり前になっていきます。だからこそ、自分の価値って何なんだろう? と可視化する『ポートフォリオ』が必要になってくると思います」

また、大事なのは、あれこれ逡巡するよりも、実際に動いてみることだ。

「社会人になって痛感したのが、どんな仕事にせよ、学生時代までに得たリソース、つまり経験や知識が基になっているということです。でも、その大事な時間であることは、誰も教えてくれません。僕自身、海外に住んで英語をマスターしておけばよかったなとか、世界一周旅行をしておけば良かったな、学生のうちに起業しておけばよかったな、などと後悔することばかりです。時間に余裕のある大学時代にしかできないことって、きっとたくさんあるはずです」

npd_150【プロフィール】

中村 洋基(なかむら・ひろき)
1979年、栃木県生まれ。早稲田大学第一文学部在学中からフリーのWebデザイナーとして活動をはじめ、2002年に電通へ。斬新なアプローチのバナー広告が話題を集め、やがてキャンペーン全体を手掛けるようになる。2011年4月、株式会社パーティーを設立。これまでに国内外250以上の広告賞を受賞、審査員歴多数。代表作に、「SLAM DUNK 10 days after」、サントリー「集中リゲイン」、地上波テレビとスマートフォンを連動させた「MAKE TV」、レディー・ガガの等身大試聴機「GAGADOLL」、トヨタ「TOYOTOWN」の全デジタルキャンペーン、「しずかったー」など。

早大生のための学生部公式Webマガジン『早稲田ウィークリー』。授業期間中の平日はほぼ毎日更新!活躍している早大生・卒業生の紹介やサークル・ワセメシ情報などを発信しています。

Page Top
WASEDA University

早稲田大学オフィシャルサイト(https://www.waseda.jp/inst/weekly/)は、以下のWebブラウザでご覧いただくことを推奨いたします。

推奨環境以外でのご利用や、推奨環境であっても設定によっては、ご利用できない場合や正しく表示されない場合がございます。より快適にご利用いただくため、お使いのブラウザを最新版に更新してご覧ください。

このままご覧いただく方は、「このまま進む」ボタンをクリックし、次ページに進んでください。

このまま進む

対応ブラウザについて

閉じる