人権とジェンダー平等の観点から地球的規模の人口問題に取り組む国際連合機関、国連人口基金(UNFPA)。その東京事務所で所長を務める佐崎淳子さんは、国際平和活動の盛んな広島で育ち、幼少期から「世界」に興味を抱いていた。
「昔から世界地図を眺めるのが大好きで、この国にはどんな人たちが、どんな政治経済状況の中で、どういった生活をしているんだろうと想像していました」。
そんな佐崎さんが自身の世界観を一層広げる一つの契機となったのが、早稲田大学での学生生活だった。
「日本全国から学生が集う早稲田大学で多くの人と出会い、いろいろな人生や、興味や考え方の違いを知ることができました」。
学業に打ち込むほか、日本各地を訪ねたり、友人と議論を戦わせたりと、自身の価値観・人生観を広げていった。今以上に男女格差が大きかった時代。卒業後は、総合職が女性に閉ざされた日本社会で働くという選択肢は選ばなかった。
「あのころはまだ、働く女性の居場所は限られていました。就職課に行っても秘書やアシスタントなどの職種しかなく、それが本当にショックでした」。
自分の価値観を広げた留学生やラテンアメリカとの出会い
佐崎さんが選んだ進路はアメリカの大学院への留学。これが、最大の分岐点となる。世界各国の友人と交流を深め、専門分野や語学力に磨きをかけるとともに、また一つ、新たな視点を獲得した。
「日本で育つと、『女性はこう振る舞うべし』という固定観念に縛られがちです。でも、周りに惑わされない友人たちの生き方が好きでした。特にラテンアメリカに興味を持ちました」。
大事なことは、大きなビジョンを見失わないこと
米国オハイオ大学とジョージタウン大学で「国際関係論/開発学」と「人口と開発/人口統計学」の二つの修士号を取得した佐崎さんは修了後、ワシントンD.C.に本部を構える世界銀行の人口保健栄養部でリサーチャーとして働き始め、持ち前の決断力と行動力はここでもとどまることを知らなかった。
「開発途上国、特にラテンアメリカで仕事がしたいとずっと思っていました」。
その熱意が実り、UNFPAペルーに転籍。仕事内容も従来のリサーチに加えて、人口・保健・女性の地位向上プログラムや開発途上国における貧困対策などのプログラムマネジメントにも携わるようになる。以降、アジア・太平洋地域、中南米・カリブ海地域、中央アジア、東ヨーロッパ地域など約120カ国の担当を歴任し、5カ国語を駆使して、世界を飛び回る日々を過ごした。
2011年、現職のUNFPA東京事務所所長に就任。女性の地位向上や人口問題、貧困対策などのUNFPAの取り組みをより広く知ってもらうため、日本政府との定期的な協議を行い連携し、国会議員やメディアに向けた広報活動や大学での講演などを中心に忙しい毎日を送っている。
「今は快適で安全な東京にいますが、開発・貧困対策・女性の地位向上のために私は仕事をしているということを常に意識するよう心掛けています。大事なことは、大きなビジョンを見失わないことです」。
そしてこの「大きなビジョン」を掲げることを、これから世界に羽ばたく早大生、特に女子学生に求めたいという。
「『女子学生よ、大志を抱け!』。今の時代は、自由に世界を泳ぐことができます。学生には国際的な環境に身を置いて、グローバルな視点から物事を考えてほしいですね。そうすれば日本や自分自身がもっとよく見えてきます。早稲田の開かれた環境はそれを可能にしてくれるのではないでしょうか。若者が変わっていけば、日本もどんどん良い方へグローバル化することができると思います」。